山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

せはしげに櫛でかしらをかきちらし

2008-07-05 17:32:18 | 文化・芸術
Mulacia00

―表象の森― 鉄工所のなかの木造りの館-MULASIA

大阪市の西区、九条界隈は、嘗て小さな鉄工所が集積、軒先を並べる街であったが、いまはもうその数、往時の半分いや1/3にも減少したであろうか。

現在、阪神西九条駅と近鉄難波を結ぶ阪神電車西大阪線の延伸工事が来春-09年-の開通をめざして急ピッチで進められており、安治川を高架で越えてくる鉄路が地下へと急降下していくその入口あたり数百㍍にわたって、セミシェルター型という大仰な防音壁で囲われた偉容とも異様ともつかぬ現場の姿を、何日か前偶々まのあたりにし、この延伸による小さな街区の分断がもたらすであろう近い将来の変貌に想いを馳せては、些か憂鬱な気分に誘われたものである。

その突貫工事の進む近くに、外観は二階建ての鉄工所の姿そのままに、一旦内へ入ると寺の本堂かあるいは神殿かとも見紛う丸太造りの空間が静かな佇まいを見せ、突然異空間へ迷い込んだかと思わせるような場所、Free Space Mulasia-自由空間ミューラシア-がある。

此処のownerをよく知るという谷口君を煩って案内を請うたのだが、Event Spaceとしては01年からopenしたというのに、聞けば教室程度の用にしか供されていないという実情で、owner曰く近隣周辺に配慮し、夜の活動は午後7時を限りに自粛しているという。

自身民俗楽器などのPercussionistでもあるownerとしては、建設当初はイベントなど文化の発信基地として構想もし、musicianとしての自身の夢も紡ぎゆこうと、大いにこの場所に仮託されていたろうに、いまださして使い込まれもせず、いかにも町場の鉄工所然とした外壁の中に、隠れるようにしてひっそりとある白木の匂いを立ち籠める瀟洒な、人知れずこの埋もれゆく空間に、なんと侘しくも勿体ないことをと唖然としつつ慨嘆することしきり。

どうやら、あらためてこのSpaceを活かしていくには、なによりもowner自身の意識改革が必要かと思われるのだが、はて‥、どうしたものか。


<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「鳶の羽の巻」-27

   いまや別の刀さし出す  

  せはしげに櫛でかしらをかきちらし  凡兆

次男曰く、二句一意、前句の人-女-の付だが、別れに寄合の語は刀よりむしろ「櫛」だろう、と見咎めたところに俳がある。

むろん、前句が「刀さし出す」と作った意味-恋離れ-を承知した上でのことで、ならば重ねて「櫛」を差し出す-投げ捨てる-訳にもゆかぬから、「せはしげに」「かしらをかきちらし」てみよう、と思付いたのが俳諧師の俳諧師たる転合ぶりだ。前句が「いまや別の」と仄めかした男への未練を、具体的な物と動作で受けた表現でもある。

櫛は古来呪術的性質を持ったものとして扱われ、投櫛は別れの凶兆として嫌われた。また平安・鎌倉時代には、伊勢斎宮の出立に際して天皇自ら斎宮の髪に櫛を挿し与える、「別れの御櫛」の慣しがあった。これは凶を転じて、神霊の加護を頼む呪いとしたものだろうが、「賢木の巻」にもむろん出てくる。

「‥帝、御心動きて、別れの御櫛たてまつり給ふ、いとあはれにて、しほたれさせ給ひぬ」

凡兆の句作りの思付と無縁ではない、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。