6月12日 6月の月次祭に、130周年記念祭の思いを重ねて、部内教会の信者さん方にも声を掛けて、おつとめをつとめた。
部内教会からは、会長夫人と後継者夫妻、そして信者さん1名の4名が来てくださり、部内布教所からは3名、そしてうちの家族も、子供たち全員が揃い、総勢16名で勤める事が出来た。
それ以外に、おつとめの前に参拝に来て下さる方、おつとめの後に来て下さった方など、それぞれの思いで、それぞれの仕方で勤めて下さった。
記念祭という事で、大教会長さんに来て頂き、おつとめの後にお話をして頂き、記念撮影をして、お弁当を配って終了となった。
皆さんがたは、大教会長さんのお話を聞いてとても喜んで下さった。
これまでの記念祭ならば、大教会長さんには夫妻で来てもらっていたのだが、今回は新型コロナで、世間がまだ騒がしいので、大教会長さんだけに声を掛けた。
私は、すべては親神様の働きの中にあり心通りでどんなおたすけも頂けるし、またイベルメクチンという薬があり、政府が認めれば何ともないのに、それを認めない事に不信を抱くばかりであるが、政府の情報を信じ切っている人々には、まだまだ不安だらけの世の中で、参拝に来るのも怖がっている状態である。
先日行った部内の会長の年祭の時に、記念撮影で、マスクを付けて撮ろうという話が出た。それはこういう時だからそれを記録にするために。との事である。
これを聞いて、この状態を記憶に残す事、記録に残すことも大切だと思った。
うちの参拝場には、110周年・120周年と集合写真が飾ってある。
今回の記念写真には、全員マスクを外して移っているが、大教会の奥さんはいない。また、私の母親もいない。これがその証でもある。
そして、来て下さいとお願いして来てもらったのは大教会長さんだけで、あとは親神様に凭れて、一緒に努めたいという人のみである。
さて、うちの記念祭は大教会の記念祭のすぐ次の年になるので、大教会の上には御供の袋などが回ってくるが、うちの教会の上には何もしない。
それぞれの思うだけ、ともかく部内の方々と共につとめさせて頂きたいとそれだけである。
そして今回の挨拶は、この120年から130年までの10年間を振り返っての話をした。
120周年を終わってすぐさま、一番私の相談相手となり、信者さんの中心になってくださった方が出直した。
その後に、部内の会長さんが出直した。
このお二人の出直しは、私にとってはとてもとても辛い事であった。
しかし、そのお二人は出直されたが、その出直されるまでに、私なりに懸命に動き、親神様の不思議な働きをお見せいただいた中で出直された話をした。
そして、節目というものは、それまでを振り返り、これからを見つめるためにあると話をした。
今、世界中は混とんとしている。それがようやく日本でも実感できるようになって来た。
この混とんとした状態は、これまで信じて来た事が違っていたと知った人々が、心迷わすであろうことが十分に予想される。
心迷えば、身も迷い、体調を崩す人々も増えてくるのである。
つまりはおたすけの旬という事になる。
おさづけは、真実込めて取り次ぐだけなのである。
そして、
親神様・教祖にもたれて、真実をつくして、おたすけをさせて頂く。
心配になる人に、一言の話をさせて頂きましょうと結んだ。
この6月12日は、次男の誕生日でもある。
長男が6月6日、だから小さい時は、6月6日に二人合わせて誕生日をしており、次男から不満な雰囲気は感じていた。
今回、おぢばにいる子供も、仕事に行っている子供もみなおつとめに出てくれて、家族全員が揃った誕生日なのである。
ぜひとも今回、家族全員で誕生日の記念写真を撮りたい。と願っていた。
すると、弟が、おぢばの子供たちを送ってやるから、おつとめが終わった頃に来ると連絡が入った。
早速、娘のケーキ屋へ27センチのケーキを注文して、来るときに立ち寄ってもらった。
大教会長さんも、信者さん方が帰られて、またあとからの参拝者も帰られて、午後3時過ぎ。
家族10人で誕生会をして、記念写真を撮った。
いつもは15センチのケーキだが、10人もいるからと大きくしたのだったが、一人分がとても大きく、お弁当は夕食になった。
おぢばへ帰る者たちを見送ったのが5時前。
それから片づけをして、おぢばへ送って行ったものが帰って来たのが9時過ぎ。
うちの家族は、すぐに「え~~。やだ~~。」と言葉が出る。
ところが、寸前になると、手伝ったりして、何事も無かったように事が運ぶ。
不思議である。
とてもとても嬉しい一日だった。
そうそう。
記念祭直前になって、玄関ポーチの雨除けシートを、波板に代えて、門灯と防犯灯をLEDに代えた。
全くやる気はなかったのだが、奥さんの言葉から、数日掛けて工事をした。