2020年1月17日公開 アメリカ 131分
96年、五輪開催中のアトランタで、警備員のリチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)が、公園で不審なバッグを発見する。その中身は、無数の釘が仕込まれたパイプ爆弾だった。多くの人々の命を救い一時は英雄視されるジュエルだったが、その裏でFBIはジュエルを第一容疑者として捜査を開始。それを現地の新聞社とテレビ局が実名報道したことで、ジュエルを取り巻く状況は一転。FBIは徹底的な捜査を行い、メディアによる連日の加熱報道で、ジュエルの人格は全国民の前で貶められていく。そんな状況に異を唱えるべく、ジュエルと旧知の弁護士ブライアント(サム・ロックウェル)が立ち上がる。ジュエルの母ボビ(キャシー・ベイツ)も息子の無実を訴え続けるが……。(映画.comより)
クリント・イーストウッド監督による、1996年のアトランタ爆破テロ事件の真実を描いたサスペンスドラマです。現代社会において庶民感情を煽って被害者や加害者のプライバシーを一方的に垂れ流すメディア・リンチが、個人を地獄に突き落とす構図が、リアルに描かれています。
ジュエルがFBIに目を付けられることになった発端は、彼がかつて警備員として働いていた大学の学長による通報でした。学内の問題点に過剰に反応する行動を取っていたジュエルを快く思っていなかった学長が、勝手な憶測でジュエルに爆弾設置の可能性があると指摘したのです。
オリンピック開催で湧いていた折で、一刻も早い犯人検挙に躍起になっていたFBIがこの情報に飛びつき、憶測を正統化するために強引なプロファイリングをします。でもそれは単なる統計学であって科学的根拠はありませんでした。ジュエルのデータ:法執行官への憧れからくる過剰な正義感、ヒーローになりたい願望と周囲から浮くことによる孤独、独身の白人&マザコン男であること、肥満体型等々・・が、犯人像に合致してしまいます。映画の中では、南カリフォルニアの山火事で、自ら火を放ち消火して英雄となった消防士のケースや、ロサンゼルス・オリンピック開催中にバスに爆弾を設置し、直後に発見してヒーローとなった警備員のケースなどを挙げて、だからジュエルも犯人に違いないと示唆します。
ブライアントが自分の足で確かめた物理的な潔白証拠すら、FBIは確認しようともせず、彼がそれを指摘しても共犯者説を持ち出し反論します。初めにジュエル=犯人ありきの捜査なのです。しかも、捜査官(ジョン・ハム)自らが新聞記者のキャシー(オリヴィア・ワイルド)に情報をリークしたことで、メディアはジュエルを容疑者として過熱報道します。こうなると、世間は一転、彼をクロと決めつけメディアと一緒になって攻撃します。
ジュエルは、銃の愛好家で沢山の銃を所持し、過去には問題も起こしていて、決して清廉潔白な人物ではありませんが、それでも純粋な愛国心を持った普通の人間です。それを寄ってたかってテロリストに仕立て上げようとする図は気持ちの良いものではないし、翻って自分の身に起こらないわけではないかもしれない恐怖も抱きました。
ブライアントは偏屈な弁護士ですが、正義感の強い人物として描かれています。ジュエルがシロだと直感した彼は、無実を勝ち取るべく戦いを始めます。目には目をと母親のボビをマスコミに登場させて大統領に訴えたり、キャシーに彼が無実である証拠を突きつけたりします。
証拠を見つけようとジュエルの家に二度も捜索に入り、母親のタッパまで持ち去りますが、それでも確実な物証は出ません。
最終尋問で、ジュエルは捜査官に訴えます。今回の事で、次に誰かが爆弾を見つけたとしても自分が犯人にされてしまうならと通報を躊躇い惨事が起きてしまうかもしれない。それをあなた方はどう思うのかと。このセリフが一番心に響いてきました。