鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

ハッチョウトンボ

2023年07月30日 | 鳥海山

 鳥海山の麓白井新田に棲息するハッチョウトンボ、保全地に柵を設置し、通常は立ち入りを制限されていますが7月の土日祝日の午後1時から4時には観察会が開催されています。今日が最終日ということで行ってきました。

 ハッチョウトンボは一円玉の大きさの日本一小さいトンボ。遊佐町指定天然記念物になっています。

 最初はオートフォーカスで追っかけていたのですがレンズが旧式でうまくピントが合いません。そこでマニュアルフォーカスにしたのですが、老眼の悲しさ、ファインダー越しでピントを合わせたつもりでも結果は合っていません。視度調節するのを忘れていました。

 成熟した雄、これで一円玉の中に納まる大きさです。

 擬宝珠に止まる姿からも大きさが想像できると思います。

 雌は腹部が黄・黒・茶色の縞の虎斑模様

 思いがけず鷺草が。

 自然の造形はすごいですね。

 帰り道、顔をあげると目の前には笙ヶ岳が。この陰が鳥海山御浜です。


鮑に岩牡蠣

2023年07月30日 | 鳥海山

 早朝から開いているスーパーはレジも長蛇の列。この猛暑の中皆さん缶ビールなどを大量に買い、これから遊びに行くのでしょう。

 そういえばかつてはだいぶ遊び歩いたもので。

 かつて在籍した会社に漁業権を持っている人がいて、みんなで鮑、岩牡蠣取りに来いという話になりました。参加者半分は前夜に乗り込んで宴会。出て来る料理は一個数cmもある岩牡蠣フライが山盛り、鮑の刺身。準備した缶ビールはかなりの量。岩牡蠣は真牡蠣と違って真夏の今が旬なのです。

 翌日は後続部隊と合流、鳥海山の冷たい湧水が水中に沸く海にみんなが潜り岩牡蠣、鮑をふんだんに。持ちきれなくて海水パンツに鮑を入れて海から上がってくるものもあり。

 後は浜辺で焼いて食べます。鮑は生ではコリコリしますけど、焼くとほわッと柔らかくなります。岩牡蠣は海水で洗って口の中へ。途中でビールが足りなくなり追加を買い出し。飲んだ缶ビールが百本超。

 この岩牡蠣、慣れないとこじ開けるのが大変。下手すると手を切りますし、牡蠣殻はそのまま置いておくと臭くなりますので処理は大変。

 鳥海山の恵みはここにもありました。今はもう集まって遊ぶこともなくなりましたが思えば結構遊んだものでした。

 そういえば道の駅で売っている岩牡蠣は今では一個千数百円もするとか。あれ、生臭くて食えないんですよね。港の近くで打っている魚も鮮度悪すぎ、この辺の海産物を扱う店は海の近くのくせに生臭い、ほんとに鮮度のいい魚は生臭くないです。


矢島口七合目御田

2023年07月27日 | 鳥海山

 矢島口七合目御田、素直に読めば「やしまぐちななごうめおんた」ですね。秋田の本荘山岳会のどなたかは「オダ」と読むのが正しい、と指摘され、それに従って昭文社の山と高原地図も「おだ」とルビを振るようになったそうです。

 ちなみに何合目と山が高さによって分けられているのは山岳信仰の山だからです。高さによって十に分け十界の苦行の境界を表しています。すなわち一合目は地獄道、二合目は餓鬼道、三合目は畜生道、四合目は修羅道、五合目は人道、六合目は天道、七合目は聲聞しょうもん、八合目は緣覺えんがく、九合目は菩薩、十合目は佛地ぶっちとなります。

 はたして「おだ」でしょうか。秋田の山岳会の大先輩で数えきれないほど鳥海山に入山している斎藤重一さんはその著書「鳥海山」(1997年 なんば書房)のなかで御田に「おた」とわざわざルビを振っています。又山と高原地図、池昭さんの時代のものは地図には御田にルビは振られてはいませんが付属の解説ではちゃんと「おんた」とルビが振られています。


(昭文社 山と高原地図 鳥海山 1976年 池田昭二執筆 附属冊子より)

