あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

流行り病のおさづけについて。。。『根のある花・山田伊八郎』より

2020年08月10日 10時32分53秒 | 図書室

先日より探している言葉が見つからない。

けれども、その他の事柄が次々と見つかった。

そこで、「おさづけ」についての事を記しておく。

『先人の遺した教話(3)-根のある花・山田伊八郎』の148頁からである。

間に、おまもりについて書かれているが、その後にまたおさづけについて書かれてあるので、続けて掲載しておく。

また、この中で、今の新型コロナに関わると思われるところが、150頁後ろから1行目、

「又流行病と見た時は、その家内へ立ち入る事無用。」とある。流行病とは、流行り病であり、今回の新型コロナもそれである。そうした時には、その家へ入る事は無用とある。入る事はいけないと言われているのである。

その後に、「さすれば、おたすけが出来ないかと言えば、そうではない。その内の確かなる成人一人、」と言われる。確かなる成人とは、病にかかっていない大人の人という意味に思える。

そして、「その親類か、または講社の内へ呼びとって、十分話を聞かせて、お願いをかける。これが第一。」とある。病にかかっていない家の人を、その親類の家か、講社という事は神様を祀ってある家と考えられると思う。そこへ呼び出して、神様のお話をしっかりとして、お願いをするという事である。

ここで、もう一つ気になるのが、そのお話は何かという事である。

これについては、155頁の2行目から、

「おさづけするには、先にかりもの、八つのほこり、いんねんの理を十分に話をして、「国処、姓名、年と、身上の様子」を先に聞き取って、。。。

と書かれてある事から、かしもの・かりもの、八つのほこり、いんねんの理がおさづけの前には必要という事になろう。

 

さらには、おさづけをさせて頂くおたすけと、においがけとの区別が、149頁後ろから5行目から、「おたすけをする、お話しする時は、腰かけや立ち話は無用。店先無用。」とある。そして、「奥座敷にて神様のお話を取り次ぎ。。。」とある。それに対して、150頁前から6行目「又においがけであれば、服装は常のままでもよろしく、においがけは立ち話でも、腰かけ話でもよろしい。」とある。

こうした区別を、教祖から直々に話を聞かれた先生は行われていたという事だと思う。

復元を唱えるとき、こうした事も大切な事ではないかと思った。

 

どうぞ、この本はWEB書店にて販売されていますので、お求めになる事をおすすめします。

 

世界だすけ、コロナ終息の一助となりますように。

 

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本部神殿奉仕をつとめて。。。

2020年08月10日 09時39分40秒 | 思った事

8日におぢばの神殿奉仕を勤めさせて頂いた。

新型コロナが、日本中にひろがりつつある中、当番の先生方はみな、マスクを付けて勤めました。

前回、緊急事態宣言が発令された時には、南礼拝場までも閉められて、神殿外からしか参拝できませんでした。それが解除された6月から神殿奉仕が再開されて、気が付いたことがありました。

それは、南北東西の全礼拝場が解放されるためには、結界内に8人の奉仕者が必要で、それが4交代で行うためには、一日32人の奉仕者が必要になり、そして一カ月では、32人を30日で960人が必要になるという事である。

その先生たちは、直属教会から推薦されているため、全国から来ることになる。現在東京など感染拡大がひどい地域からは、教区として辞退されているようだが、それ以外は個人の判断に任されている。

そうした中に、この新型コロナの感染をさけるために、公共交通は使わずに、車で来られています。

私も通常は近鉄電車で、団参券を使って帰参していたのだが、この6月からは、車で移動し、途中のパーキングエリアなどでは、人に接触しないように心がけている。

そうした中、ある先生は、娘たちが看護師なので、帰ると2週間隔離状態になる。と話されました。感染していない事が確定するために2週間、家族との接触を断っているという事で、周囲との対応も大変だという事を改めて知った。

さて、

どうして、こんな話をするかと。言うと、全礼拝場が解放解放されると、3,157畳の広さがある。つまり約2メートルの間隔を開けたとして、畳2枚に一人が座っても約1500人が座れる広さだということである。

ある会長さんと話をしていた時に、「これだけ信者さんが少なくなったら、あんな広い神殿など作る必要はなかった」などと言う人がある。と聞いた。

それを聞いた時には、そんなことを言う人があるんだ。と驚いた事を覚えている。

信仰が二代目、三代目となり親のつとめたお陰によって、現在元気に自分の思うように体が動き、事が運ぶ人にとっては、親神様の存在を疑う人も出てくると思う。

そうした時に、田地田畑すべて売り払い、人のために尽くし、残ったのは、屋敷の土地と隠居小屋のみとなった中山家。その中山家の土地が、今では、天理教教会本部として、何十倍という境内地となり、これだけの広い神殿、礼拝場が出来るまでになった事が、親神様のお働きでなくて、誰が出来るだろうか。

この広い礼拝場がある事が、親神様がある証拠だと、私は思う。

そして、この今の新型コロナの中、この広い礼拝場があるから、いつおぢばに帰って参拝しても、三密にならずに、心落ち着けてお願い、お礼が出来ると思う。

「ドア TO ドア」 で、 自宅からおぢば、神殿まで車で移動すれば、新型コロナは関係なく、参拝できるのである。

しかし、もし、神殿奉仕をする人の数が少なくなったならば、緊急事態宣言が発令される前、南礼拝場だけの解放であったようになる可能性がある。

そうならないためにも、それぞれが、新型コロナに罹らないように心掛けて、親神様・教祖にお喜び頂ける心に切り替えさせて頂きたいと思う。

世界の人々の陽気ぐらしを願って。。。

 

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