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雀庵の「常在戦場/111「男の人生は女房次第のような・・・」

2021-11-13 11:24:32 | 日記
雀庵の「常在戦場/111「男の人生は女房次第のような・・・」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/391(2021/11/13/土】カミサンから「あなたの趣味はナーニ?」と聞かれた。昔だったら「ボクの趣味はキミ」と言ったかもしれないが、「まあ、哲学みたいなものかなあ・・・いかに生きるべきかとかを考えたり・・・人それぞれだから、解はないけれど」と答えた。


彼女は精神科の看護婦で、今は外来に来る新規患者に症状を聞いて受け入れるかどうかをチェックするのも仕事になった。暴れるような重度の心神喪失者や、治療に際して家族の協力が得られない患者を受け入れる体制がないため、問診チェックが必要なのだという。


カミサン「哲学ねえ・・・リアルと理想の間で振幅するけれど・・・」
小生「不安定と言えば不安定だけれど・・・晴れたり曇ったり・・・まあ、人生、そんなものだろう。精神病棟の患者は女が男の2倍もいたけれど、あれは何なんだろう」
カミサン「女ははけ口がないので不安になったり、病気になったりしやすいのよ」


はけ口、ガス抜き、気晴らし・・・男は仕事帰りの居酒屋とか趣味とか癒しの場があるが、奥さんは外職(そとしょく)と家事の両方をこなすという、1965年あたりから(マスコミが煽って)普及させた“二刀流”で負担が大きいため、肉体、精神が痛みやすいのだろう。無理を通せば健康が引っ込む。


男は外に出て仕事、女は留守を守って家事育児・・・大昔からの役割分担。小生は単独でネタを拾う記者家業も好きだし、みんなで分業でかき集めたネタを一本の記事にするアンカー、デスク、編集長、さらにレイアウトの仕事も好きだ。家事(主に料理と大工仕事)も趣味のように好きである。


ただ、外職と内職(うちしょく、家事、家政)の両方を十分にこなすのはまず無理だと思う。キャリアウーマン(キャリさん)なんていう言葉がはやり始めた1980年頃に旅行業を起業した才女がいて旅行業界で注目されたが、母上が家事育児を面倒見ていたようだった。


当時、アメリカでは旅行会社のトップは女性が男性を上回っていた。「さすが米国は進んでいるなあ」と感心していたら、旅行業は余りにもの薄利で「一家を支えるに足りぬ仕事、小遣い稼ぎだから女が多い」のだと知った。


確かに日本の旅行小売店(トラベルエージェント)の粗利はたったの10%(チップ並)、売上高経常利益率がたったの0.4%(中小企業庁によると小売業は1.5%が普通)。つまり駅前一等地に店舗を構えてカップルに100万円のハネムーンツアーを売っても、委託販売だから売上として計上できる粗利は10%の10万円、家賃や人件費などコストを引いて手元に残るのはたったの400円!


旅行小売店の店員は派遣社員の女性が圧倒的に多いが、人件費が低くて、かつ2年契約などで人員調整(解雇、採用)しやすいためだろう。20代までとかの年齢制限もあるようだ。そういう業界だから末端の添乗員などは「好きじゃないととてもやっていけない」と自嘲する人が多い。


結局、日本では、デキル女性はいるけれど、パートなど小遣稼ぎの女性や結婚するまでの社会経験、腰掛けという女性が圧倒的に多いのではないか。要職に就くようなデキル女性は残念ながら子供は概ね少ないし、パートなどの女性も精々子供は2人程。結局、少子高齢化が進むばかりだ。


一方で旦那は必死で働いても家事まで分担させられる。趣味の家事ではなく義務の家事になった。苦情を言えば「私だって好きで働いているわけじゃないわ、これから子供は高校、大学なのよ、教育費だって大変なんだから!」と暗に稼ぎが少ないことを突かれて旦那は「・・・」。沈黙の春・・・自然も人間も大きな変化を目前にしているような“漠然たる不安”を感じるが・・・


夕べは夢でカフカの「城」と魯迅の「狂人日記」がWで登場して合わせて4時間も迷いっぱなしで、いささか疲れた。寝床で仏教、儒教の本に加えて鎌田東二著「神道とは何か 自然の霊性を感じて生きる」を折に触れて読んでいるが、もう少し「脳みそに優しい癒し系の本」を読んだ方がいいかもしれない。「穏やかな睡眠・成仏に導く珠玉の100冊」なんてヂヂババには売れそうな企画だな。


で、神道。これは実に奥深いようで、「これこれだよ」とレッテルを貼れないで困惑している。「脳みそに優しくない」のだ。神道には「経典」がない上に、生まれた時から空気のように身近に、ごく自然にあるから、改めて「神道とは何か」を考えると言葉にし難い、文字にし難い感じがする。「理性ではなく感性で味わうのが神道」のようだが、シンプルなのに奥行きが深いような・・・まるで円周率みたいに割り切れないで、右か左か、白か赤か、曖昧が嫌いな偏狭ヂヂイは困惑するのだ。嫌な性格、ビョーキ。


夜明けのお日様に手を合わせて「どうぞ今日も筑波、足利、川崎、大和の我が一族をお見守りください、父上、母上、ご先祖さま、お見守りください」と小生はお願いするのだが、これは経典があるわけでも理性や科学に基づいたものでもなく、「感性」「伝統」「習慣」であり、それが神道なのだろうと思うしかない。


ヒンズー教、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教・・・これらを人工的な「経典宗教」とすれば、神道は地球、大地、自然、宇宙への敬意、畏怖、感謝、愛という「原初信仰」で、宗教とはかなり違うもののような気がする。


