『 死は生の対局としてではなく、その一部として存在している 』
村上春樹 『 ノルウェーの森 』。
昔、『 メビウスの輪 』というのを小学生だったか理科の実験で教わりました。
注釈:【メビウスの帯は、1858年に、ドイツのライプツィヒの数学者アウグスト・フェルディナント・メビウスと、同じくドイツのフランクフルト・アム・マインの数学者ヨハン・ベネディクト・リスティングが、それぞれ個別に発見した。】
紙テープを輪にして糊付けします。
その紙が仮に道(人生と云っても構わない)だとして一匹の蟻を置いて、その蟻が歩いていくと一周回ってまた元の位置に戻ります。
でも蟻は裏にある、もう一つの道の存在を永遠に知ることはありません。
こんどは、その紙テープをひと捻りして糊付けすると、蟻は表も裏も繋がりながら永遠に歩くことができます。
このひと捻りが蟻にとって、この世に鏡像の世界があることを教えます。
長く患う人を近くで看ていると、死というものへの恐怖心が薄れていきます。
それはいけないことでは決してなくて、むしろ自然に自分のなかに受け入れていくという感覚です。
若いころは死に恐れを持っていました。
死というものがこの世に存在しないから、誰もその存在を体験したことがない未知のものだったからかもしれません。
同じようにどれだけ長生きするより、短くてもいかに生きることのほうが大切なんだ、などと考えたりもしました。
でも、今はすこし違います。
人の世話になってもいいのじゃないか、何もすごいことや特別なことを成し得なくてもいいのじゃないか。
患って朽ち果てるように生きながらえても、いいのじゃないかなどと思っています。
毎夜、母親を寝かせ終えたあと聞き取れないほどの、でも何とか僕に思いを伝えようとする 『 ありがと… 』 の母の声が今日も聞けたことへの感謝の気持ちが自分の胸に生まれはじめています。
ほんの少し心のなかで紙テープをひと捻りすれば、死はそれほど怖くも悲しいものでもないのかもしれません。
明日も今日とおなじように生きていこう。