御本社の参拝が済んだら破方口から七高山に向かいそこから伏拝に歩いていくと蟲穴があります。そういえば、七高山の所で橋本賢助の鳥海登山案内で
【七高山】(しちかうさん)當山第二の高站點で、陸軍一等測量台の置かれた所である。此の先にも矢島口の拜所があるが、行って見ると、當山で見られない河原の石が澤山落ちて居る、 そして中には戒名の賛いたのが多い、何でも之は矢島方面の習慣で、わざ〲河原の石を持ち上げて供養をするのだそうな、今に神佛混淆の事が殘つてゐるのである。
と書いていますがこれは仮名北ピーク、破方口山の事ですね。これに就いてはこちらの記事をご参照ください。
〇蟲穴は宛蜂の巢の如き巨岩にして一種の羽蟲小孔を出入す農民は蝗蟲の害を避けんと慾し此岩に紙を張り小孔を塞ぎて祝祷す是羽蟲を禁搏するの意なる歟稻倉嶽〇稻倉嶽は本山の西北に位し俗之を稻村嶽と云ふ卽ち大物忌神社の御祭神倉稻魂命の深き由緖の存する所にして古は瑞鳥此處に棲息し形鳳凰の如く時々鳥の海の湖畔に啄めりと傳へらる今輕しく由緖を說明するは却て神祕を洩すの恐あれば叨りに細說せさるべし而して稻倉嶽鳥の海鍋ヶ森御苗代等に詣でんと慾するものは宜しく山上に一泊するを便なりとす
蟲穴岩ではありません。蟲穴です。わかりやすいから虫穴で良いという人もいますが何度でも繰り返して言いますが由緒ある名前ですから変えて呼ぶのは冒涜です。さてこの蟲穴について以前にも紹介しましたが、鈴木正崇氏は三田哲學會出発表した「山岳信仰の展開と変容 : 鳥海山の歴史民俗学的考察」という論文の中で
「外輪山を北に向かうと巨大な溶岩の塊で無数の穴が開いている 虫穴 があり これらの穴からは作物を食い荒らす田畑の害虫 (ハフムシ 、蝗虫、浮虚子) が出てくるとされる 穴をふさげば出てこないので豊作になるとして紙を沢山詰めた 道者は中に棲む小虫を虫穴大明神 (五穀神) として崇めた。 農耕守護の神への切実な願いが込められたのである。」
と紹介しています。ハフムシ、浮虚子は鳥海山登山案内記では出てきません。橋本賢助の鳥海登山案内はどう書いてあるかと開いてみると
「仙者谷を左手に見て荒神ケ嶽の中腹を斜めに下ると、谷の底にある雪田上に達し、更に雪田を下れば、左方に七五三掛と稱する所がある。此處は外輪山の終點で愈々新火山と別れを告げる所である。 まもなく御苗代と云ふ所に着く。」
とあるので帰りは外輪コースを取っていません。姉崎岩蔵「鳥海山史」では次のように記しています。
「外輪山を通つて七高山に行く途中、虫穴と稱する所がある。可なり大きな熔岩塊で、一面穴か澤山あいている。之は大方軽石のように噴出の當時、瓦斯体の飛び出したものであろうが、叉風化作用も与つて力あつたととだろうと思われる。之を虫穴と稱え、一つの拝所にしてあるのは、此穴か出る虫が田畑の害虫になるのだと云う傳えを持つているからである。それ故此処の小穴を塞いで行くと豊作を得るとのことで、穴を塞いだ紙がー寸異様に感ぜられる程澤山ある。」
登っても興味も持たない人ばかりでしょうけど行く機会がありましたら虫穴をじっくりと見てください。
さて蕨岡口から登った登拝者は通常吹浦口へ降るとものの本に読み、聞いたような気もするのですがこの太田宣賢の鳥海山登山案内記では、
蕨岡口より登りて吹浦(ふくうら)口矢島(やしま)口小瀧(こたき)口等に降るものありと雖ども極めて少數にして多くは學術硏究若くは觀光隊の一部に過ぎず
となっています。やはり同じ道を降った方が多かったのでしょうか。今となってはこの書のほかに確認すべきものはありません。でもこの一行、信仰のための鳥海登山に対して学者の研究登山、観光に”ゆさん”とルビ振るあたり一段低く見ているような気がしないでもないです。
また登拝道についてはこの頃蕨岡共栄社で改修を進めていたことがわかります。
附記 鳥海山道路は從來に於ては其峻坂嶮路寔に上述の如しと雖も本編脫稿後蕨岡共榮社主として道路の改修を企て村稅郡費等より多大の資金を投じ大に改良を加えへつゝあり既に其竣工したる部分の如きは全く平夷にして從來の面目を一洗したるものにして其未だ竣工せざる一部の如きも目下著々進行中にあるを以て明年を待たずして完成すべし左れば登山者は極めて容易に登ることを得べく特に女子團の登山には著しき便宜ならん
(明治四十五年七月)
現在蕨岡口旧登拝道の湯ノ台道と合わせるところまでは荒廃していますし、何とか復旧させたいものです。多くの登山者で賑わうと山が荒れてしまうのは困りますけど。自然はやはりもとに還ろうとするんですね。中島台林道も今は一部崩壊して通行止めのようですし奥山林道も山形側から通り抜け不能、橋も撤去されているようです。鳥海高原ラインも車道終点近くは補修はしてありますがいつ崩れても不思議はないようです。