日本の神道という「原初信仰」を理解し愛した外国人の嚆矢は小泉八雲ことラフカディオ・ハーンらしい。八雲=ハーン。小泉は奥さんの姓(松江の士族、小泉湊の娘・小泉節子)。「八雲会」のサイトから。


<パトリック・ラフカディオ・ハーンは1850年6月27日、ギリシャ諸島のレフカダ島で生まれる。父はアイルランド出身でイギリス陸軍軍医補、母はギリシャ、キシラ島出身。したがってハーンは英国籍(現在でいえばアイルランド国籍)をもつ。


物心ついた頃から少年時代にかけて、父の実家があるアイルランドのダブリンに暮らす。両親の離婚により、母がギリシャに帰ったため、ハーンは大叔母に引き取られ、おもに乳母によって情操教育をほどこされる。乳母によって語られたアイルランドの妖精譚や怪談は、後のハーンの関心に大きな影響を与えた。また、アイルランド南部海岸での遊泳を通して、海への親近感と強い愛着を覚えた。


その後、北イングランドやフランスで教育を受け、19歳の時に単身、渡米する。知人をたよってオハイオ州のシンシナティに行くが、相手にされず、赤貧の辛苦を嘗める日々を送る。第2の父ともいうべき恩師との出会いやシンシナティの新聞社に持ち込んだ原稿が評価されたことから、もの書きとしてのキャリアを開始する。


27歳の時、ルイジアナ州ニューオリンズに移り、地元紙でジャーナリストとして活躍する。同地のクレオール文化(フランス・スペインとアフリカの混淆文化)に関心を持ち、1885年にはクレオールの諺辞典である『ゴンボ・ゼーブ』や世界初のクレオール料理のレシピ集である『クレオールの料理』等を出版する。黒人奴隷によって西アフリカから持ち込まれ、カトリックと融合したヴードゥー教などニューオリンズの宗教文化にも強い関心を示し、旺盛な取材で記事をのこした。


新聞社を退社し、ニューヨークの新聞社の寄稿家となったハーンは、1887年から約20か月にわたり、カリブ海のマルティニーク島に滞在し、人類学者的・民俗学的関心でフィールドワークを行い、生活伝承の採集、生活風景の写真撮影などを行い、1890年にはその成果を『仏領西インドの2年間』として上梓した。


日本への関心は、ニューオリンズ時代の万博での日本館の取材によってすでに熟成されていた。ニューヨークに戻ったハーンは自ら日本取材の企画書を新聞社に持ち込み、1890年4月4日に来日。しかし横浜到着後、契約内容に不信感を抱きそれを解消し、英語教師となる。


前任者が解雇された偶然から、松江の島根県尋常中学校及び師範学校で1890年9月から1年あまりにわたって教鞭をとる。西田千太郎教頭との知遇は、後に妻となる小泉セツ(節子)との出会いをもたらした。


松江では1年2か月と15日という人生で最も短い途中下車だったが、出雲地方の霊性、神道文化、人々のホスピタリティ、西洋料理が食べられる環境などに魅了される。見聞の成果はフィールドワークという手法で書かれたルポルタージュ紀行『知られぬ日本の面影』に結実している。


寒さや経済的理由から1891年11月に熊本の第五高等中学校(旧制五高、英語担任)講師に転じた。(ハーンが辞職して2年後に漱石が英語を担任、「坊っちゃん」の舞台になった)。1994年には神戸クロニクル社に転職。1896年2月には帰化手続きが完了し、日本人「小泉八雲」となる。


1896年9月、バジル・ホール・チェンバレン(イギリスの日本研究家、「古事記」を英訳、東京帝大文学部名誉教師。欧州キリスト教徒の視点から古事記をポルノ、神道を蛮族の邪教と理解していたようだ。当時はそれがポリコレだったのだろう)の紹介により、帝大講師に就任し、東京に移る。1903年の解雇まで英文学史、詩論、詩人論などを講じる。1904年3月から早稲田大学講師に就任するが、心臓発作のため、同年9月26日に54歳で死去。


生涯の著書は単行本で約30冊。西洋中心主義に陥らず、かそけき者の声音に耳傾け、民衆の精神文化に潜在する“truth”(真理)の探究に没頭した。


最晩年の著書『怪談』は、ハーンの再話文学の最高傑作といわれ、とくに日本では今日まで広い読者層を得て、読み継がれている。最後の著書『日本 一つの試論』は、多くの欧米の読者に恵まれた。同書にみられるハーンの日本人の精神史の解釈は、マッカーサーの副官ボナー・フェラーズ准将によって注目され、戦後日本の象徴天皇制の誕生に影響を与えることになった。


家族は妻セツとの間に長男一雄、次男巌、三男清、長女寿々子をもうけた。とくに長男一雄には想像力と英語を重視し、西洋の口承文芸をテキストとした在宅教育をほどこすなど、子どもたちの教育にも心血を注いだ>(以上)


「怪談」は小生も読んだが、さて、どこにしまったか・・・ようやく探し出したが、解説の中に奥様、節さんの「思い出の記」が紹介されていた。彼女の協力があったからこそハーンの「怪談」は生まれたと言ってもいいだろう。


委細は次号に記すが、同志諸君、「怪談」冒頭の「耳なし芳一の話」は平家の霊にとり憑かれた芳一が和尚さんによって救われたという奇譚。奥さんを大切にし味方にしないと男は大事をなせない、穏やかな晩年はない、と肝に銘じるべし。まあ、それを悟った頃にはあの世行きというのが普通のようだけれど・・・人生は面白いなあ、未練たっぷりになったりして。
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目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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