2014年9月20日公開 119分
幕末の安政七年三月三日、主君である大老・井伊直弼(中村吉右衛門)の御駕籠回り近習役として仕えていた彦根藩士の志村金吾(中井貴一)は、江戸城桜田門外で襲撃に遭い、目の前で井伊の殺害を許してしまう。主君を守り切れなかった後悔を抱え、切腹も許されず仇討を命じられた金吾は、時が明治へと移り変わってもなお、武士としての矜持を持ち敵を探し続ける。一方水戸浪士・佐橋十兵衛(阿部寛)は井伊直弼殺害後、俥引きに身をやつし孤独の中に生きていた。そして明治六年二月七日、仇討禁止令が布告される……。
浅田次郎の短編集「五郎治殿御始末」の中の一編を原作としているそうです。
剣の腕を見込まれて近習(現代のSPだね)になった金吾は、為政者としての表の顔は知らないけれど、屋敷で過ごす普段の大老の、自然を愛し句を嗜むその人柄に惚れ込んでいました。
事件当日は雪が降っていて、濡れそぼった行列では大老が恥をかくとの理由で刀の束にも覆いをかぶせるよう指示が出ます。佐橋が直訴状を持って行列を止めて事を起こした時に、その覆いの紐を解けずに金吾は脇差で戦わざるを得なくなり、手間取っている間に佐橋の仲間たちが籠を襲って大老を殺してしまうのです。
美しく貞淑なセツ(広末涼子)を娶り、近習として将来の出世間違いなしだった金吾の人生は、一転。両親が自害して果て、金吾自身は武士の面目を守る切腹も許されず、首謀者の水戸浪士たちを討つよう命じられます。離縁を切り出す金吾にセツはご下命を果たすまで共にいますと拒否します。
犯人のうち、生き残っている5人のうちの一人でも良いから討ち取って来いという命令は、情報の発達した現代とは違い、人相書きと名前だけの手がかりでは至難の技です。自分の足で見つけ出すしかありません。やっと見つけてみれば既に死亡していたりで13年が経つ間に時代は江戸から明治に代わり、彦根藩そのものも存在しなくなっています。命令そのものが意味を持たなくなっているのですが、金吾にとって、仇を追い求めることこそが武士としての矜持です。
借金取り立ての商人に元武士が辱めを受けているところに通りかかった金吾が割って入り、彼の侍としての矜持に応じた元武士たちが続々と助力に加わり、彼らを撃退するシーンが印象的です。司法省の役人となっていた金吾の親友・内藤新之助(高嶋政宏)は、そんな金吾の力になりたいと思い、かつて水戸浪士たちの取り調べを担当した元評定所御留役の秋元和衛警部(藤竜也)に相談します。助力を約束した秋元ですが、彼の妻は夫を非難します。仇討ちが成就すれば金吾は晴れて切腹するでしょう。そうすればこれまで彼を支えてきた妻も当然後を追うでしょう。時代が変わった今、皆が不幸になるだけではないかと・・。(そうだ!そうだ!!
)彼女は訪ねてきた金吾にも同じ意味合いのことを言います。只管夫に仕え支えるセツや、子連れバツイチだからと好意を封じ込むマサといった貞淑な女性たちと、男目線で進む物語の中で、この妻の言動は異彩を放っていますが、彼女の言葉はまさしく女性たちの気持ちの代弁です。
でも秋元は金吾に十兵衛の居場所を教えちゃうんですね~
そして金吾はその足で十兵衛のところへ行くの。秋元が金吾を呼びつけたその日は、新政府が「仇討禁止令」を布告した日だったというのが伏線です。
十兵衛の人力車に乗り込んだ金吾は、十兵衛の両親もまた自害し、孤独な人生を歩んできたことを知ります。事件そのものについてはその時は正しいことをしたのだと信じていたという十兵衛に、柘榴坂で車を止めさせた金吾は、自分を討つよう願い出た彼に自らの刀を与えて一騎打ちを申し込むのです。倒れた十兵衛は再度自分を討つように願い出ますが、事件の直前に「命懸けで国を想う者を無下にするな」と言った直弼の言葉と「国を想う者に不当な処罰を与えれば、誰も国を想わなくなる」という秋元の言葉を思い出した金吾は、自分が慕っていた大老の言葉に背くことは出来ないと告げ「新しい人生を生きてくれ」と十兵衛を諭すのです。それはまさに自分を納得させるための言葉でもありました。(どうせならもっと早く気付いて欲しかったけどね~
)
長屋住まいで独身の十兵衛は、自分を慕ってくれているマサとチヨ母子の気持ちに気付きながらも自分を抑えていたのですが、二人と人生を新たに歩む決意をします。
一方、金吾も居酒屋で働くセツを迎えに行き、これまでの感謝を伝えるの。秋元に呼ばれたと聞いた時から夫の死(仇討成就して切腹)を覚悟していたセツにとって、無事な夫の姿を再び目にし、彼の口からもう仇討は出来なくなったのだと聞かされたその瞬間がまさに願いが敵った瞬間だったことでしょう
(共に働く店の女の子からミサンガを貰ってつけているというのはちょっと過剰アレンジな気もするのだけれど、ま、いっか~
)
幕末の安政七年三月三日、主君である大老・井伊直弼(中村吉右衛門)の御駕籠回り近習役として仕えていた彦根藩士の志村金吾(中井貴一)は、江戸城桜田門外で襲撃に遭い、目の前で井伊の殺害を許してしまう。主君を守り切れなかった後悔を抱え、切腹も許されず仇討を命じられた金吾は、時が明治へと移り変わってもなお、武士としての矜持を持ち敵を探し続ける。一方水戸浪士・佐橋十兵衛(阿部寛)は井伊直弼殺害後、俥引きに身をやつし孤独の中に生きていた。そして明治六年二月七日、仇討禁止令が布告される……。
浅田次郎の短編集「五郎治殿御始末」の中の一編を原作としているそうです。
剣の腕を見込まれて近習(現代のSPだね)になった金吾は、為政者としての表の顔は知らないけれど、屋敷で過ごす普段の大老の、自然を愛し句を嗜むその人柄に惚れ込んでいました。
事件当日は雪が降っていて、濡れそぼった行列では大老が恥をかくとの理由で刀の束にも覆いをかぶせるよう指示が出ます。佐橋が直訴状を持って行列を止めて事を起こした時に、その覆いの紐を解けずに金吾は脇差で戦わざるを得なくなり、手間取っている間に佐橋の仲間たちが籠を襲って大老を殺してしまうのです。
美しく貞淑なセツ(広末涼子)を娶り、近習として将来の出世間違いなしだった金吾の人生は、一転。両親が自害して果て、金吾自身は武士の面目を守る切腹も許されず、首謀者の水戸浪士たちを討つよう命じられます。離縁を切り出す金吾にセツはご下命を果たすまで共にいますと拒否します。
犯人のうち、生き残っている5人のうちの一人でも良いから討ち取って来いという命令は、情報の発達した現代とは違い、人相書きと名前だけの手がかりでは至難の技です。自分の足で見つけ出すしかありません。やっと見つけてみれば既に死亡していたりで13年が経つ間に時代は江戸から明治に代わり、彦根藩そのものも存在しなくなっています。命令そのものが意味を持たなくなっているのですが、金吾にとって、仇を追い求めることこそが武士としての矜持です。
借金取り立ての商人に元武士が辱めを受けているところに通りかかった金吾が割って入り、彼の侍としての矜持に応じた元武士たちが続々と助力に加わり、彼らを撃退するシーンが印象的です。司法省の役人となっていた金吾の親友・内藤新之助(高嶋政宏)は、そんな金吾の力になりたいと思い、かつて水戸浪士たちの取り調べを担当した元評定所御留役の秋元和衛警部(藤竜也)に相談します。助力を約束した秋元ですが、彼の妻は夫を非難します。仇討ちが成就すれば金吾は晴れて切腹するでしょう。そうすればこれまで彼を支えてきた妻も当然後を追うでしょう。時代が変わった今、皆が不幸になるだけではないかと・・。(そうだ!そうだ!!


