山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

隣をかりて車引こむ

2008-07-01 23:54:06 | 文化・芸術
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<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「鳶の羽の巻」-24

  痩骨のまだ起直る力なき  

   隣をかりて車引こむ  凡兆

次男曰く、自力で駄目ならせ人手を借りるしかない。背抱えに扶け起される病人の恰好は、荷車の後押を得て轅-ながえ-を抱え込む姿勢と同じだろう。「車引こむ」とはうまい執成だが「人出をかりて」ではいけないのか、と見咎めさせるところにまず興の誘いがある。

歳時記には春・夏・秋・冬それぞれに、-近し、-を待つ、の意味で「-隣」という季語を載せる。このうち春隣だけは「古今集」以来の伝統的遣方だ。
「あす春立たんとしける日、隣の家のかたより風の雪を吹きこしけるを見て、その隣へと詠みてつかはしける、

冬ながら春の隣の近ければ中垣よりぞ花は散りける –古今集・俳諧歌、清原深養父-」
年内立春ということのあった昔の暦では、春隣は特別だった。

凡兆の句は、病状の本復-春-も間近と見込んだ付に違いないが、この介添を必要とする作りには、話が前と合せて二句一意と読める以上、とりなして別途に興を求める仕掛がなければ連句にならぬ。

先の浪化宛去来文は、この句の趣向について、「隣をかりては夕顔、待人いれしは常陸宮-末摘花の異称-を存じよりて仕候。すべて此二句にかぎらず猿蓑集には古き草紙物語などの事存じ寄せ候句ども、処々に御ざ候」と俤のたねをあかしており、しかも該当句の作者は去来ではなく凡兆であるから、「隣-夕顔の宿」の連想について一座の合意があったこともわかる。

源氏が六条御息所の許へ忍んで通う途中、五条の尼君-乳母-の病気見舞に立寄るくだりである。急のこととて、むさくるしい大路にしばらく車を立てさせて開門を待つが、その間にも男の好心はさっそく兆す。その相手が隣家の女つまり夕顔である。先だって雨夜の品定めの折に頭中将から聞かされ、心に懸かっていたとこなつの女。そうこうする裡に到頭、尼君訪問を口実に源氏は情を通じてしまうのだが、男のお目当てが病気の乳母などではなく、初めから隣家の女の方だと判っていれば、「隣をかりて」にも「車引こむ」にも、次々と人物・状況の着せ替ができる。俳諧の俳諧たる所以だ。

源氏が網代車を入れさせたのは尼君の門だが、これは夕顔の宿から云えば隣家、尼君とその子惟光は隣人である。そればかりではない、「隣を借りて車を引込」んだのは源氏よりもむしろ夕顔の方だ、というところまで読取の興はひろげられよう。
病人が恋の取持をすると云うはこびの考え方も面白いが、
夕顔は
「山の端-源氏-の心も知らで行く月はうはの空にてかげや絶えなん」
と詠むような「いとあはれげなる」風情の女である。そういう女が男を引入れるときは、恋の手引から車寄せまですべて隣に頼る、という世相・人情の諷刺がいっそう面白く利く。俳諧師なら、ユウガオの蔓は中垣を越えて隣へ伸びたがる、と気付かぬ筈がない。深養父の俳諧歌が、そのまま「夕顔の巻」の垣覗きの好心にも当嵌る、と。


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枯草ふかう一すぢの水涌きあがる

2008-07-01 15:09:55 | 文化・芸術
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―山頭火の一句―

大正6(1917)年の句、「人来り人去る 十一句」と前書あり。

前年の春、破産出郷、山頭火は妻子を連れて熊本へと落ちた。
「寂しき春」前書した「燕とびかふ空しみじみと家出かな」は出郷の折の句。

熊本ではまず古書店を営むもうまくゆかず、やがて「雅楽多」の屋号で額縁屋の店を開いた。額縁や複製絵画、肖像やブロマイド、絵はがきなどを扱う。

明治天皇の肖像を額に入れて、小学校などを廻って売り歩いたりもするようになって、店番は妻サキノに任せきりにして、彼はもっぱら額縁売りの、道ゆく行商人となった。


―温故一葉― 遊劇体の鏡花世界「山吹」を観て

前略、昨夜は「山吹」拝見、お招きの程どうも有難う御座いました。
泉鏡花の世界にどういう造型や形象をするのかと、一度は観てみたいと思っていた遊劇体の舞台を、これまた未だ足を踏み入れていない、廃校となった難波の精華小学校を劇場化、2004(H16)年からopenしている精華小劇場での公演、という取合せに思わず食指が動かされたようで、日頃の重い腰もなんの、気もそぞろに出かけていった次第。

