先日より探している言葉が見つからない。
けれども、その他の事柄が次々と見つかった。
そこで、「おさづけ」についての事を記しておく。
『先人の遺した教話(3)-根のある花・山田伊八郎』の148頁からである。
間に、おまもりについて書かれているが、その後にまたおさづけについて書かれてあるので、続けて掲載しておく。
また、この中で、今の新型コロナに関わると思われるところが、150頁後ろから1行目、
「又流行病と見た時は、その家内へ立ち入る事無用。」とある。流行病とは、流行り病であり、今回の新型コロナもそれである。そうした時には、その家へ入る事は無用とある。入る事はいけないと言われているのである。
その後に、「さすれば、おたすけが出来ないかと言えば、そうではない。その内の確かなる成人一人、」と言われる。確かなる成人とは、病にかかっていない大人の人という意味に思える。
そして、「その親類か、または講社の内へ呼びとって、十分話を聞かせて、お願いをかける。これが第一。」とある。病にかかっていない家の人を、その親類の家か、講社という事は神様を祀ってある家と考えられると思う。そこへ呼び出して、神様のお話をしっかりとして、お願いをするという事である。
ここで、もう一つ気になるのが、そのお話は何かという事である。
これについては、155頁の2行目から、
「おさづけするには、先にかりもの、八つのほこり、いんねんの理を十分に話をして、「国処、姓名、年と、身上の様子」を先に聞き取って、。。。
と書かれてある事から、かしもの・かりもの、八つのほこり、いんねんの理がおさづけの前には必要という事になろう。
さらには、おさづけをさせて頂くおたすけと、においがけとの区別が、149頁後ろから5行目から、「おたすけをする、お話しする時は、腰かけや立ち話は無用。店先無用。」とある。そして、「奥座敷にて神様のお話を取り次ぎ。。。」とある。それに対して、150頁前から6行目「又においがけであれば、服装は常のままでもよろしく、においがけは立ち話でも、腰かけ話でもよろしい。」とある。
こうした区別を、教祖から直々に話を聞かれた先生は行われていたという事だと思う。
復元を唱えるとき、こうした事も大切な事ではないかと思った。
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世界だすけ、コロナ終息の一助となりますように。