荻原浩(著) 光文社(刊)
二度目の原発事故でどん底に落ちた社会――。3年前に懲役を終えたばかりの及川頼也は、若頭に「アル中を治せ」と命じられ、とある大学病院の精神科を訪れる。検査によると、及川の脳には「良心がない」のだという。医者らを拒絶する及川だが、ウィリアムズ症候群の少女が懐くようになり……。人間の脳は変われるのか。ハードボイルドの筆致で描く、脳科学サスペンス!
物語の舞台は、テロによる二度目(最初の事故はやっぱり震災によるメルトダウンを想像してしまいます)の原発事故で再び広範囲にわたる避難を余儀なくされ、不安が蔓延る近未来の設定です。
主人公の及川は、幼少時からの母親と義父によるネグレクトと暴力により、人格形成に問題ありの人物。他人への共感力や恐怖心、良心を持たない彼は、ヤクザ稼業にはうってつけ?いやいや、直情的で暴力的な彼は、現代ヤクザとしては時代遅れの厄介者になりつつあるんですね。
冒頭から続くバイオレンスでグロい描写はこれまでの作品とは毛色が違うらしい・・・が映画で「明日の記憶」と本では「愛しの座敷わらし」くらいしか知らない私にとってもたしかに異色 ただ、及川に普通の人間らしい心が育ってくるにつれて、この冷酷で粗暴な男も生まれた時から「ワル」でじゃないんだと、逆に彼に感情移入していく自分がいました。
桐嶋との会話の中には医学用語が沢山出てくるのでやや難解なところもありますが、次第に話に引き込まれていきました。
「反社会性パーソナリティ障害」と診断された及川は、反発しながらも、今のままではまずいと思う気持ちが芽生えます。組がらみの事件で追われる身になった及川は、隠れ場所として病院での8週間の治療プログラムに参加します。この精神科病棟の描写がリアルなのかどうかは別として、及川にとっては、二度務めた刑務所での生活と大差ないんですね 違うのは看護師の言葉遣いが丁寧なことと、食事の規律くらい?
初めに受けた「アルコール依存症」の離脱治療なぞは、読んでいてもなかなかに衝撃的でした。ここの描写を中高生の保健の授業で読ませたらアル中抑制になるんじゃないかと思うくらい
他者への共感なぞしたこともなかった及川ですが、受診するようになって知り合ったウィリアムズ症候群の少女・梨帆や、同室の患者たち(堂上や辻野)との交流により彼の心に少しずつ変化が生じてきます。それは投与されている薬の効果もあったのかもしれませんが、個人的には、入院時の担当医になった女医の見解「愛の効果」を支持したいです。(彼女がLGBTであることは蛇足にも思えましたが
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プログラムが進むにつれ、彼同様症状が好転する者も現れますが、逆に悪化して消えていく患者も続出します。
実は、彼らは「恐怖」を克服するための創薬に対する実験材料として集められていたんですね。それぞれが消したい記憶や事情があり、そのコントロールが暴発した者は更に精神異常をきたしてしまったのです。実験を主導している最初の主治医・桐嶋もまた及川と同じ反社会性パーソナリティ障害であること、裏でカシラと繋がっていて、この実験は国の依頼を受けた秘密裡のものであることなど、絵空事で片付けられない不気味さがありました。
真実を知った及川は、絶体絶命の窮地を抜け出して、仲間や梨帆を連れて病院を脱走しようとします。この時の看護師たちとの攻防もかなりバイオレンスなのですが このあたりから頁をめくる手がとまらなくなりました。
何とか逃げ出すことができて、さぁあとはハッピーエンドだ!と思ったのも束の間、前方を塞ぐ黒い車・・・あぁ、やっぱり!思い返せば、カシラとのやりとりや、舎弟の変化など、伏線はいくつも散らばっていたんですものね。元々頭が悪くはない及川は、この頃には他人の思惑を読み取れるようになっていましたから、「最後の花道」に敢えて挑んでいきます。自分のせいで妻子を事故死させてしまった堂上が助太刀する展開にも違和感はなかったかな~~及川も堂上も人を傷つけた償いという意味では仕方ない結末なのかなぁと
物語はここで幕を閉じてしまいます。このあと二人が助かったとは思い難く・・・でも及川の行動は人生の最期に梨帆と辻野を間違いなく救った筈ですから