ついさっき、夕方のテレビで奈良少年刑務所の更正教育というタイトルだったか、正確なことは忘れたけど、
そういうのをやっていて、それを見た。
少年刑務所(19才から26才が居るという)に専門家の講師が来て、希望者に授業をする。
印象的だったのが、ひとにものを頼む、ということをトレーニングする授業。
受刑者は人とのコミニケーションが上手く出来ない人が多いという。
ひとにものを頼めない、いろんな悩みを一人で抱えてしまう、
そういう傾向があるそう。
受刑者だけに限らないのかと思う、そういうことって。
頼んで断られるというトレーニングをしたり、頼まれるトレーニングもする。
やってみて、頼まれるというのはいい気持ちのものだと感じる経験をしたよう。
やってみて感じる、という経験をするというのはいい。
経験しないとわからないんだなぁと思う。それなのに、やる前に躊躇してしまう。
躊躇してしまうのもわかる気がする。
そんなふうな考えが無意識的にあるのだろうと思う。
その講師と刑務所の職員との話し合いの場面があった。
職員が受刑者の行動だか顔つきだかに(どっちか忘れた)「かわいいね」と言ったことについて、
講師はそういう評価をしないでもらいたいと言う。
世間に出たらそいうことはあるんだから、少しはいいんじゃないか、
というようなことを職員は言う。
講師はいや、ここだけでもそれはしないで欲しいと言う。
褒めることも(在りのままでいい)という心にならない基になる・・・
という表現だったか、正確な表現は忘れたけれど、
そういった意味合いのことを講師は言った。
ここで(在りのままでいいんだ)というのを心に入れ込んでおくことが大事なんだ・・・
確かそんなことも表現したように思う。
少年刑務所でそういう教育をしてるのかと思った。
昔はきっとそんな更正教育はしていなかったろう。
凄い進歩なんだと思う。・・・けれど、
少年刑務所に行く前に日常がそういうふうになっていたら、
そこに行く事にはならないと思った。
でもそういうことをしている奈良少年刑務所を何らかの方法で知り、
そしてそれを知らせたいと思った人がテレビ局にいたのだなと思った。
それとも別の人がそれを知り、テレビ局にそれを売るんだろうか、
そのへんのことはわからないけれども、
でもそういうことをキャッチするアンテナを張っている人が居るのだと思った。
この授業を受けた人が再び刑務所に行かないようにと思わずに居られない。
そういうのをやっていて、それを見た。
少年刑務所(19才から26才が居るという)に専門家の講師が来て、希望者に授業をする。
印象的だったのが、ひとにものを頼む、ということをトレーニングする授業。
受刑者は人とのコミニケーションが上手く出来ない人が多いという。
ひとにものを頼めない、いろんな悩みを一人で抱えてしまう、
そういう傾向があるそう。
受刑者だけに限らないのかと思う、そういうことって。
頼んで断られるというトレーニングをしたり、頼まれるトレーニングもする。
やってみて、頼まれるというのはいい気持ちのものだと感じる経験をしたよう。
やってみて感じる、という経験をするというのはいい。
経験しないとわからないんだなぁと思う。それなのに、やる前に躊躇してしまう。
躊躇してしまうのもわかる気がする。
そんなふうな考えが無意識的にあるのだろうと思う。
その講師と刑務所の職員との話し合いの場面があった。
職員が受刑者の行動だか顔つきだかに(どっちか忘れた)「かわいいね」と言ったことについて、
講師はそういう評価をしないでもらいたいと言う。
世間に出たらそいうことはあるんだから、少しはいいんじゃないか、
というようなことを職員は言う。
講師はいや、ここだけでもそれはしないで欲しいと言う。
褒めることも(在りのままでいい)という心にならない基になる・・・
という表現だったか、正確な表現は忘れたけれど、
そういった意味合いのことを講師は言った。
ここで(在りのままでいいんだ)というのを心に入れ込んでおくことが大事なんだ・・・
確かそんなことも表現したように思う。
少年刑務所でそういう教育をしてるのかと思った。
昔はきっとそんな更正教育はしていなかったろう。
凄い進歩なんだと思う。・・・けれど、
少年刑務所に行く前に日常がそういうふうになっていたら、
そこに行く事にはならないと思った。
でもそういうことをしている奈良少年刑務所を何らかの方法で知り、
そしてそれを知らせたいと思った人がテレビ局にいたのだなと思った。
それとも別の人がそれを知り、テレビ局にそれを売るんだろうか、
そのへんのことはわからないけれども、
でもそういうことをキャッチするアンテナを張っている人が居るのだと思った。
この授業を受けた人が再び刑務所に行かないようにと思わずに居られない。