(この文章は2011年4月に書いたものです。今頃載せていいものかどうか迷いましたが、このブログは私にとっての備忘録ですし・・・それに子どもの病気の話もからんでいるので、載せさせていただきました。
被災地の復興と、被災された方々の心の復興を、心よりお祈り申し上げます)
お久しぶりです。
まさか、こんなタイトルをつける日が来るとは、思ってもみませんでした。
悪夢としか思えないような大災害がおきてしまって・・・ブログなんかで、ちんたら愚痴を並べていた自分がいかにぜいたくだったかと思うと、本当に恥ずかしく、当分、記事を書くことなんかできないんじゃないかと思っていました。
それが、あれから半月以上たった今、こうして再びパソコンに向かっています。
理由は、子どもたちがすごくこわがっているので、絵本みたいなものでも作れないかと思い、でも手書きで文字を書くと、いまいち説得力がないような気が・・・そうだ、ブログの画面を使って、そのまま印刷しちゃおう。
なんていう、きわめて個人的な事情。ま、いいですよね、個人のブログなんだから。
当日、関東地方にある我が家では、震度5強の揺れでした。
3月11日。
夏坊が熱を出したという連絡を受けて、お昼に幼稚園まで迎えに行った日。
で、その後、冬坊が学校から帰宅。
チュチュ(同居している私の母)は外出中。
小児科の受付が3時からだったため、冬坊をおいて、ふたりで出かけようと決めたところだったんです。
ひとりでお留守番させたことは一度もなかったんだけど、チュチュがすぐに帰ってくる予定だったし、本人も平気だというし、たまにはいいかなと思って。
それが・・・出発直前の大揺れ。
とにかく、食器の割れる音がすごかった。
といっても、棚の中でワイングラスやコーヒーカップが落っこちただけで、床に飛び散ったわけではなかったんですが、ふだんそんな音を聞いたことがないので、本当にびっくりしました。
それと、私たちがいた1階リビングの真上の部屋で、大きくて重いクリスタルの花瓶がみごとに砕け散り、その音や振動が下まで響いてきたような・・・。
夏坊は私の膝枕で寝てたんですが、揺れるたびに(3回くらい揺れましたよね)こわがって、大号泣でした。
冬坊は、おぜんの下に飛び込んで、必死に我慢してました。しがみついてくると思っていたのに。
揺れがおさまったので、がんばったことをほめてあげると、うれしそうに、
「ぼく、夏坊のこと、まもってあげる」
かなりの背伸び発言だと思うけど、あの、甘えん坊の冬坊が・・・。
成長を実感した瞬間でした。
子どもって、ちゃーんと成長していくものなんだなあ・・・。
それにしても、冬坊をひとりでおいていかなくて、本当によかった。
あと10分遅かったら、出かけてしまったところでした。
あんな家の中にひとりでいたらと思うと・・・考えただけでぞっとします。
ちなみに外出していたチュチュは、電車が止まってしまったものの、バスが動き出したのでなんとか家に帰り着きました。
ダンナさんはバイク通勤なので、足には問題なかったんですが、職場待機命令ですぐには帰れず、遅くなって帰宅。
無事に帰ってきてくれて、よかったよかった。
その日はさすがに病院に行く気になれず、家にいたのですが、夜には夏坊の熱が39.6度まで上昇。
熱さましがあったのでそれを飲ませて、翌日の土曜日、ようやく受診。
インフルエンザではないという検査結果だったので、扁桃炎の薬をもらって帰宅。
午後には熱も引いてきて、翌日曜日はさらに元気で、ひと安心。
・・・・・と思ったら、月曜の午後から、再び熱が。なんで~?
またしても夜に39度で、火曜日に再検査してもらったら、今度はばっちりインフルエンザ判定。なんで~??
