「誰でも自分の自我の強さが明らかになると(明るい日の下にさらされると)
やっぱり恥ずかしく思う、と思う。」(昨日書いたもの)
知識をひけらかすような自我の強い自分が明らかになることを、
(“明るい日の下にさらされると”)昨日と書いた。
書いてみてはっと思った。
山岸さんの青い本の中のこの文章を思い出したから。
『悪事の多くは夜に行われますが、
それは悪事のしやすい“状態になってあるからで”、
如何に取り締まっても次々と発生し、
猜疑・憎しみ・怒り・争奪・殺傷等が絶えないでしょう。
この昼の世界にはそんな間違いは“起こらないから”、
人を縛る法律等も自然消滅となり、厳めしい警備もしょう壁もない、
快適な“人生”があります。』
・・・(P、30より)
(“ ”は私が付けたものです。)
自分が知識をひけらかしたことが自分に明らかになることを、
昨日はなんだか、(明るい日の下にさらされると)と、書いてしまったけど、
それはひけらかしたことに自覚が生まれた、ということだ。
ひけらかした自分を自分が観察できたことだ。
ひけらかした自分が在ったことを知ったということだ。
上に引用した山岸さんの文章が言っていることも、
そのような自分の意識を注意深く観察しているということなのかと思った。
悪事のしやすい“状態に”“なってある”
この表現が言っているのは、
実際に自分の心が何かよからぬことに“なっている”にもかかわらず、
その状態に自覚がない、ということかと思う。
自覚がないと、それをしてもしてないのとその後の展開は変わらない
ということだろう。
謂わば、眠っている状態で悪事をしていたら、後で反省などできない。
だって、眠ってたんだもん。意識不明だったんだもの。
それを反省しようにも、反省のしようがないということだ。
如何に取り締まっても次々と発生し・・・が言っているのは、
眠らないようにしよう、 や、
ナニカをしないようにしよう、という思考では、
それをしないようには“ならない”ということだろうと思う。
量子力学で云う、見ようとすると見えないという粒子の性格と同じだ。
知識をひけらかす自我の強い自分で在っても、
それに気づかなかったら何度も何度もそうするだろうし、
そういう自分をみつけると、誰でも恥ずかしく思う心を持っているから、
自分も相手も楽しくないことはしなくなる。
一回や二回では変わらなくても、自分の意識を注意深く観察し続けることで、
いつかはそういうことはしなくなる。
そう思う。
青い本はナンタラ社会の実態というネーミングだけど、
それに書かれてあるのはある心の状態のこと。
ブッダになった釈迦の境地のようなもの。
そういうふうになってます・・というようなものだろうと私は思っているなぁ。
やっぱり恥ずかしく思う、と思う。」(昨日書いたもの)
知識をひけらかすような自我の強い自分が明らかになることを、
(“明るい日の下にさらされると”)昨日と書いた。
書いてみてはっと思った。
山岸さんの青い本の中のこの文章を思い出したから。
『悪事の多くは夜に行われますが、
それは悪事のしやすい“状態になってあるからで”、
如何に取り締まっても次々と発生し、
猜疑・憎しみ・怒り・争奪・殺傷等が絶えないでしょう。
この昼の世界にはそんな間違いは“起こらないから”、
人を縛る法律等も自然消滅となり、厳めしい警備もしょう壁もない、
快適な“人生”があります。』
・・・(P、30より)
(“ ”は私が付けたものです。)
自分が知識をひけらかしたことが自分に明らかになることを、
昨日はなんだか、(明るい日の下にさらされると)と、書いてしまったけど、
それはひけらかしたことに自覚が生まれた、ということだ。
ひけらかした自分を自分が観察できたことだ。
ひけらかした自分が在ったことを知ったということだ。
上に引用した山岸さんの文章が言っていることも、
そのような自分の意識を注意深く観察しているということなのかと思った。
悪事のしやすい“状態に”“なってある”
この表現が言っているのは、
実際に自分の心が何かよからぬことに“なっている”にもかかわらず、
その状態に自覚がない、ということかと思う。
自覚がないと、それをしてもしてないのとその後の展開は変わらない
ということだろう。
謂わば、眠っている状態で悪事をしていたら、後で反省などできない。
だって、眠ってたんだもん。意識不明だったんだもの。
それを反省しようにも、反省のしようがないということだ。
如何に取り締まっても次々と発生し・・・が言っているのは、
眠らないようにしよう、 や、
ナニカをしないようにしよう、という思考では、
それをしないようには“ならない”ということだろうと思う。
量子力学で云う、見ようとすると見えないという粒子の性格と同じだ。
知識をひけらかす自我の強い自分で在っても、
それに気づかなかったら何度も何度もそうするだろうし、
そういう自分をみつけると、誰でも恥ずかしく思う心を持っているから、
自分も相手も楽しくないことはしなくなる。
一回や二回では変わらなくても、自分の意識を注意深く観察し続けることで、
いつかはそういうことはしなくなる。
そう思う。
青い本はナンタラ社会の実態というネーミングだけど、
それに書かれてあるのはある心の状態のこと。
ブッダになった釈迦の境地のようなもの。
そういうふうになってます・・というようなものだろうと私は思っているなぁ。