でも秋元は金吾に十兵衛の居場所を教えちゃうんですね~

十兵衛の人力車に乗り込んだ金吾は、十兵衛の両親もまた自害し、孤独な人生を歩んできたことを知ります。事件そのものについてはその時は正しいことをしたのだと信じていたという十兵衛に、柘榴坂で車を止めさせた金吾は、自分を討つよう願い出た彼に自らの刀を与えて一騎打ちを申し込むのです。倒れた十兵衛は再度自分を討つように願い出ますが、事件の直前に「命懸けで国を想う者を無下にするな」と言った直弼の言葉と「国を想う者に不当な処罰を与えれば、誰も国を想わなくなる」という秋元の言葉を思い出した金吾は、自分が慕っていた大老の言葉に背くことは出来ないと告げ「新しい人生を生きてくれ」と十兵衛を諭すのです。それはまさに自分を納得させるための言葉でもありました。(どうせならもっと早く気付いて欲しかったけどね~

長屋住まいで独身の十兵衛は、自分を慕ってくれているマサとチヨ母子の気持ちに気付きながらも自分を抑えていたのですが、二人と人生を新たに歩む決意をします。

一方、金吾も居酒屋で働くセツを迎えに行き、これまでの感謝を伝えるの。秋元に呼ばれたと聞いた時から夫の死(仇討成就して切腹)を覚悟していたセツにとって、無事な夫の姿を再び目にし、彼の口からもう仇討は出来なくなったのだと聞かされたその瞬間がまさに願いが敵った瞬間だったことでしょう

