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<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「梅が香の巻」-02
むめがゝにのつと日の出る山路かな
処々に雉子の啼きたつ 野坡
処々-ところどころ-に
次男曰く、景気を付添えた脇である。景気は景曲とも云い、広義にはいわゆる景色のことだが、鎌倉時代の二条家歌論書「愚秘抄」に、
「見様体-平淡にして見たままの体-と面白体と多分同様なるべし。さればおもては見様を先として、底に面白体を兼たらん歌を景曲とは申すべきにこそ」とある。
芭蕉も、「発句に云残したる景気を言添たるをよろしとす」-初懐紙評注も貞享3年-と云っている。
雉子は、古俳書では初もしくは仲春に扱っている。野坡の付句は、当季当月を継いだとも、やや先へずらして陽気を強めたとも、いずれに解してもよいが、羽音高く、声勇ましく、日の出を得てあらためて匂い立つ観ののある景曲をよく言添へている。
句に誘われて眼を遣れば開花はまだ枝の「処々」、さればこそ梅が香だと嗅覚をまず視覚に移してから、あらためて山路の景物に気付いたふうに作っている。
「雉子の啼きたつ」は「のつと日の出る」のひびきだが、野つ鳥とは雉子のことである。
「万葉集」巻16の長歌に「‥春さりて 野べをめぐれば おもしろみ 我を思へか さ野つ鳥 来鳴きかけらふ‥」、転じて「のつとり」は雉子の枕詞として用いられ、
同巻13には「こもりくの 泊瀬の国に さよばひに わが来れば たな曇り 雪はふり来 のつとり 雉はとよむ 家つ鳥 鶏も鳴く さ夜は明け この夜は明けぬ 入りてかつ寝む この戸開かせ」という問答歌がある。
野坡の脇が「のつと」を巧みに「のつとり」に奪って工夫したことは間違いないが、芭蕉の側にも、そう読取らせる期待が無かったとは云えぬ。いかにも「炭俵」風に相応しい思付である。「ぬつと」を「のつと」に取替えた狙いは、客-芭蕉-の手土産の趣向だと見ることができる。開けてみたら造語だった、というところが甚だ洗練されている、と。
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