新型コロナの感染が拡大し、不安な中でありましたが、無事に月次祭をつとめ終える事が出来ました。
皆さんそれぞれに心して集まって下さいました。
しかし、部内の奥さんは、コロナ感染が心配だからという事で、参拝だけでお帰りになりました。
けれども、後継者の方が、運転して来てくださり、ありがたく喜ばせて頂きました。
うちの月次祭は、家族5人と、布教所の方3人と信者さん一人、そして部内の奥さんの10人ほどで勤めるのがほとんどである。
そこに、参拝だけに来てくださる方が2人、夜に参拝に来てくださる方が1家族である。
昨日は、部内の奥さんと、布教所の所長さんが用事で欠席だったが、おぢばから娘と息子が帰って来てくれていたので、いつもと同じ人数で勤める事が出来た。
また、高温で大変な事になると思ったが、おつとめ中は外から風が吹き込んできて、扇風機の風と合わせて、暑すぎることなくつとめる事が出来た。
これまた、ありがたいと思い、「親神様はどんな中でも、大難は小難にとお守りくださっている」と話をさせて頂いた。
まいた種は、時が来れば芽が生える。これが理である。
だから、今の新型コロナも世界情勢もすべて、時が来ての事である。
ただ、この時旬にどのようなお守り、お導きを頂くかは、それぞれの心である。
親神様にもたれて、親神様との心定めを守り、日々過ごさせて頂く事。これが一番大切な事だと、皆さんと話をしていてつくづく思った。
おつとめを終えて、お話をして、片付けをしている間に、妻が直会の料理を弁当パックに詰めて、皆さんにお持ち帰り頂いた。
ちょうど、お盆で仏様のあるところは忙しい時なので、これも良いかなぁと思ったが、お盆中のお寺さんの対応もこのコロナで変化しているとの事だった。
これまでにないウィルスへの対応、そして気候変動への対応。政治の上にも指導者は大変な事だと思うが、宗教の上にも大変な事だとも思う。
目に見える事だけでの対応では対応しきれないと思う。
目に見えない、親神様の導きを感じる事。これが大切ではないかと思った。