―四方のたより― 山崎旭萃三回忌追善の琵琶の会
琵琶界で唯一の人間国宝だった山崎旭萃嫗が逝かれたのが06年の6月5日、1906(M39)年の生れだったからちょうど100歳の大往生であった。
その三回忌追善と銘打って「筑前琵琶橘会全国演奏大会」が、明後日-7/6-の日曜日、ご当地日本橋の国立文楽劇場で行われる。なにしろ全国大会とあるだけに、演目は二部に別れ全27曲、総勢140名におよぶ出演者が全国各地から寄り集う。
開演は午前11時からで、終演は午後5時頃になるもよう。
入場は無料だし、初見のお客も歓迎とか、長時間にわたるゆえ、始めから終わりまで日長一日客席に座すのはきつかろうけれど、ちょっと摘み食いよろしくお出かけあるも結構かと。
末永旭濤ことわが連合い殿が師事する奥村旭翠の一門は、開催地にあたり事務局も兼ねるとあって、幕開きと大詰めのトリをつとめるが、連合い殿は初めの演目「那須与一」を門下の11名とともに合奏することになっている。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「鳶の羽の巻」-26
うき人を枳殻垣よりくゞらせん
いまや別の刀さし出す 去来
別-わかれ-
次男曰く、「隣をかりて車引こむ」と同じく、「いまや別の刀さし出す」も単独では恋とは読めぬ作りである。打越以下三句、芭蕉が凡兆と結んで二句恋とした作りを、去来はほどいて恋離れとした点に工夫がある。
「刀」切-縁切-を匂わせたところがみそで、武士らしき男と女とのこの後朝は、単なるきぬぎぬではない、恋じまいだと読取らせる。
俤の付をここまで伸して考える必要はないが、六条御息所と源氏の間にも別れがある。そう思い出させるように話が運ばれているから、「別の刀さしだす」というひねりが、俳言として面白く利くだろう。源氏物語のほうはむろん歌の贈答だ。
「振り捨てて今日は行くとも鈴鹿川八十瀬の波に袖はぬれじや –源氏-」
「鈴鹿川八十瀬の浪にぬれぬれず伊勢まで誰か思ひおこせん –御息所-」
「賢木の巻」には、六条御息所が斎宮-御息所の娘-の随いて伊勢へ下る顛末が、詳しく描かれている。上の贈答は、例によって焼棒杭に火のつきかける男女の仲のことがくどくどと語られたあとで、「-源氏-行く方をながめもやらんこの秋は逢坂山を霧なへだてそ 西の対-紫の上の対屋-にも渡り給はず、人やりならず物さびしげに、ながめ暮らし給ふ。まして旅の空は、いかに御心づくしなる事多かりけん」と結んでいる。
当歌仙では、相手を送り出したあと物思いに耽るのは男ではなく女のほうである、と。
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