鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

山と高原地図に見る清吉新道の変遷

2020年09月02日 | 鳥海山
 1976年の山と高原地図には今は廃道となった多くの登山道が記されています。その中の清吉新道は斎藤清吉さんが切り開いた道ですが、その経緯・開削の記録は斎藤清吉さんの著書「鳥海山登行 山男のひとりごと」に詳しくあります。そのまえがきに新道をつくることになるいきさつが書いてあります。

「昭和三十二年十月、山形県総合体育大会山岳部門が鳥海山に決まり、八幡町が主担当になった。
 しかし鳥海登山道の中、山形県側のものは行政区域的に遊佐町に集中していて、八幡町から頂上に直行できる道はなかった。
 だが山岳関係者にしてみれば、八幡町からは平素大分お世話になっている。
 この際大会記念に、八幡町から頂上まで直接登れる道を開削して街に寄贈しようと思い立った。」

 この年の七月十四日から八月十四日の短期間に開削されました。新道の名前は県総体のおり、県岳連会長や役員が協議して「清吉新道」と命名したとのことです。
 この地図は1976年、すなわち昭和51年のものです。滝の小屋への車道終点は現在よりずっと下です。清吉新道は開削からわずか二十年足らずで「これより荒廃がひどい」と記されています。新道中ほど、河原宿からの登山道とつなぐ道も記載されています。天主森から月山森を経てボタ池へ出る道はこの時点では破線扱いですが1986年版では復活して実践扱いになります。
 同じ1976年地図の裏面ですが横道と名前が書いてあり、横道への入り口がわかりにくい、と書いてあります。南物見と名付けられたポイントもありますね。
 先日、蕨岡の山本坊さんにお邪魔した時も清吉さんの話になり、この横道には部屋ほどもある岩があったという話も出ました。清吉さんと知り合いではないかとも聞かれましたが世代がちょっと違います。
 yshimatennjinn さん から問い合わせのあった千畳ヶ原から文殊岳へ至る道も少し詳しく書いてありますが、ここも難路扱いで「沢筋が登路となっている」「一部ヤブこぎ 1800m付近」と書いてあります。

 1986年になると滝の小屋への車道終点も標高1204メートルまで延長となっています。取り決めでは車道上限は標高1200mでしたが4mほど上まで来ています。この辺の所は是非「湯の台.滝の小屋線観光道路延長計画」をお読みください。鳥海山に登る人は必ず知らなければならない自然保護と開発のいきさつが書いてあります。URLは下記のとおりです。
http://www3.ic-net.or.jp/~sierra/shizen/shizen01/mamoru01.html
(リンクの貼り付けがうまくいかないのでこのURLを選択して移動してください。)
 この時点ですでに横道も千畳ヶ原から文殊岳へ至る道も消えています。下の地図はそれから八年後、

 1991年、三ノ俣の鈴木小屋から月山森への道も破線になっています。清吉新道は食物園(しょくもつえん)でストップしています。
 ところが、翌年になると、
 1992年の地図ですが、その前年台風19号で山頂の小屋の一つが吹き飛ばされ外輪との谷間に転がっていました。地図の右上に注意書きが書いてあるのはそのことです。この年の地図では食物園から先、南物見とその先標高1500mくらいでしょうか、そこまでが地図上で破線扱いながら復活しています。池田昭二さん亡き今となっては事情を確認しようもありません。発行元の昭文社に問い合わせても確かな回答は不可能でしょう。七五三掛もまだ旧道です。ガケ崩れあり危険と記載されています。この道は崖崩れというより崩落が著しく道を丸太などで補修しても一冬超すと危険な状態となってしまいました。
 丸太と足場パイプで補修した七五三掛の道です。それ以前は丸太もなく岩壁に体を向けて蟹の横這い状態にならないと歩けなかったところです。その後千蛇谷への下降口は安全な経路をもとめて上へ上へと移動していきます。

 さてそれから十一年後、調査執筆は斎藤政広さんへと変わっています。
 2013年の地図です。食物園の下には 迷 道不明瞭の箇所多い と注意書きしてあります。破線については、「赤の破線で表記した難路(岩稜やヤブなどを含んだ経験者向きの登山道)」と記してありますが、実際の所経験者でも歩くのは残念ながら今となっては無理でしょう。WEB上でも何例か途中まで歩いた事例が紹介されていますがそれも最後のもので二十年近い昔、この地図はかなり優しく場所場所の注意書きも書かれていて初めて登る人には便利かもしれませんが、破線の道はもう記載する必要はないんじゃないかと思います。或いはこの先踏み跡はあるけれども廃道につき立ち入らないように、とでも書いた方が良いのではないでしょうか。それから七高山に向かう途中「虫穴岩」と書いてありますが古来虫穴と称し、虫穴岩と岩をつけて呼んだ例はありません。誤った知識を広めるのはやめましょう。佐藤要さんの「鳥海山を登る 夏から秋の登山道ガイド 山歩きの雑記帳」(2014年発行)には登場する箇所すべて正しく虫穴と記されています。もっとも斎藤政広さんのこの山と高原地図は2013年版ですから2020年の今、どのように変わっているかはわかりません。
 行者岳から新山へ向かう道はこの時点ですでに立ち入り禁止になっていたのではなかったでしょうか。ここは千蛇谷もそうですが、落石の乾いた音がカラカラカラと聞こえる不気味な所でした。
 2020年版は?そのうちに買いましょう。

2 コメント

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Unknown (江田 なを)
2024-09-15 09:15:21
横道は横堂ではありませんか?間違った情報を広めないでとおっしゃっていますが、確認はお互い様ではないでしょうか?
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Unknown (ayasiiojisann)
2024-09-15 09:36:45
>江田 なを さんへ
>横道は横堂ではありませんか?間違った情報を広めないでとおっしゃっていますが、確認... への返信
横道(よこみち)は清吉新道の途中から河原宿へ向かう道(すでに廃道)、横堂(よこどう)ではありません。横堂は箸王子神社があった建物が横に長いお堂だったから横堂と呼ばれ、それが地名となったものです。
なお横道はかつて歩いた人によれば大岩ゴロゴロでかなり上り下りの激しい道だったそうです。
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