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Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」
―四方のたより― 今夜はダンスカフェ!
弁天のオーク200でお逢いしましょう。
四方館亭主 林田鉄
―表象の森― Body Gear、角正之の手法
昨夜は、Dance Caféの前日というに、山田いづみからの熱い誘いもあって、角正之君たちの即興Liveを観に出かけた。
場所は阪急六甲駅そばのLivehouse.Maiden Voyage、午後7時に間に合うように六甲駅に降り立ったが、直ぐ開演かと思いきやなんのことはない、開場が7時で、7時30分の開演だった。
二部に分かれた前半は、部分的にDuo partもあったものの、いわば短いsolo集といったもの。角君も含め、小谷ちず子、越久豊子、三好直美、山田いづみの5人5態、各人の踊り方、個別の骨法の如きものがよく覗えて、それなりに楽しめた。
暫時の休憩を挟んで後半は、女性4人による即興だが、時間にして20分ほどか。演奏トリオはVoiceの北村千絵を軸にした編成で一定のまとまりを有するゆえか、一面聞きやすいが、いくぶん意外性に乏しい。
いつも観念的言辞を弄してやまぬ角君だが、その手法、音と動き、そして空間、それらの関係性や組立ての論理は、どうやら形式的論理の思考で貫かれたものらしい。
あくまで即興の、4人のその踊りは、約束事とて僅かなものしかなかったのだろうが、結果としては、ずいぶんと構成的なものになってしまって、前半を些か楽しめただけに期待は膨らんだのだったが、案に相違、裏切られるかたちとなった。
私の眼からすれば、原因ははっきりしている。4人の動きは、それぞれ2人、3人、また全員と、あまりにも即物的、直接的に、絶えず関係を採りすぎた。個々ひとりひとりの動きの世界が生み出され際立っていくなかで、関係の網の目を形成していこうと、そういう視点に立っていないように、どうしても私には映る。即興をとおしてどんな世界を現出せしめるか、志向しているのか、角君のアプローチと私の方法論の違いが、かなりはっきりと浮かび上がってきた、そんな一夜だったように思われた。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「空豆の巻」-17
かれし柳を今におしみて
雪の跡吹はがしたる朧月 孤屋
次男曰く、根雪かそれとも春雪か、はだらに土の覗くあたりに朧月がさしている、という眺めである。積った雪を風が吹起したとも読めぬことはないが、それなら「雪の跡吹きはがされし朧月」と云えばよい。さてはあの雪を吹きはがしたのは朧月であったか、と見立てるところに俳趣を生む作りである。したがってこの「朧月」は、単に俳諧特有の投込の技法というのとも違う。
孤屋が月の座をこぼして花の跡見とした成行は先に述べたとおり。「雪の跡」と加えて雪月花三位の興の設けとしたところが洒落た工夫で、月花一所のつとめは歌仙に間々見かけるけれど、こういうはこびは他に例がない。古い歌にも雪月花を合せ詠んで成功した例は稀であるから、猶のこと眼にとまる、と。
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