水曜日担当の滝口です。
いよいよ僕にとって最後のアトリエミオスでの仕事となりました。
最後の言葉は後回しにして、今回の作品紹介は、夜間社会人コースの大澤さんの油彩です。
右の作品は、小原先生曰く今は別の作品を上にお描きになって現存しないということで見ておりませんが、左の作品はほぼ僕が授業で見せていただいた完成作品になります。描き初めから描き終わりまで、じっくりじっくりと時間をかけ、決して大きくない小ぶりな作品でしたが、大澤さんが納得するまで修正を繰り返しながら、細かい部分までもしっかりとこだわって仕上げて行きました。
単純に言葉でその経過を説明してしまうと、作品やそれを描いた人の客観的で表面的な陳腐な言葉で終わってしまうことが、毎回こういうブログなどで書いていると心残りになってしまいます。画家やアーティストと呼ばれている人たちは、作品は人生の痕跡でもあるので、作品が継続して語っていくことが出来ます。そういった側面が、例えばある絵がなん億円にもなる価値が生まれる所以でもあります。それはそういった世界の中で繰り広げられているのであって、普通の生活の中での美術の表現とは違います。
でも、やはり普通の生活の中での美術表現にも価値が大きくあるわけです。それはやはり、言葉で書くと安っぽくなってしまいますが、お金ではなく人生の価値だと思います。大澤さんの右の作品は、もうないそうですが、この残された写真を見ても、大澤さんが生きて歩んだ時間の痕跡がしっかりと感じます。下の海の波しぶきの単に白絵の具で描いただけでない色合いや海の中に少し見える黄色味がかった下地なども生き生きと感じられます。
花の絵にも、細かい部分までピントが合った花と、少しボケ気味の花などのリズムもしっかりと時間の痕跡が現れています。描き終えてしまうと、それは過去のものになりそこまで感じなく思いますが、作品の魅力はやはりしっかりと刻み込まれています。大澤さんの作品の魅力は、その表現の行為にあると思います。題材のテーマではなくて、油彩のキャンバスと絵の具との痕跡から生まれる世界と言うんでしょうか、人生です。
是非これからもしっかりと絵に人生を塗り込めていってほしいです。
さて、最後の言葉になりますが、短い期間でしたがアトリエミオスで過ごさせていただいた経験は、僕にとって大きなものになりました。大学卒業後、大手の美術予備校で高校生や浪人生を指導していきながら、どちらかというと自分の表現世界を切り開いていきたい方が強く、指導はデッサンなどの技術のみを伝授するだけの繰り返しで、どこか物足りなさや虚しさがありました。ようやく僕の中で写真という媒体での表現方法を見つけ、それはこれからも大切な世界ではありますが、美術指導という世界もまた、今回ミオスでの幼児/小学生コースや、社会人コースを見させていただいて、もっと根本的な部分での美術指導を体験できたと思っております。
生涯学習という言葉が教育用語でありますが、美術はまさしく幼児から始まり、社会の就労期間を終えてからも継続して学び人生を充実させていくことができる分野だと思います。やはり一言で言えば、『是非みなさんこれからも美術表現を愛し、続けていってください!!』なのですが、物足りないですね〜〜
確か年末の講師紹介で書いた気がしますが、この世界には見たことがないような世界や作品、音楽・・・なんでも良いですが存在してるわけです。それに出会えると感動して、あ〜〜生きてて良かったと思えます。心が震える体験です。それを感じたいし、もし見つけたら人に教えていんです。なので、やはり最後の言葉は、『みなさんの美術世界の出会いを探し続けてください !!』の二つになるんでしょうか。
ということで、大変長いブログ記事を何度も書いてしまいましたが、なかなか僕は呑んで酔ってもあまり会話ではこういうことも語らないので、心の叫びを綴ってきましたが、お付き合いいただいてありがとうございました。
本当に、アトリエミオスで出会った生徒さんや先生方に、面と向かってしっかりお礼が言えたかどうかが不安ですが、小原先生はじめご迷惑をおかけしたこともあり、申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいです。これからも、そんなに遠くない距離ですので、お会いすることもあると思います。でも、実は僕名前とか直ぐに忘れてしまう情けないタイプなので、失礼があるかもしれませんが、もし見かけたら声をかけてください。まあ僕本人よりも僕の作品を見ていていただけたら嬉しく思います。
本当に短い期間でしたが、ありがとうございました!!