ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

元気なおとうさん

2014-04-07 13:54:45 | 日々の暮らし・思い出
今日午前中、外壁のペンキ塗りをした。

昨日は金属ベラで前の剥がれかかっているペンキを落とし、

今日が一回目のペンキ塗り。

何日か前ペンキ塗り用の梯子を借りてきたら、

それを見た義父はすぐに「なにするんじゃ??」と興味津々。

ペンキ塗りをするから借りてきたと言うと、

すぐに作業着に着替えた義父。

免疫細胞が活発に動いている人らしいこの動き!

梯子に上ったりするので、義父には申し訳ないけど、

遠慮してもらったよ。

そうしたら駐車場の草取りをしてくれてた。

細胞は悟っている

2014-04-07 13:45:14 | テレビを見て
「人体ミクロの大冒険」昨夜は老いと細胞について、だった。

どこかの国は100歳以上の人が5000人に一人の割合で居るそうで、

それは世界一なのだそうだ。

その長寿の老人たちの血液を調べると免疫細胞の数がすごく多かった。

そうなんだろうな、と思った。

うちの97歳の義父を見ても免疫の値が高い感じがする。

私と夫が風邪を引いても彼だけひかなかったこともあるし、

風邪を引いても割とすぐに治る。

薬も飲まず、上等やぁ、と言って。

けれど、多くの人は年取ると免疫細胞がいかれてきて、

病原体の居場所がわからなくなり、

自分の細胞を間違えてやっつけてしまうということになったりするらしい。

いわば、誤作動を起こしてしまうようだ。

長寿の人はこんなふうなことにならずに、

免疫細胞が効果的に働き続けていることがわかったという。

何故長寿の人たちの免疫細胞は誤作動を起こさないのか、

それは言わなかったからわからないなぁ。

どうしてか・・・たまたま病原体が体内に入らなかったのか、

いや、入っても免疫細胞が正常に働いた・・・なぜ正常に動いた・・・・

やはりわからない・・

でも5分全力で自転車をこぐだけで、

免疫細胞は活発に動き出すらしいよ。

年を取ると5分間全力で自転車をこぐのはちょっとむずかしいと思ったけど、

その国の長寿の人たちは生活という運動をせっせとやっていたように見えた。

どこの国も女が長寿なのは男に比べると

老年時代もこまこまとよく動くからかもしれない。

よく動くから免疫細胞が活発に動くのかもしれない。


番組の最後の方で、山中教授がニコニコとこう言っていた。

「細胞が悟っているのは間違いない。

こんな素晴らしいものを作れるのは神さましかいない」

「細胞同士がコミュニケーションをとるのが生きること。

私は細胞全部が納得して死んでいきたい」

細胞というものを毎日見て生きている人の言葉だなと思った。

本当に細胞は悟っていると私も思うな。

そんな悟っている細胞と共に研究しているなんて、

やっぱり素晴らしい仕事だなぁ。

オキシトシンというホルモンと心

2014-04-07 13:04:26 | テレビを見て
NHK夜九時から「人体ミクロの大冒険」 

昨日と一昨日二夜連続でこれを見た。

本当に山中教授は素敵だった。ま、それはいいとして・・・

一昨日ので興味深かったのはオキシトシンというホルモン。

出産の後に子宮が収縮するときに出るホルモンだということは

わかっていたようだけど、それだけでなく、

産後もよく出るということで、

それは他者と繋がろうとする愛着行動が起こるときに出る、

ホルモンだということが最近になってわかってきたらしい。

恋人同士がキスをしたり、ほかの人と何かを一緒にしたり、すると

出るそう。でもどれも男より女の方がたくさん出てた・・と記憶してる。

警戒感が減ったり、快感を感じたりするときに出ているホルモンらしい。

自閉症の人の鼻にオキシトシンをスプレーすると、

自閉症の症状が減るという金沢大学の臨床実験結果があるそうで、その青年が画面に映っていた。

それはオキシトシンという物質によって人間の心が正常化するという実験と言えるし、

それとは逆の、心が~なるとオキシトシンがたくさん出るという実験をしたのが

アメリカのナンタラいう研究者で、

その実験というのはその教授がスカイダイビングをする。

教授は恐怖感を持ってしまうのだけど、それでもインストラクターと一緒に飛び降りる。

この時、教授はすべてを、自分の命を、他者にまかせようとなって飛んだ。

