昨日9日、教庁での用事を済ませた後、神殿参拝をして名古屋へ帰ろうと、真南棟をくぐった時、正面に見える神殿が気になった。
昨年、新型コロナが蔓延して、初めての緊急事態宣言が出された時、南礼拝場の障子が全て閉まったことを思い出したのである。
そこで、真南通りに思わず車を停めて写真を撮った。
真南通りのきれいな両側の花は、農事部の人たちが管理してくれている。
これが真南棟からおやさと大路まで長く続いている。これを写真に治めたいと思うと、これだけ神殿は遠くなる。
去年と今年は、新型コロナのために「こどもおぢばがえり」が中止となったが、本来今の時期は、この花の外側に、おやさとパレードのために階段状の席が作られて、旗などで飾られているのである。
おやさと大路を越えたところを中心にするとこのようになるのだが、
この場所には、黒門があったのである。
新型コロナが始まる前に、黒門の解体が行われて、現在の状況になった。
おやさとパレードのリハーサルで、飾り付けられたフロートが、この黒門を越す時に、支障がないかと係の人が一生懸命にチェックしていた事を思い出す。
神殿の障子を中心に撮影するとこのようになる。
真南通りは南に向かって下っているので、障子と同じ高さで撮影する事が出来る。
さて、昨年神殿に誰も上がれないように障子が閉まった写真を見た時に、「これは大変な事になる」と思った。
そして、戦争状態の感覚になった。
どうしてそのような感じを思ったかというと、この日本は自由の国である。
人の行動や発言も制限されない。また宗教も制限されない。これが通常である。
それが、政治の方針によって、参拝者を神殿に上げないという事になったのである。
つまり、通常ではないという事であり、それが戦争という事に結びついたのである。
その時はただの感覚だけだったが、あれから1年以上たち、様々な情報を調べた時、
現在、世界では中国共産党の「超限戦」という考えが浸透している。
しかし、そうした事は日本のメディアでは全く言われない事を知り、情報が特定の人々によって操作されている事を知った。
親神様は、人間を創られた元の神様である。
人間たちが共々に楽しく暮らす姿を見たいと望んで人間とこの世界を作られたのである。
しかし、人間はこの「共々に助け合って」という事を知らない。
親神様が、「陽気ぐらしをさせたい」と望まれても、そんなことは知らないとして、自分本位の考えをする。
ましてや、近頃は「詐欺」が横行している。
反対に、詐欺は人の心や言葉をうまく利用する。
天理教ならば「互いに助け合うのでしょ」として、その言葉を利用する者もあるだろう。
人を信じやすい人ほど、人の事を心配する人ほど、騙されやすいのである。
何とか、心良い人々が守られますようにと、撮影後、南礼拝場でおつとめをして名古屋へ向かった。
亀山で休憩している時にふと、この新型コロナなどなどでこれから先を不安に思っている人々の事と、神殿の写真が心に浮かんだ。
そしてFacebookに、上の写真と、
「先が分からないと不安に思う方があれば、臨床実験中のワクチンを「安心安全」と言い切る政府に疑問を持たない自分を考えてみる事をお勧めします。」
とメッセージを投稿した。
書いてみて、今振り返ると、
不安に思うのも、それぞれの心である。
臨床実験中、治験中なのに「安心安全」とは絶対にありえない事なのである。
それなのに、そのように言い切る事に、疑問を思わない、その心が問題ではないかいう事である。
親神様は、心通りの守護を下さる。
自らの心を点検して、正さなければ、正しい方向へと導かれない。
どれだけ良くなろうと思っても、正しくなければ、正しくはならない。
正しいと思い込んでいても悪ければ、悪い方へ引き寄せられるのである。
自分の心を見分ける。そのための材料が私たちの周囲に散りばめられているのである。
不安になってパニックになると、正しい心は使えなくなるのである。
先を不安に思うよりも、今の現状を冷静に思案する事の方が前向きだと思う。
「心の守り、身の守り」である。
さて、今日も一日頑張りましょう。