タミフルを2回飲み(あれを飲ませるのって、四苦八苦しますよね・・・)、水曜の朝には熱も引き、念のためにもいちど受診して、胸の音とか聞いてもらってオーケーだったのに。
午後からまたもや発熱。
小児科に電話したら、気管支肺炎かもしれないから、総合病院に行きなさいという指示が。
な、なんか、「感染症いろいろ」の続きみたいだな・・・。
ダンナさんが早く帰宅したので、夕方連れて行きました。
幸い肺炎で入院というほどにはなってなくて、点滴と別の薬を出してもらって帰宅したのが夜9時過ぎ。
薬を飲ませるのに、またもひと苦労。
そして、翌日・・・・・治りました。今度こそ。
ああ、長かった。
このかん、何が不安といって、何度も何度も余震がくるし、いつ停電になるかわからないし、近くの病院も停電を警戒して午前中しか診察しないというし・・・。
ちゃんと病院に行けなかったらどうしようって、本当に心配でした。
もちろん、こんな不安、被災地に較べたら悩みのうちにも入らないようなものだとわかってはいるんですけど・・・。
でも、やっぱり、子どもたちにはかわいそうな経験でした。
夏坊がいつものように元気いっぱいなら、一緒に遊びまわってストレス発散できたのに、ぐったり寝てるものだから。
夏坊にしてみれば、こわいプラス具合が悪い。
冬坊は、家の中が「いま寝てるから、静かにしてて!」みたいな雰囲気になってしまって、はしゃぐことができず。
冬坊はいまだに、
「金曜日に地震あった」「いま、揺れてる?」
なんて発言するし、しょっちゅうハグを求めてきます。
夏坊は病気も治って元気全開だけど、なんの脈絡もなく、
「おねつでたとき、じしんあった」なんて発言。
先日、夏坊がおやつを食べていたので、私ひとりで2階に洗濯物をほしにいってたら、ギャンギャン泣き喚く声が階下から。
あわててとんでいったチュチュによれば、おぜんにもぐって、「じしんがこわい~」と泣いていたそうな。
余震も何も、なかったはずなんだけど。トラウマになっちゃったのかなあ・・・。
私はもともと地震がこわくて、ふだんから防災袋を常備しているタイプです。
だから今回のことでよけい神経質になってしまい、それが子どもに伝わっているんじゃないかと思うと、なんか責任感じてしまいます。
が、ダンナさんは幸いにも、ほとんどこわがっていません。
その根拠は、「余震は本震より大きくないから」。
なんてポジティブ。私なんか、次は誘発されて東海地震?とか心配しているというのに・・・。
チュチュも心配してはいるものの、案外平気みたい。
戦時中に引き揚げを経験した世代。やっぱり、鍛え方がちがいます。
大人がビクビクしていないのは、子どもにとっては心強いことですよね。
ただ、テレビが強烈なのには困っています。
どう考えても、刺激が強すぎますよね。
なるべく見ないようにさせたかったけど、消すのも不安だったりして、なかなか・・・。
テレビといえば、朝日新聞の投書欄に、「各局で被災地域を分けて報道したら、もっと細かい情報がわかる」というのが載っていました。
同感です。どこを見ても、同じことばかりやってるんだもん。
うちでは、NHKを見ることが多いんですが、NHKにもこの際ひとこと。
キャスターやゲストが深刻な顔で同情の言葉を並べるのもいいけど、「心配ですよね」というその何秒かで、ほかの有益な情報が流せるんじゃないでしょうか?(「朝イチ」のことだ。ふだんはけっこう役立ってるのに)
せっかく専門家をスタジオに呼んでいても、会話の一部みたいにしゃべっていると、要点がぼけて説得力がなくなると思うのは私だけ?
個人の感想は、最小限でいいと思うんですよ。
それよりも、たくさんの情報をわかりやすく伝えることだけ考えて欲しい。
たとえば、「きょうの健康」みたいな番組作り。箇条書きにしてボードにまとめたり、イラストをまじえて解説したり、Q&Aを徹底したり。
先生が、不安がっている生徒に講義しているように、シンプルに、ていねいに。
30分の講義をすれば、かなりのことが言えますよね・・・。
番組を見ていても、いつ知りたいことを取り上げてくれるのかわからなくて、ずっとテレビの前にいなきゃならなかったし、やっと取り上げられたと思ったら、あっというまに通り過ぎてしまったりして・・・けっこうイライラしてしまいました。
先日、教育テレビでリラクゼーションのやり方を解説していて、すごくわかりやすくて感心したんですが、夜11時前の10分くらいの番組でした。
あれを見ている人って、あんまりいないのでは?
もったいないなあ。ああいうのこそ、ゴールデンタイムにやってくれればいいのに。
毎日時間を決めて、リラックスする方法とかを流したら、ほっとする人多いと思うんですが・・・。
いかん。テレビに対する小言を並べていたら、止まらなくなってしまった。
ほんとは、今回のことは「おまけのひとりごと(番外)」として短く書くつもりだったんですよね。
なのに、下書きを始めてみたら、止まらなくなっちゃった。
人間って、落ち着いてくると表現したくなる生き物なんですね。
歌や音楽、ドラマにマンガ。
しょせんはすべて作りごと、現実の前にすべては無力なものなんだって、震災直後は思ったけれど・・・。
避難所のラジオから、アンパンマンの主題歌がくりかえし流れて、子どもはもちろん、大人も勇気づけられているという話。
新刊の入ってこない本屋さんで、1冊の少年ジャンプ最新号が、ボロボロになっても回し読みされているという話。
・・・やっぱり、必要なんですね。時間がたってくると、そういうものが。
異常気象みたいに、3月過ぎてもまだ寒さが続いているこのごろ。
本当に、すべてのかたに、1日も早く春が訪れることを願います。
そして、長い文章におつきあいくださった皆さん、くれぐれも、お元気で。
ご自分を大事になさってくださいね。
おわり。どうもありがとうございました。