この心理の時、オキシトシンが230%出たという実験結果が得られたそう。

エイヤー!と、本当に“思い切って”飛んだんだろうな。

恐怖や不安という“思い”を放したら、快感を感じる=オキシトシンが出る。

これもすごい発見だねぇ。

絶望と希望は一枚のコインの裏と表というスピノザの話と一致する。


オキシトシンというホルモン物質を意識的に体内に入れることで人の心が変わり、

快感を感じる心がオキシトシンという物質を出す。

物が心で、心が物で。

切り離せないんだなぁと思うよ。

細胞という物質が意志と戦略を持っているんだから

当たり前といえば当たり前か。






明るい日の下にさらされる

2014-04-06 13:52:35 | ひとの幸福
「誰でも自分の自我の強さが明らかになると(明るい日の下にさらされると)

やっぱり恥ずかしく思う、と思う。」(昨日書いたもの)

知識をひけらかすような自我の強い自分が明らかになることを、

(“明るい日の下にさらされると”)昨日と書いた。

書いてみてはっと思った。

山岸さんの青い本の中のこの文章を思い出したから。


『悪事の多くは夜に行われますが、

それは悪事のしやすい“状態になってあるからで”、

如何に取り締まっても次々と発生し、

猜疑・憎しみ・怒り・争奪・殺傷等が絶えないでしょう。

この昼の世界にはそんな間違いは“起こらないから”、

人を縛る法律等も自然消滅となり、厳めしい警備もしょう壁もない、

快適な“人生”があります。』

・・・(P、30より)

(“ ”は私が付けたものです。)


自分が知識をひけらかしたことが自分に明らかになることを、

昨日はなんだか、(明るい日の下にさらされると)と、書いてしまったけど、

それはひけらかしたことに自覚が生まれた、ということだ。

ひけらかした自分を自分が観察できたことだ。

ひけらかした自分が在ったことを知ったということだ。


上に引用した山岸さんの文章が言っていることも、

そのような自分の意識を注意深く観察しているということなのかと思った。


悪事のしやすい“状態に”“なってある”

この表現が言っているのは、

実際に自分の心が何かよからぬことに“なっている”にもかかわらず、

その状態に自覚がない、ということかと思う。

自覚がないと、それをしてもしてないのとその後の展開は変わらない

ということだろう。

謂わば、眠っている状態で悪事をしていたら、後で反省などできない。

だって、眠ってたんだもん。意識不明だったんだもの。

それを反省しようにも、反省のしようがないということだ。


如何に取り締まっても次々と発生し・・・が言っているのは、

眠らないようにしよう、 や、

ナニカをしないようにしよう、という思考では、

それをしないようには“ならない”ということだろうと思う。

量子力学で云う、見ようとすると見えないという粒子の性格と同じだ。


知識をひけらかす自我の強い自分で在っても、

それに気づかなかったら何度も何度もそうするだろうし、

そういう自分をみつけると、誰でも恥ずかしく思う心を持っているから、

自分も相手も楽しくないことはしなくなる。

一回や二回では変わらなくても、自分の意識を注意深く観察し続けることで、

いつかはそういうことはしなくなる。

そう思う。

青い本はナンタラ社会の実態というネーミングだけど、

それに書かれてあるのはある心の状態のこと。

ブッダになった釈迦の境地のようなもの。

そういうふうになってます・・というようなものだろうと私は思っているなぁ。




「相手に合わせて柔軟に話す」・・・超訳ブッダの言葉より

2014-04-06 10:50:09 | 本を読んで
 マニアックな単語なんかにこだわらないで話す。

「実存の絶えまない揺らぎ性が超越論的に構成された同一性により

回収される必然性がナンタラカンタラ」

こんな哲学方言を言われても哲学オタク以外は「はぁ?」となる。

「このビジネスモデルにおけるソリューションはあなたのモチベーションを

システマティックかつエレガントにキャッチします」

こんなビジネス方言でまくしたてられたなら、

ビジネスオタク以外は「はぁ?」となる。

「カーヤーにエッカーガダを向け、サンマサンカッパでサティしなさい」

こんな仏教方言を言われても、

仏教オタク以外は「はぁ?」となる。

地方(ローカル)方言なんかにこだわらず、

人に合わせて柔軟に話すのが麗しい。

(中部経典『無ナントカ分別経』)

