鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

ちょっと古い鳥海登山地図

2019年02月07日 | 鳥海山

昭文社さん1991年発行の地図より

今となっては歩くことのできない登山道が結構載っています。

この年の時点でも道跡は殆どなく通行は不能になっていました。

 

左の図は御浜小屋から稲倉岳への登山道が記されています。

しかしながらこの時点でほぼ廃道。今でも遠くから見れば踏み跡らしきものは微かに見えるかもしれません。

鉈を持って一日がかりで行けるかどうか。

御浜の小屋にいたときに、年配の夫婦がこれから稲倉岳へ行くといって向かっていったことがありました。

大丈夫だろうかと皆で噂していましたがかなりたってから奥さんのほうが、連れ合いが途中で歩けなくなったといって救助を求めに来たことがありました。

うちの父親は昔、鳥海山を測量して歩いていたので稲倉岳へはこのルートを通って何度も登ったといっていましたが、ボサ、蟻の門渡りでかなりの難所だったということです。

同じ画像の下の方には前鍋を経由して鍋森への登山道が記載されています。

ここは蝮さんがいっぱい出るとは、かつて登った人の話。

その右の画像、小雪渓から薊坂を経由して伏拝岳への経路ですが、薊坂の入り口で左に分岐、仙ヶ洞(センガホラ)を経由して文殊岳へと至る道が載っています。薊坂の急登を避けるための道だっということですが、これもこの時点ですでに登る人は無く廃道となっていました。

上の図は鶴間池から鹿ノ俣沢を渡って食物園(ショクモツエン)へと至る道です。これより古い登山地図にはこの先、南物見も載っていました。滝の小屋からこの物見へ至る道もあったはずです。もちろんこの物見から山頂へも向かったらしいです。この道を歩いた人から聴いたところでは、、途中で熊さんの子供に出会い、その彼方から親熊の咆哮が聞こえてきたので泡吹いて逃げ戻ったということです。

いずれの道も私は入り口しか見ていませんので、人から聴いたことばかりです。

今となっては自然保護と自身の安全のため、どれもチャレンジはしないことです。

2階の古本置き場から(これでも新しい方の)登山地図が出てきたので、風景を思い起こしながら書いてみました。

それにしても2階から1階へ追い出されたんだけれど、いまだ本の整理はつかないなあ。