先日、人口削減のためにワクチンを使用しているという話しを、議員さんがストレートに講演している動画を共有した。
「ついに出て来たか」と思った。
そして
「これが出て来たから、必死になってデマに注意をと政府が言い出したのか」と思った。
海外での情報、また海外でのワクチンやコロナに関する情報を、追いかけている者にとっては、政府やマスメディアがどれだけ情報を隠蔽して、国民を誘導しようとしているかは常識の話である。
完全に中国共産党の日本版である。
こういうことをしているのが、政府であると決めつけるか、その背後にある共産主義と決めつけるか、はたまたディープステートと呼ばれる権力者の集団と捉えるか。それはそれぞれであると思う。
けれども、情報が隠蔽・改ざんされて、多くの国民に公平に知らされていないのは事実である。
そして、先に述べた「人口削減」というシナリオが実行されているという話しを聞いた人々がどのように感じるだろうか。
とそれを心配した。
私は、これまでの政府やそれに付随する組織の対応を見ていて、(ゲサラ・ネサラ・金本位制なども含めて)現実にありうるとも思えてきている。
けれども、このシナリオはとても人々に影響を与えすぎる事だと思うと共に、説明が難しいために書いては来なかった。
そうした中に、親神様は何を我々に教えようとしているのかと常に考えていた。
うちの月次祭12日を終えて、ふと「本当のたすかり」という言葉が思い浮かんだ。
13日の投稿は、本当は「本当のたすかり」について書くつもりだったのだが、共有する情報があまりにも多く、近況だけのブログになった。
昨日、改めて「本当のたすかり」を書く上に、逸話編を探した。
そして、なるほどと思える事が、その後の話にあった。
それで、昨日は資料として、逸話編・3篇を投稿したのであった。
「本当のたすかり」とは、結論から言えば、心が建て替わる事である。
そして、
心が建て替わるとは、それまで思っていた価値観が変わるという事。
であり、
その価値観とは、互いに助け合える、「真実誠」の心を使えるようになる事である。
そのために、必要な事は、
この体はそれぞれの心に貸し与えられた「かしもの・かりもの」を台として思案する事であり、
常に自分自身の心・人の心を「八つのほこり」で思案して、修正することである。
と
この事を、逸話編から思えたのである。
まず、逸話編 147「本当のたすかり」を見て見よう。(下のリンクを押せば、別ウィンドウで資料が表示される。※PCの場合)
本当のたすかり。。逸話編 147 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
ここで重要と思うのは、教祖のお言葉
「少しぐらい残っている方が、前生のいんねんもよく悟れるし、いつまでも忘れなくて、それが本当のたすかりやで。」
であると思われる。
この「前生のいんねんもよく悟れる」この言葉をどう思われるだろうか。
まず、「前生のいんねんを信じる」ためには、「魂は生き通しであり、この体はその魂にかりているもの」を得心していなければ出来ない事、つまり「かしもの・かりもの」得心される必要がある事を理解されるだろうか。
その「かしもの・かりもの」を理解させるための
「明治15年、ふしぎなたすけを頂いて、足腰がブキブキと音を立てて立ち上がり、年来の足の悩みをすっきり御守護頂いた。」
という不思議な御守護ということである。
ここに書かれている「足腰がブキブキと音を立てて立ち上がり」このような事は通常あり得ないのである。
それを見せる親神様がおり、その親神様から体をかりているという証拠を見せられたのである。
そして、次に
「いつまでも忘れなくて」と言われている。この言葉もどのように思われるだろうか。
「いつまでも忘れない」という事は、「人間は忘れる」という事を前提として言われているのである。
「忘れないように」と、わざわざしているという事である。
では、次に
人間は「何を忘れるのだろうか。」という事になるだろう。
これについては、短い言葉なので推測でしか言えないと思うが、考えられることを上げて見る。
1:この不思議な御守護
2:この不思議な御守護を頂くために定めた心
3:この不思議な御守護を頂くときに聞かされた話
4:少し残った不自由な体に対して教祖に申し上げて、この時に話された話。
などが考えられる。
このように考えれば、もっと細かい事も思いつくと思うが、
ともかく、忘れない事が大切な事であり、それを親神様は望んでおられるという事である。
さて、このような事を言われた後に、教祖は
「真実救かる理が大事やで。息をかける代わりに、この本を貸してやろ。これを写してもろて、たえず読むのやで。」
と言われている。
ここでハッキリと、「身上がすっきりと助かる」ということよりも「真実救かる理」が大切だと言われている。
そして、そのために必要なことを次に、
「この本を貸してやろ」「たえず読むのや」と示されている。
この本というのは、
「おふでさき17号全冊をお貸し下された。」
と示されている。それを「いつも読みなさい」と言われたのである。
そして、これを実行されているのである。
本当のたすかりのためには、「おふでさき」は必須アイテムと言える。
さて、
昨日書いたブログの最後に「おふでさき」について書いた。
あの時は何気なく、その言葉が出て来て書いたのだが、この逸話編を見てびっくりした。
この「本当のたすかり」は記憶にあったが、この中の「おふでさき」の部分は記憶になかったのである。
だから、余計にしっかりと資料を提示して書かせてもらおうと思ったのである。
昨日、資料として投稿した他のもの、
清らかな所へ。。。逸話編 148 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
ふしから芽が切る。。。逸話編 141 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
についてはまた後日話をしたいと思う。
ただ、今回のこの「本当のたすかり」という話しを、なぜ今したのかというと、
「おふでさき」も17号の最後
このはなしあいづたてやいてたならば
なにゝついてもみなこのとふり (17-74)
これをはな一れつ心しやんたのむで (17-75)
と結ばれている。
「このはなしあいづたてやいてたならば」これは
「この話、合図立てあい出たならば」となり、
この「おふでさき」に書かれている事は、「合図があって物事が立てあう(重なって現れてきた)ならば」と解する事が出来ると思う。
その時には、
「なにゝついてもみなこのとふり」これは
「何についても、皆この通り」となり、「どんなことでも、すべてはこの話で示した通りになる」と言われていると思える。
そして、最後に
「これをはな一れつ心しやんたのむで 」は「これを、一れつの者は思案を頼むで」となり「この事を、世界中の人々はしっかりと思案をして欲しい。それを親神から頼む。」と言われていると思える。
「予言の書」と前回書いたが、この「合図立てあい、出たならば、何についても、みなこの通りになる」という言葉からすれば、「合図をしっかり見極めれば。それによって、先の事が書かれてあるので、それを知る事が出来る。」とも解釈できると思って、書いたのである。
先の逸話でもそうだが、その時だけの物語にしてしまっては、とてももったいない事だと思うのである。
今現れてきている事、それぞれの身近に起きてきている事に照らし合わせて、思案する事。
それがこれから大切になるのではないかと思う。
最後に、コロナやワクチンなど様々な事が言われている。正直何が正解かは、身近に起こってみないと分からないのである。
けれども、起こる前から教えられる情報から考えて行動する事、これは人間の特権なのである。
他の動物では出来ない事なのである。
人間は知恵の御守護を頂いているからこそできることである。
この知恵をどのように使うか、これもそれぞれの心次第。
また、どのような知恵を授けて下さるか、どのような思案を浮かばせてもらえるかも、それぞれの心次第である。
そして、どんな身上になっても、この逸話のように、心次第でどんな御守護も頂けるのある。
ともかく、「本当のたすかり」を目指して、頑張っていきましょう。