・・・・“ナントカ”は読めないわからない字なのですみません。


この文章表現は面白いね。笑っちゃった。

小池さんに会ってみたいよ。

ブッダはこんなふうな意味合いの事まで弟子に言ってくれたんだねぇ。

オタク専門用語をそれをわからないだろう人にべらべらと話すのは、

相手がそれをわからないと観察できてないか、

相手がわからないとわかってもそういう方言を使うなら、

自分の知識をひけらかしているということか・・・

後者のような、自我の強さから離れるように、という意味なのかと思ったよ。

誰でも自分の自我の強さが明らかになると(明るい日の下にさらされると)

やっぱり恥ずかしく思う、と思う。

麗しくない自分に会うと、

気分は麗しくなくなるのは万人共通なんだろうな。









「人と張り合わない」

2014-04-05 15:09:04 | 実例体験観察
小池龍之介さんの「超訳ブッダの言葉」にある章から・・・

「褒めてもらえて、脳内に快感物質がビュンビュン放出されたとしても、

その快感は一瞬で終わる、つかのまの自慰のようなもの。

心の安心感を得るには役立たない。

言い張ることことの成果はしょせん、「いやがられること」と

「褒められて自慰すること」のたった二つだけ。


この法則をわきまえて、人と張り合わないことこそ安らぎと知ったなら、

言い合いなんかしないように。」

(経集896))

・・以上。

人と接しているその時、今、張り合ってるなんて気づかない。

・・こう書けるのは後になってやっと、張り合ってたと気づくから。

後でその時のことを振り返ったとき、なんかくすんだ気分がみつかった。

相手のその時の考え(現れた言葉)を

そんなのおかしいよと否定してた。

だから、その時、聞かれもしないのに自分の考えを言った。

思い出すと恥ずかしい。

もし、相手がその時「あなたの考えの方が正しい」というようなことを言ったなら、

私は生意気な気分になっていただろう。

その本にこういうのもあった。以下。

『生意気さは苦しみを増幅させる』という章。

「生意気さは、君の苦しみを、知らず知らずのうちに増幅させる。

自分の意見を押し通すことに成功してその味をしめてしまうと、

君は以前より一歩ほど、さらに生意気な言い方をするようになるだろう。

このように自分の意見を押し通そうとするなら、

それに失敗するとイライラするうえに、

成功しても生意気な性格に変わってゆくのだから、

ろくなことはない。心が濁ってゆくだけのこと。

この道理を知ったなら、むやみに意見を言い張ることから離れるように。」

(経集830)

