あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

ふしから芽が切る。。。逸話編 141

2021年07月15日 18時40分08秒 | 逸話編

141

【ふしから芽が切る】

 明治17年3月上旬、明誠社を退社した深谷源次郎は、宇野善助と共に、斯道会講結びのお許しを頂くために、おぢばへ帰った。夕刻に京都を出発、奈良へ着いたのは午前2時頃。未明お屋敷へ到着、山本利三郎の取扱いで、教祖にお目通りしてお許しを願った。すると、

 「さあさあ尋ね出る、尋ね出る。さあさあよく聞き分けにゃならん。さあさあこのぢばとても、48年がこの間、膿んだり潰れたり、膿んだりという事は。潰れたりという事は。又、潰しに来る。又、ふしあって芽、ふしから芽が切る。この理を、よう聞き分けてくれ。だんだんだんだん これまで苦労艱難してきた道や。よう聞き分けよ、という。」

とのお言葉であった。未だ、はっきりしたお許しとは言えない。そこで、深谷と宇野は、「我々五名の者は、どうなりましても、あくまで神様のお伴を致しますから、」と申し上げて、重ねてお許しを願った。すると、

 「さあさあさあ 真実受け取った、受け取った。斯道会の種は、さあさあ 今日よりさあさあ 埋んだ。さあさあ これからどれだけ大きなるとも分からん。さあさあ 講社の者にも一度聞かしてやるがよい。それで聞かねば、神が見ている。放うとけ、という。」

と、お許し下され、深谷、宇野、沢田、安良、中西、以上五名の真実は、親神様にお受け取り頂いたのである。

 

・・・・・・・

斯道会(しどうかい)

このことについては、「天理教事典」深谷源次郎をの項を張り付けておく。

以上。

 

 

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清らかな所へ。。。逸話編 148

2021年07月15日 18時27分20秒 | 逸話編

148

【清らかな所へ】

 斯道会が発足して、明誠社へ入っていた人々も、次々と退社して、斯道会へ入る人が続出して来たので、明誠社では、深谷源次郎さえ引き戻せば、後の者はついて来ると考えて、人を派して説得しようとした。が、その者が、これから出掛けようとして、二階から下りようとしてぶっ倒れ、七転八倒の苦しみをはじめた。直ちに、医者を呼んで診断してもらうと、コレラという診立てであった。そこで、早速医院へ運んだが、行き着く前に出直してしもうた。それで、講中の藤田某が、おぢばへ帰って、教祖に伺うと、

 「前生のさんげもせず、泥水の中より清らかな所へ引き出した者を、又、泥水の中へ引き入れようとするから、神が切り払うた。」

と、お言葉があった。

p247

・・・・・・

斯道会(しどうかい)・明誠社(めいせいしゃ)

天理教事典には、この項目での説明はなかったが、「深谷源次郎」に書かれていたので、それを記載して理解の一助として置く。

深谷源次郎は、明治14年に入信をしているが、その2か月後に、奥六兵衛を講元として「天倫社明誠組」(明誠社)が作られる。その会計として源次郎はつとめていた。その中に不思議なお助けを頂き、心を定めて白熱的なお助け活動を始めて、信者が増えて行った。

ところが「明誠社」の講元が信仰を踏み外すようになり、何度かいさめたが、声は届かず、源次郎は「明誠社」を脱退して「斯道会」を結成して講元となった。

この逸話編は、その時の話である。

また、逸話編141 『ふしから芽が切る』は、「斯道会」結成する時の話である。

・・・・・・・

「天理教事典」を以下に張り付けておく。

以上。

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本当のたすかり。。逸話編 147

2021年07月15日 16時56分54秒 | 逸話編

147

【本当のたすかり】

 大和国倉橋村の山本与平妻いさ(註、当時四十才)は、明治15年、ふしぎなたすけを頂いて、足腰がブキブキと音を立てて立ち上がり、年来の足の悩みをすっきり御守護頂いた。

 が、そのあと手が少しふるえて、なかなかよくならない。少しのことではあったが、当人はこれを苦にしていた。それで、明治17年夏、おぢばへ帰り、教祖にお目にかかって、そのふるえる手を出して、「お息をかけて頂きとうございます。」と、願った。すると、教祖は、

 「息をかけるは、いと易い事やが、あんたは、足を救けて頂いたのやから、手の少しふるえるぐらいは、何も差し支えはしない。すっきり救けてもらうよりは、少しぐらい残っている方が、前生のいんねんもよく悟れるし、いつまでも忘れなくて、それが本当のたすかりやで。人、皆、すっきり救かる事ばかり願うが、真実救かる理が大事やで。息をかける代わりに、この本を貸してやろ。これを写してもろて、たえず読むのやで。」

と、お諭し下されて、おふでさき17号全冊をお貸し下された。この時以来、手のふるえは、一寸も苦にならないようになった。そして生家の父に写してもらったおふでさきを、生涯、いつも読ませて頂いていた。そして、誰を見ても、熱心ににをいをかけさせて頂き、89才まで長生きさせて頂いた。

p245

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