まずは演出氏の-「夢幻能」として-の謂、よくよく腑に落ちるものあり。
舞台に妖しげに咲く花弁を象った9つの方形の台座は、金剛界曼荼羅図をも想起させ、「南無遍照金剛」と唱和する声明とともに、この劇宇宙の地平を明瞭に象る形象としてお見事でありました。

その9つの台座に、時-話-の移りに応じ演者もまた移れば、白山吹が蓮の花にも見紛うか、まるで蓮の台座に鎮座する仏や菩薩の如くにも映り、座の移りは輪廻転生を孕んで、極限にまで「事」の劇性を強めましょう。

舞台空間を曼荼羅と化した9つの台座とその周辺、いわば明瞭に図と地に分け隔て特権化したこと、言い換えれば空間に大きな負荷をかけたことは、人物それぞれの形象の仕方にも自ずと方法的自覚を強いるものとなります。

シテ「縫子」、ツレ「傀儡師」、ワキ「画家」という登場人物の三様にあって、「縫子」を「声」と「振り」に分離し、「振り」を人形振にしたのも、ツレが「傀儡師」であってみれば物語の必然ともみえ、またその様式の徹底をめざせば自ずと生まれ出るものだったとも云えるでしょう。この場合、演出氏の方法的模索が実際には逆の過程であったかとも思われますが、そんなことはどうでもよいこと。

いずれにせよ、台座の上の「振り」としての「縫子」に負わせた人形振の加圧が、エロティシズムの止揚に大いに寄与したものとみえ、ひとかどの方法や技術では手に負えそうもないこの戯曲を、本歌取りの体よろしく換骨奪胎、ここまで舞台化しえた演出の冴えに感じ入りました。

声と振りの分離は、「縫子」の声をさらにまた分離させうるものとなり、「外面如菩薩内面如夜叉」の如き陰陽対照の二者ともなり、さらにはコロスとへ化し、ジェンダーそのものにまで拡げえることとなります。

コロスと化し、ジェンダーそのものにまで普遍化された「声」、その朗誦の術は、これまたきわめて方法的自覚に裏付けられねばなりませんが、条あけみと大熊ねこの朗誦はその自覚によく練り込まれたものであり、その対照はなかなか見事なものでした。惜しむらくは、要となる箇所において「声」をも発した「振り」におけるこやまあいの、二人-条・大熊-の声を吸収しつつ止揚せねばならぬその「身」振りにはまだまだ遠く未熟さが露呈していたことです。しかし、これは至難の技というもの、体現しうる女優を見出すのもかなり至難なこといわざるをえないでしょう。

この舞台、抑制された様式性をよく貫徹された演出であった、と思います。
私とすれば、滅多にないよきものを観た、との思いを抱いております。

取り敢えずお礼に代えて。 2008.07.01 -四方館/林田鉄


「遊劇体」のキタモトマサヤ君と逢ったのは、もう十年近くも前になろう、「犯友」-正式には「犯罪友の会」-の武田君ら関野連の祝祭の一夜であったろうか。
おそらくどちらも人見知りの強い性格なのだろう、とくに話し込んだという記憶もない。

しかし、その以前から「遊劇体」の公演案内はそのたびに送られてきていたように思う。時に食指を動かされる案内もいくつかあったのだが、ずっと機会を逸したまま今日にいたってしまっていた。

とりわけ、彼らが泉鏡花を舞台化するようになって、女優の条あけみも常連となって出演しているのも重なり、これは一度は観ない訳には、と思っていたところ、精華小劇場での案内を貰って、この機会は逃すまいと思ったのである。
と、そんな次第で、とうとう昨夜、キタモトマサヤ君の「山吹」とご対面となった。

いい舞台だった。
方法的意識に貫かれた彼の演出は、その抑制された様式性に結晶している。
演者たちも、よく演出に応え、アンサンブルがとれていた。

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