・・・経集830というものもブッダその人が書いたものではないし、

この本はそれを読んだ小池さんの目を通して彼が編集したもので、

ブッダの言葉ではないけれど、

最後の「むやみに意見を言い張ることから離れるように」という表現は心にしみるね~

言い張るのはやめなさい、でもなく。

言い張るのはよくないですよ、でもなく。

『離れるように』。



細胞と人間

2014-04-05 13:30:29 | ひとの幸福
一つの細胞と人間の意識との関係についてもっと考えたい。

この前のNHKの人体ミクロ・・云々の番組で山中教授が、

細胞は人間より凄い・・だったか、そんなことを言っていた。

あの発言はズバリ本当の事だなと思った。

一つの細胞より優れている意識を持つ人間はかなり少ないだろうと思う。

細胞(がん細胞は除いて)と執着のない人間の意識の働きは一緒かなと思う。

出かける予定の日に残念ながら雨が降って来た時に、

あ~雨なんか降らなきゃいいのに・・とその思いをいつまでも持ち続けて、

いやな気持になっているという、そんな働きをするような細胞はないのかと思う。

細胞は意志と戦略を持っていると山中教授が言ってたけど、

雨なら雨で・・と受けいれ、戦略を練るのが細胞だろうと思う。

何故不本意な雨を受け容れるのかといえば、意志があるからかと思う。

共に成長したい、共に在りたい、という意志があるからかなと思う。

その意志のもとに戦略が生れる。

細胞は自然のままでそういう働きができるようになっている。

人間の意識も元々はそういうものだったのだと思うけれど、

この人生や以前の人生での経験による、不自然な人生観や世界観が

作用しているものもあるのかと思う。

細胞のようにはならないものもあるのだろうと思う。

まぁ、そうなるのも当たり前だと思うけど。

人は一人で生きてないから。

そうなったのも皆(全ての経験)の中でなったんだし、

そうじゃなくなるのも皆の中でなっていくのかと思う。

いつの日か一つのシンプルな細胞のようになりたいと思う。




ダイエットに励んだ母から生まれた子は太りやすくなる

2014-04-01 16:29:54 | ひとの幸福
一昨日、NHKで「人体ミクロの大冒険」というのを見た。

ips細胞の山中教授が出ていて彼はとても可愛らしかった。

年下の男の子だから、可愛らしいと言ってもいいよね~

「細胞は意志と戦略を持っている」と言っていた。

その通りと思ったよ。それの例で面白かったのは

ダイエットに励んだ母から生まれた子は太りやすくなる、という話。

妊娠初期の頃に母親の炭水化物摂取量が少ないと、

生まれた子供は太りやすいという。

どうしてかといったら、その時期の間葉系幹細胞は

筋肉や骨や脂肪細胞に枝分かれするんだけど、

炭水化物が少ない量しか入ってこないと脂肪細胞に増える割合が増えるらしい。

ようするに、炭水化物が入ってこないとキャッチすると、

入らないなら入らないように備蓄しておこう、

という働きになるわけだ。

雨なら雨でとそれを受け容れて、傘を差そうとするのと同じだ。

その時出かけたいという意志があるから、工夫が生まれる。

傘を差すなんて工夫ともいえないか。

ま、「入ってこないなら入ってこないで、

それでもやっていけるように私はそれなりに動くわ」という感じかな。

生きたいという強い意志の元、そういうふうな戦略を練るわけだ。

なにがあっても生きるという強い意志がなければ戦略なんか生まれない。

周りの人と仲良くやって行きたいという意志があるから、

自分の行為なんか簡単に変えられる・・・

人間でいうと、こういう例もその一例かな。

自分の行為なんか簡単に変えられる、というのは

自分が自分がという自我が引っ込んでなきゃ出来ないことだね~




タモリさん

2014-04-01 13:25:03 | テレビを見て
昨日で「笑っていいとも」が終わった。

タモリさんのことはテレビに出だした時から、好きだった。

なんだか流れるような・・・いい加減なような・・・感じがすごくよかった。

けど、この番組はあまり見なかった。

昨日は最終日だったので、昼間も半分くらい見た。

夜はチャンネルを回したら特別番組をやってたので見た。

すでに後半だった。

そこでは多くの共演者がタモリさんへのお礼やら労いを言っていて、

それを聞いていた私も涙が出てきてしまった。

タレントさんが普段見せる顔じゃなくて、

あまりにも素のまま(そう捉えた)を出していることに驚いた。


タモリさんという人は凄い人だなと思った。

この番組が32年も続いたという事実は彼の人格によるものなんだろうなぁと思った。

本当にタモリさんは凄い。

彼はそういう自分に対しての賞賛にも、

「あっそう」 だけのような感じ。

さっき引用したブッダの言葉のようだ。

彼は多くの人に感謝して番組は終えた。

その感謝は、みんなと共にやってきたということを言いたかったんだろうな。


「批判も賞賛も同じ心で」 

2014-04-01 12:20:23 | 本を読んで
同じく小池龍之介さんの「超訳ブッダの言葉」からです。

他人から罵られても批判されても、

尊敬されても賞賛されても、

どちらにしても同じ心でいるように。

「どうして、こんなこともできないのかな」などと罵られても、

心に生まれる劣等感にいちはやく気づいて、

「ま、いっか」と受け流す。

「すごい、さすがだね」などと褒められても、

生意気な優越感が心を占領しそうなことに、はっと気づいて、

「ま、いっか」と受け流す。

・・・(経集702)


ブッダはそうなってない弟子に

「どちらにしても同じ心でいるように」というように伝えた。

そう言われてもなぁ・・・

言われただけで、そうなれるもんならなぁ・・

と思ってしまいがちだけど、そういうふうに在りたいと常に意識してると、

生意気な優越感が浮かんでくることに自覚出来るようになりやすいんだろう・・か。

いや、常に自分の意識に留意する、ということをしてれば気づくよ・・

気づいた瞬間自分が変わってるよ・・・

そういうことかな。