巡礼しようと、なんど真剣に考えたか知れぬ。
ひとり旅して、菅笠(すげがさ)には、同行二人と細くしたためて、私と、それからもう一人、道づれの、その、同行の相手は、姿見えぬ人、うなだれつつ、わが背後にしずかにつきしたがえるもの、水の精、嫋々(じょうじょう)の影、唇赤き少年か、鼠いろの明石(あかし)着たる四十のマダムか、レモン石鹸にて全身の油を洗い流して清浄の、やわらかき乙女か、誰と指呼(しこ)できぬながらも、やさしきもの、同行二人、わが身に病いさえなかったなら、とうの昔、よき音(ね)の鈴もちて曰(いわ)くありげの青年巡礼、かたちだけでも清らに澄まして、まず、誰さん、某さん、おいとま乞いにお宅の庭さきに立ちて、ちりりんと鈴の音にさえわが千万無量のかなしみこめて、庭に茂れる一木一草、これが今生(こんじょう)の見納め、断絶の思いくるしく、泣き泣き巡礼、秋風と共に旅立ち、いずれは旅の土に埋められるおのが果なきさだめ、手にとるように、ありありと、判って居ります。
そうして、そのうちに、私は、どうやら、おぼつかなき恋をした。
名は言われぬ。
恋をした素ぶりさえ見せられぬ、くるしく、口くさっても言われぬ、不義。
もう一言だけ、告白する。
私は、巡礼志願の、それから後に恋したのではないのだ。
わが胸のおもい、消したくて、消したくて、巡礼思いついたにすぎないのです。
私の欲していたもの、全世界ではなかった。
百年の名声でもなかった。
タンポポの花一輪の信頼が欲しくて、チサの葉いちまいのなぐさめが欲しくて、一生を棒に振った。
太宰 治 『二十世紀旗手』 (3唱 同行二人)
ひとり旅して、菅笠(すげがさ)には、同行二人と細くしたためて、私と、それからもう一人、道づれの、その、同行の相手は、姿見えぬ人、うなだれつつ、わが背後にしずかにつきしたがえるもの、水の精、嫋々(じょうじょう)の影、唇赤き少年か、鼠いろの明石(あかし)着たる四十のマダムか、レモン石鹸にて全身の油を洗い流して清浄の、やわらかき乙女か、誰と指呼(しこ)できぬながらも、やさしきもの、同行二人、わが身に病いさえなかったなら、とうの昔、よき音(ね)の鈴もちて曰(いわ)くありげの青年巡礼、かたちだけでも清らに澄まして、まず、誰さん、某さん、おいとま乞いにお宅の庭さきに立ちて、ちりりんと鈴の音にさえわが千万無量のかなしみこめて、庭に茂れる一木一草、これが今生(こんじょう)の見納め、断絶の思いくるしく、泣き泣き巡礼、秋風と共に旅立ち、いずれは旅の土に埋められるおのが果なきさだめ、手にとるように、ありありと、判って居ります。
そうして、そのうちに、私は、どうやら、おぼつかなき恋をした。
名は言われぬ。
恋をした素ぶりさえ見せられぬ、くるしく、口くさっても言われぬ、不義。
もう一言だけ、告白する。
私は、巡礼志願の、それから後に恋したのではないのだ。
わが胸のおもい、消したくて、消したくて、巡礼思いついたにすぎないのです。
私の欲していたもの、全世界ではなかった。
百年の名声でもなかった。
タンポポの花一輪の信頼が欲しくて、チサの葉いちまいのなぐさめが欲しくて、一生を棒に振った。
太宰 治 『二十世紀旗手』 (3唱 同行二人)