ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

トイレの感謝状

2013-01-15 10:00:08 | 日々の暮らし・思い出
(私は~こういう状態で在る)が、現象化する。

前にも書いたことあると思うけど、トイレの張り紙が変わって来た。

最近は「いつもきれいに使っていただいてありがとうございます」というのが多い。

前はこういうのが多かった・・・「後の人の為にきれいに使いましょう」とか、

「汚さないで下さい」とか、「きれいに使ってください」とか。

そういう言葉が出て来るのは、

トイレを使う人を『きれいに使わない人』と観ていることから始まっている。

きれいに使う人として観ていれば、当然そんなことは言わない。

そう観ていると対象はそうなる。

私でもひとでも、(こういう状態で在る)という意識が、現象化する。


お役所が管理する道路なんかは「法律で罰せられます」というような注意書きが多い。

それを読んでニコニコとそうしたくなる人は多くないと思う。

罰せられるからやらなくちゃという気持ちを引き出している注意書きだ。

罰せられないとやらない、自発的にやらない、主体性のない、

謂わば、見る人からすれば、そういう人間かと思われているということとだ。

それでいい気持ちになる人はいないかもしれない。

失礼しちゃう、と思う人も居るかも。

それで前向きにやる気がなくなる、と云う相互作用が発生することもある。

(罰せられなければそういうことはしない人で在る)という意識が現象化する、ということだね。

レストランとかコンビニとかはお金が入らないとやっていけないから、

どうしたら感じよくいろいろと物事が運べるか、に関心を向けているということがあるのかもしれないけど。

お役所関係は営利目的でないからそこらへんが鈍感なのかな。

けど、役所が営利目的で無いから、という理由でそうなるのだったら、

深くお金を意識しているには違いないね。

お金のためなら頭も使い、手を尽くすけど、

お金が入ってこないなら、どうでもいい・・・まるで旧ソ連時代のデパートの店員さんみたいだね。

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生きることに目的はありません!?

2013-01-15 08:25:14 | 新聞を読んで
サンデー毎日だったか、今朝の新聞に広告が出ていて、

その中に福岡伸一ハカセの対談が載っているらしく、さわりが出ていた。

「生きることに目的はありません」というもの。

その本文も読んでいないのはもちろんだけど、

動的平衡、せいめいのはなし、なんかを読んでそういう感じのことを彼は言っていたので、察しがつく。

生命現象はすべて動的平衡というありようをしているので、因果関係というモノは成立しない、

生命にデザイナーがいると考えるのは単なる脳の癖で、

そういうものはない、ただ動的平衡だけがある、

よって、生きる目的などもてないもの・・といういうような主旨なんじゃないかと想像した。

全体で秩序だったものをつくれてしまう、というような文章も彼にあって、

そのことでこのブログでも、

そう“なっている”のが生命の在りようだと、

言葉がそう言っている、と書いたことがある。

生きる目的というと顕在意識で考えるもののように受け取りがちだけど、

生命というもの、(勿論人間も含めて)の存在の仕方・存在の在りよう・存在の在り方が

そうなっている。何故だかそういう目的が予め仕組まれている。

生命とはそういうもの。

そんなことしたくないと思おうと、そんなの趣味じゃないと思おうと、

私たちはその在り方から逃れられない生き物なんだよね。




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