この本の著者が言うように、虫の世界では
働かないアリではなく、働けないアリがいる・・といった説明があった。
ある時間までは仕事の要請がそのワーカーには届かず、
その結果として働けなくて、
仕事の要請がそのワーカーに届いたら、ワーカーは働き出す。
虫たちは顕在意識がないからこそ、それで何の問題も起こらない。
きれい好きな人とそうでもない人、
どのくらい汚れたら掃除をし出すのかはその人の個性。
反応閾値を「気がつく」という表現で言ってもいいかな・・
どのくらいで気がつくかは、天性のもの。
アリや蜂も気がついた時点でその固体がその仕事をする。
なまけるというようなことは虫たちはない。
本能とか潜在意識のままで全体がうまいこと行くように虫たちは何故か“なっている”。
一匹一匹の虫たちのそれぞれの個性が尊重されていることによって、
コロニーという社会がスムースに運営される。
人間界でも個性の尊重とかいっているけど、
走るのが遅いとか、知能指数が低いとか、絵が下手糞だとかは
そういう個性を尊重しましょう・・なんてあまり言わない。
個性というものに善悪はないと思うんだけど、
人間の場合、こういったことにもすぐに善悪の観念が働いてしまうのかと思う。
それに損得の観念も強い。
なので、虫たちにはない、仲間内での(人間界)
いろんなトラブルが生まれるのかなと思う。
働かないアリではなく、働けないアリがいる・・といった説明があった。
ある時間までは仕事の要請がそのワーカーには届かず、
その結果として働けなくて、
仕事の要請がそのワーカーに届いたら、ワーカーは働き出す。
虫たちは顕在意識がないからこそ、それで何の問題も起こらない。
きれい好きな人とそうでもない人、
どのくらい汚れたら掃除をし出すのかはその人の個性。
反応閾値を「気がつく」という表現で言ってもいいかな・・
どのくらいで気がつくかは、天性のもの。
アリや蜂も気がついた時点でその固体がその仕事をする。
なまけるというようなことは虫たちはない。
本能とか潜在意識のままで全体がうまいこと行くように虫たちは何故か“なっている”。
一匹一匹の虫たちのそれぞれの個性が尊重されていることによって、
コロニーという社会がスムースに運営される。
人間界でも個性の尊重とかいっているけど、
走るのが遅いとか、知能指数が低いとか、絵が下手糞だとかは
そういう個性を尊重しましょう・・なんてあまり言わない。
個性というものに善悪はないと思うんだけど、
人間の場合、こういったことにもすぐに善悪の観念が働いてしまうのかと思う。
それに損得の観念も強い。
なので、虫たちにはない、仲間内での(人間界)
いろんなトラブルが生まれるのかなと思う。