鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

急に暑くなった夕方は鳥海山に思いをはせつつ富士山を飲む

2020年07月31日 | 鳥海山
 連日の雨、午後から青空も見え始めたと思ったら急に暑くなってきました。
 こんな日の夕方はビールだー。そこで先日ためしに飲んだら美味しかった富士山というビール、

 鳥海山という日本酒はあるけれど(これが冷で飲むと美味しい、東京の千歳船橋の駅前の居酒屋で初めて飲みましたが。)鳥海山というビールがあったら夏の間はストックして毎日飲みます。
 そういえばずっと前に、北海道というビールはありました。頭の中で北海道と勘違いして今日富士山ビールを探していました。
 象潟口を登ると、御浜につく前に無性に乾いてしまうんです、喉が。そこで「喫茶賽の河原」を時折臨時に開店していました。小砂川堰の水の流れる音を聴きながら休むとちょうどいいんです。小砂川堰は夏のちょっとの間だけ水が滔々と流れることを見ることが出来ます。これだけのものをつくるなんて昔の人はすごいですね。小砂川堰についても少し調べてみようかと思います。

 誰ですか、そんな簡単に休憩とるとはけしからん、などという人は。でもね、ここで三人でウヰスキー一本開けてしまって、当日山頂へいくつもりが御浜で一泊になってしまい、挙句の果てに翌日は雨になってしまった、というのもずっと過去の、今は亡くなってしまった人たちとの思い出です。

 イワタニプリムス ガスランタン

2020年07月28日 | 鳥海山
 毎日天気が悪いですね、こんな日は古い道具を引っ張り出してきて遊びましょう。
 新聞を見ていいたら近頃はキャンプコーディネーターなんて職業もあるんですね。そういった方が推奨するようなおしゃれなものは我が家にはありません。実用一点張りです。
 火舎の大きさは違いますが明るさは同じです。今は廃番らしく、新しい火舎はオークションサイトにあるくらい、しかもかなり高いです。ランタンそのものも高値で取引されています。マントルだけは手に入るので大事に使えばまだまだ活躍してくれそうです。
 コンロもそうですが、一度ガスを使うと便利で手放せません。かつてはみんなケロシンやガソリンストーブを使っていたのですが。
 無人の小屋泊まりでもないと持っていくこともないのですが、大清水避難小屋では10年にわたって活躍しました。最後に活躍したのは東日本大震災の時でしょうか。停電が復旧するまで働いてくれました。あとはたまに夜の照明にして酒を飲むくらいでしょうか。

 窓の外にシトシト降る雨の音を聞くと、鳥海山の山頂小屋で降る雨を眺めていた情景が浮かんできます。こんな日は誰も来ないだろうなあ、と思って受付で外を見ていたら、合羽から滴る雫をはらいニッコリと「おお、来たぞー」と見知った山の仲間が。彼も今はどこかの山小屋の管理人をしているとか。
 ああ、そうだ合羽を新調しなくては。今は合羽なんて言わないんですかね。レインスーツと言わなければ通用しないかもしれませんね、でもこの世代はやはり河童、じゃなくて合羽です。

山登り用ズボンは

2020年07月23日 | 鳥海山
 長いことニッカポッカを愛用してきましたけれど、しばらく着用しないうちにお腹がでてしまって履けなくなってしまいました。その辺に行くときはジーンズでごまかしていたのですが、あれは山登りには向きません。そこで、

(画像はワークマンオンラインストアより)
 ワークマンのAERO STRETCH(エアロストレッチ)クライミングパンツをオンラインストアで注文、購入してみました。これで1,900円とは。なかなか履きやすいです。しかし、わがお腹、これで山登り再開できるのでしょうか。アルバイトで一日数時間の仕事で足が痛くてたまらなくなるというのに。日ごろの運動不足を思い知らされます。
 かつては30㎏の荷物を背負って鳥海山を歩いていたのに。中判カメラに35mm判カメラ、それに交換レンズ、大型三脚。ビールにウヰスキーに食料、それにビールを冷やす氷まで。一体鳥海山に何をしに行っていたのやら。
 以前は山で酒飲んでも下山するまでには醒める、などとみんな勝手な理屈をつけて飲んでいました。あれで検問されたら全員アウトだったでしょう。今はもちろん、酒気帯び運転なんて絶対にしません。運送会社の知っている人は、前日飲みすぎて翌朝の酒気検査にひっかかり、一発解雇となってしまいました。日帰りの山では絶対に酒を飲んではいけませんよ。


笙ヶ岳 中折沢右岸尾根登山道

2020年07月22日 | 鳥海山
 笙ヶ岳への見知らぬ登山道に皆さん興味がおありのようなので、追記しておきます。毎日雨の日は地図を見て過ごしましょう。
 THANKS TO YOU ! !さんから笙ヶ岳から中折沢右岸を下った時の山行の記事が『山歩きの雑記帳』の№12に「鳥海山 忘れがたい山行」というタイトルで載っていました、との連絡をいただきました。
 以前の記事で載せた地図ですが、薄い黄緑で印をつけた笙ヶ岳Ⅱ峰への登山道です。『山歩きの雑記帳』№12にそこを降った時の話がのっています。かなり昔、1958年の話です。その当時でも藪漕ぎで道とは言えないところを歩いて下山したようです。その後の「山と高原地図 鳥海山」に池田昭二さんはこの道をのせたようですが、相当のベテランでも難しいこういう道を多くの人が見る登山地図に堂々と載せたのは罪作りですね。時間と体力に自信があり、鳥海山の経験が豊富な方は挑戦してもいいでしょうが私は遠慮しておきましょう。
 御浜から稲倉岳への道も遠くから見ると行けそうですが藪漕ぎの難所、どなたか地図に破線はあるけれど今は無い道を再び歩けるようにしようと思う方は、、、いませんよね。
 『山歩きの雑記帳』はすでに発刊を停止していますが、まだ入手可能です。

獅子舞(ススマイ) 二代目林家正楽

2020年07月19日 | 兎糞録
 今日も古いアルバムを整理していたらこんなものが出てきました。紙切り二代目林家正楽師匠の作品です。

 本当はもっと汚くなっているのですが、そこはそれ、PSで修復。

 東京へ出た最初の年だったか、高田馬場の駅階段を降ると登ってくる男と顔を見合わせお互いに「オラーッ!」なんと高校の同級生。このあと広い東京で高校の同級生に出会うことが何度かあるのですがこれが最初の偶然です。

 彼は卒業式の当日もクラスで一席やったほどの落語好き。顔を見合わせ、どちらともなく「寄席に行こうか。」そこからまっすぐ池袋の演芸場。演目も進み二代目紙切りの正楽師匠。見事な鋏さばきでシャキシャキといろいろな形を取り出して見せます。最後に「お客様、リクエストはございませんか。」そこで友人、大きな声で「ススマイ!」師匠「ススマイ?あっ獅子舞ですね」とにっこり切り始めました。
 黒いところは切り出した本体の跡、本体は友人が師匠よりいただきました。切り取った外側が我が家にこうして保存してあります。