―世間虚仮― 振込め詐欺、やっと減少傾向
本日、’09年版の警察白書が閣議に報告された。
‘04年以降、毎年250億円超の被害を出してきたという振込め詐欺、その検挙率-‘08年-は全刑法犯に比し10point低く21.5%にとどまっているそうだ。犯人らの検挙をすれどもすれども、手口の多様化や巧妙化も相俟って一向に被害は減らず、まるで鼬ごっこのごときこの数年間だったが、今年上半期-1~6月-の被害は昨年同期比で3分の1と減少傾向を示しており、年間換算では100億円超の見込みとか。
この数年、日常茶飯化した振込め詐欺の蔓延が、もっぱらターゲットにされてきた世の高齢者たち、好々爺の謂のごと、心穏やかによき人と余生を過ごすべきすべての人々を、警戒や猜疑心をつのらせてはどれほど暗澹とした気分にさせてきたか。それを思えば、詐欺とはいえこの犯罪、このうえなく非道のものと断罪されるべきだろう。
―四方のたより―今日のYou Tube-vol.25-
今日のVideoは、’08年アルティ・ブヨウ・フェスティバル参加の「KASANE Ⅱ-襲-」
ベースは例によってImprovisation Danceだが、一部に構成振付を施したもので、
全体は21分余あり、3Sceneに分割してuploadした。
「KASANE-2-Scene.1-in Alti Buyoh Festival 2008」
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「空豆の巻」-24
着のまゝにすくんでねれば汗をかき
客を送りて提る燭台 岱水
次男曰く、「着のまゝにすくんで」寝るのは商人の旅寝の体だけではない。取込事の最中、予想できる変事に対する備え、などと考えてもよい。
人の出入があると見定めた場の転、人物の取替だが、前句に寝た人の姿があればこれを起すのは付句の自然であるから、「送りて」とまず地拵えをしている。送る人は家人か従者か。その家の主でもよい。工夫が「提る燭台」にある。
灯火具を油皿、蝋燭、松材のいずれを用いるかによって灯台、燭台、松明に分ければ、短檠-たんけい-や行灯は灯台、手燭や掛燭や雪洞は燭台である。提灯も手燭の工夫と見てよいだろう。脂燭、篝火は松明の一種である。
これらの名称のなかには岱水の句に取入れて用いてよいものがいくつもあり、なかでも短檠などは口調の良さは燭台にまさる。「客を送りて提る短檠」と作れば、なかなか洒落た表現になる。なぜ、わざわざ「提る燭台」と作ったのか、と考えたくなる。
云わんとするところはどうやら裸灯らしい。「着のまゝ」との対照である。「すくんで寝る」に対して、形状の直なる印象も伝えたいらしい。「燭台」はここでは手燭である。
燭台が用いられるようになったのは鎌倉時代末頃から、はじめはもっぱら置燭台で社寺の用だったが、近世以降一般にも普及し、手燭もその頃からのものだ、と。
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