<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「鳶の羽の巻」-24
痩骨のまだ起直る力なき
隣をかりて車引こむ 凡兆
次男曰く、自力で駄目ならせ人手を借りるしかない。背抱えに扶け起される病人の恰好は、荷車の後押を得て轅-ながえ-を抱え込む姿勢と同じだろう。「車引こむ」とはうまい執成だが「人出をかりて」ではいけないのか、と見咎めさせるところにまず興の誘いがある。
歳時記には春・夏・秋・冬それぞれに、-近し、-を待つ、の意味で「-隣」という季語を載せる。このうち春隣だけは「古今集」以来の伝統的遣方だ。
「あす春立たんとしける日、隣の家のかたより風の雪を吹きこしけるを見て、その隣へと詠みてつかはしける、
冬ながら春の隣の近ければ中垣よりぞ花は散りける –古今集・俳諧歌、清原深養父-」
年内立春ということのあった昔の暦では、春隣は特別だった。
凡兆の句は、病状の本復-春-も間近と見込んだ付に違いないが、この介添を必要とする作りには、話が前と合せて二句一意と読める以上、とりなして別途に興を求める仕掛がなければ連句にならぬ。
先の浪化宛去来文は、この句の趣向について、「隣をかりては夕顔、待人いれしは常陸宮-末摘花の異称-を存じよりて仕候。すべて此二句にかぎらず猿蓑集には古き草紙物語などの事存じ寄せ候句ども、処々に御ざ候」と俤のたねをあかしており、しかも該当句の作者は去来ではなく凡兆であるから、「隣-夕顔の宿」の連想について一座の合意があったこともわかる。
源氏が六条御息所の許へ忍んで通う途中、五条の尼君-乳母-の病気見舞に立寄るくだりである。急のこととて、むさくるしい大路にしばらく車を立てさせて開門を待つが、その間にも男の好心はさっそく兆す。その相手が隣家の女つまり夕顔である。先だって雨夜の品定めの折に頭中将から聞かされ、心に懸かっていたとこなつの女。そうこうする裡に到頭、尼君訪問を口実に源氏は情を通じてしまうのだが、男のお目当てが病気の乳母などではなく、初めから隣家の女の方だと判っていれば、「隣をかりて」にも「車引こむ」にも、次々と人物・状況の着せ替ができる。俳諧の俳諧たる所以だ。
源氏が網代車を入れさせたのは尼君の門だが、これは夕顔の宿から云えば隣家、尼君とその子惟光は隣人である。そればかりではない、「隣を借りて車を引込」んだのは源氏よりもむしろ夕顔の方だ、というところまで読取の興はひろげられよう。
病人が恋の取持をすると云うはこびの考え方も面白いが、
夕顔は
「山の端-源氏-の心も知らで行く月はうはの空にてかげや絶えなん」
と詠むような「いとあはれげなる」風情の女である。そういう女が男を引入れるときは、恋の手引から車寄せまですべて隣に頼る、という世相・人情の諷刺がいっそう面白く利く。俳諧師なら、ユウガオの蔓は中垣を越えて隣へ伸びたがる、と気付かぬ筈がない。深養父の俳諧歌が、そのまま「夕顔の巻」の垣覗きの好心にも当嵌る、と。
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