百日紅の思い出

 よく通る道の角の家に、百日紅がきれいに咲いていた。落ち着いた色の家の、塀の上から枝がかたちよく放射状に広がって、濃い紅色の花があふれるようについていた。「百日紅」という名前のように、夏の初めから夏の終わりまでの長いあいだ、暑い日の下で鮮やかな花を咲かせている。
 ここへ引っ越す前の家には、小さな庭に、百日紅の木があった。この角の家の木のようにきれいな形ではないし、花ももう少し薄い色だったが、この道を通るたびに思い出すのである。やっぱり今年も、咲いているのだろうと思う。
 最初の年には、まだ木もそれほど高くはなくて、庭に面した台所の窓から、ピンク色の花の咲いているのが見えた。その家には5年いたのだけれど、最後のほうの年になると、木がどんどん高くなってしまっていて、梢の先についた花が、家の中からは見えなくなった。夏の初めに、今年はまだ咲かないのかしらと思っていたらじつはもう木のてっぺんに花の塊がついていて、縮れた花びらが地面に落ちているのを見つけて初めて、花の咲いているのに気がついた。
 「サルスベリ」というけど、猿どころか猫でも登れて、みゆちゃんはよくこの木に登った。その枝の上から塀を乗り越えて外へ出て行く脱走経路になっていた。脱走しないよう、木の幹に猫返しを取り付けては破られ、また新しいのを取り付け、破られ、みゆちゃんと知恵比べだった。
 前の家は、古くて、ねずみは出るし、お風呂も極端に狭いし、冬はじんじんと冷えて寒かったが、いろいろな思い出もできた。車にはねられて瀕死のみゆちゃんを拾って帰ったのもその家である。
 そこに住んでいたあいだはなんとも思っていなかったけど、今は、夏に元気そうに咲く百日紅の花がきれいだと思う。新しい家には百日紅の木がないから、道の角の家にある濃い紅色の花を見るのが楽しみだったのだが、少し前に植木屋が入って、まだ花が散るまでには少し間があると思うけれど、花のついた枝を全部、切り落としてしまった。
 隣のお家では、まだ白い百日紅の花の塊が枝の先で揺れているけれど、角の家の木は、一足先に冬支度をしたようで、うろこ雲の下に寒そうな姿をしている。

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百日紅の絵を描くのに、実物をスケッチしたいと思って、どこの木を描こうと考えたところ、実家の裏庭にも一本あったのを思い出した。地面から出てすぐふたつに枝分かれした幹が斜めに伸びていて、足をかけやすい樹形だったから、猿もすべる木に登れた、と子供の頃得意がって登ったりした木だった。
 実家に行って、窓から庭にあるはずのピンク色の花を探したが、いつのまに大きくなったのか、隣にあった山紫陽花が茂っているばかりで、見当たらない。母に、百日紅はもうないの、と聞いてみたら、もうだいぶ前に、うどん粉病か何かにやられて枯れてしまったということだった。知らなかった。
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