 なにより確実なのは祓川ヒュッテの管理人を長く務められた佐藤康さんは「ひとりぼっちの鳥海山」の中で御田にわざわざ「おた」とルビを振っているくらいです。

 昭文社山と高原地図 鳥海山・月山 羽黒山」2019年版では御田に「おだ」とルビが振ってあるそうですが手元に無いので不明です。同シリーズの手元にある2022、2023年版の紙の地図では御田にルビは振られていません。わざと削ったのでしょうか。但し電子版では御田に「おだ」とルビが振られています。破方口も「破方」のまま、「やぶれかた」のルビがなくなったのはまあ良いとして。

 山岳信仰の英彦山では「御田祭」(オンタサイ)が行われることからもわかるように山岳信仰における「御田」は「オンタ」と読みます。
  ※阿蘇神社の場合は、御田祭(御田植神幸式おたうえしんこうしき、通称オンダマツリ))と呼ぶそうです。

 御田の読み方は神事に係わることなので(おた、みた、おみた、おんた、おんだ、おでん)といろいろありますが「おだ」と読むことはありません。吹浦口御田ヶ原も読み方は「おたがはら」、「おだがはら」ではありません。

 地名にいろいろな呼び方があるのは問題ないのですがせめて山岳信仰を基とした呼称は伝えられてきた読み方を守りたいものです。


瓜・西瓜・メロンにイカソーメン

2023年07月26日 | 兎糞録

 夏と言えばメロンに西瓜、芭蕉にはスイカやメロンではなく瓜を詠んだ句、「初真桑四にや断ン輪に切ン」とありますがう~む、と言ったって真桑瓜を見たことも食したことがない方には味も情景も浮かんでこないでしょう。今や瓜なんて見ることもないのですから。全国では今も作っているところはあると思いますがこの辺はメロン一択。去年たしか一度だけ瓜を売っているのを見たような記憶もありますが。

 縞々模様の真桑瓜、絵を見るだけで夏を感じます。猪の子供が「うり坊」と呼ばれるのも瓜を見たことがない人には理解不能でしょう。

 小学校のころは夏は瓜と西瓜、瓜と言えば真桑瓜の事です。今にして思えば瓜はそれほど甘くもなかったかもしれません。瓜の後に出てきたのがキンショーメロン、どんな字を書くか気にも留めていなかったのですが金鐘メロンと書くのだそうです。古寺の釣鐘が名前の由来とか。黄色いマクワウリにスペイン系メロンを交雑して生まれたものだとも知りました。今も作っているところはあるようですがこの辺は今やすべて網目のアンデスメロンが主流。

 キンショーメロン、あまり甘くなかったような記憶があります。

 網目のメロンの前に作られていたのが上の絵のプリンスメロン。これも今や知る人もいないかもしれません。これも今のアンデスメロン程は甘くなかったような気がします。芭蕉がアンデスメロンの時代に来たら「初アンデス四にや断ン輪に切ン」と詠んだかどうか。

 子供のころは西瓜もメロンも上の写真のように半分が一人分。ついでに今では値段が高騰して食卓にのることも少なくなったイカソーメン。これも子供のころは一人前が丼いっぱい。

 こんなちゃちな量では食べた気がしません。東京で初めてイカ刺しを食べた時はそのあまりの量の少なさと鮮度の悪さにびっくり。海老もゆでたものが寿司ネタにのっかっているのも驚き、なんで生じゃないんだーって。

 

 西瓜で一番記憶に残っているのは小さいころ釜磯という磯に釣りに連れていかれたらそこに食い散らかした西瓜の皮が沢山捨ててあり、今もこういう人はいますが昔からいたんですね、そこに群がるカブト虫。昆虫好きなら目の色を変えるほど。林から離れた磯場まで、カブトムシはどうやって西瓜を見つけたんでしょうね。

 夏もいいですねえ。


夕暮れコレクション

2023年07月24日 | 鳥海山

 久しぶりに河原宿まで行こうと思ったらなぜか腰痛発症。あきらめて又古い写真を引っ張り出してきました。一時間でも余計に山にいたいと思っているうちに辺りは真っ暗。今じゃとてもこんなことは出来ません。知人は遅く家に帰ったら、山は何時までやっているんだ、と怒られたとか。