鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海山の遭難は平成30年で全11件

2019年10月31日 | 鳥海山
登山道がどんなに整備されたからといって、山そのものがやさしくなったということではありません。鳥海山の遭難は平成30年で全11件(酒田警察署管内)。

車でのアプローチも便利になり、登山者の装備もみんな昔とは違い、立派にはなりました。それでも遭難の数が減るということはないようです。

過去の文章に残されたものを読んでみて、今じゃありえないよ、という人はいないだろうと思います。車道が今ほど便利になる前の話だとしても、山の脅威が衰えたわけではありません。

「八月十四日
 天気が悪いので、五人は、午後二時半、頂上に登った。暴風も落ち着いてきた。
 午後七時、この五人のうちの一人と、本社(※注 頂上御本社)の飯炊きSの二人が来て話す。
 昨日登った二人が遭難しているとのことだ。遭難場所は、七高山破方口の風石と蛇石の間。死んだ二人は五十メートルも離れて死んでいるとの事だ。」
(佐藤康 鳥海山日記)

そのあとの様子が別書で書かれています。

「毛布が敷かれた担架の上に仰向けに寝かされた二人の姿は悲惨だった。鼻や耳、そして口に砂や小さな砂利がいっぱい詰まっていた。顔には切り傷がたくさん残っていた。よほど強い風雨だったんだろうなあと思う。」
(佐藤康 ひとりぼっちの鳥海山。)

さらに、同書の中に、
「何十年も前のこと、横手中学の生徒二人がを連れた先達が、風雨をついて山に登って行った。荒れる七高山につき、頂上小屋にむかって断崖を降り始めたとき、激しい風がピタッと止んだのか、先達が断崖を真っ逆様に落ちて死んでしまった。嵐の中に取り残された生徒二人は動きがとれなくなって、風雨の中で凍死してしまったという。」
(佐藤康 ひとりぼっちの鳥海山。)

また、こちらの本では
「二十八年九月二十七日のことである。当時台風の中を湯の台から登山した酒田のT君(十九歳)が下山予定を過ぎても帰宅しないという事から家元から捜索願いが出されていた。
(中略)
T君はこの近くで息を引き取っている筈だと信じ、早暁、付近を捜索すべくしていた翌日の朝、ガスと小雨の中を急ぎ戸を開けて入ってきた人がいた。それは白井新田んの捜索隊員で長坂コースを登り御浜近くの御鉢石の山道の側で人が死んでいるのを発見したと報告してくれた。ではと早速、私らの一行三人は急ぎ現場に馳せつけた。T君は御浜宿舎から西方二百㍍余の所でチロルハットをかむり、ザックを肩にうつぶせになって冷たくなっていた。」
(畠中善弥 影鳥海)

このT君の身内に当たる娘さんを鳥海山に連れて行った時のこと、鳥海湖で合掌していたことが忘れられません。

御浜で担架にくるまれたオロクを見たこともありますが、いずれも普段皆さんがなんとも思わず登っているところですね。でも普通の登山道でも遭難は起こるのです。昔だから起こったのではないですよ。

山で遭難するという事は本人のみならず、家族にとっても悲惨んなことなのです。
うちの母ちゃんの友人んノ旦那さんも海外の山へ行ったきり帰ってきません。

それに最近、インターネット情報が多くなったためではなさそうなのですが、鳥海山での熊さんとの遭遇情報、あるいは熊さんの残したものの目撃情報が非常に増えたと思います。もともと熊さんの住処なので、熊さん、特に熊さんご一家とは遭遇しないように」準備しましょう。今年も食料不足で、まだまだ今まで目撃情報の無かったところをも歩き回っていらっしゃるようです。



鳥海山はかつて3000m峰だった?

2019年10月26日 | 鳥海山
そんな記事を見たのは2度ばかり。
(場所塞ぎの写真です。)
一つは「山と渓谷」の記事。「山と渓谷」はすべて処分してしまったので今となっては確かめようがりません。気になる方は山と渓谷社へお問い合わせを。
もう一つは、これが思い出せない、この記事を元ネタにしたのか或いはオリジナルなのか、その辺は記憶にありません。

しかしながら、鳥海山3000m峰説は他にも知っている人がいて、かつて勤務していた会社の当時専務が象潟方面出身の方で、郷土史なども興味を持ち、「鳥海考」を著した須藤儀門 さんも話を聞きにきていました、その方の説く鳥海山3000m峰説をことも聞いたことがあります。

鳥海山の成り立ちについては研究も進んでいてこの説は無理そうですが、そういう研究発表があれば面白いですね。

補足:これだけでは何が何だかわからない、ということになりそうなので、
有史以前には現在の新山を取り囲む、馬蹄形につながる爆裂火口壁、その無くなった部分に吹き飛んだ山頂があった、ということのようです。

神保町、中目黒、上野公園

2019年10月21日 | 旅行
久しぶりに東京へ行きたくなって新幹線。E7系の新しい車両。足元のコンセントで100ボルトも使えるのでスマホも充電できます。

いつものコースは神田神保町。
文庫川村は健在。古書街を歩いても本を探すのは大変。実際古書を購入するのはWEBサイト「日本の古本屋」とかオークション、アマゾンなどの方が確実に入手できます。その道の専門の方が探求本を求めるには古書街、一般の人は均一本を探すのが楽しみです。
お昼はエチオピアのチキンカレー。
学生時代にはなかった店です。
神保町を歩くたびに明大に行けばよかったと(合格はしていたので)

食後の珈琲は中目黒のスタバロースタリー。いまだ混んでいますね、入場整理券が必要。なんといっても中目黒の駅から徒歩15分、都会を歩くのは超疲れる。東京人はタフだなあ。山歩く方がいい。
馥郁たる珈琲の香。

翌日は上野公園に行ったけど、もう歩きくたびれて、いろんなところに入場待ちするのも嫌。フェルメールだ、ブリューゲルだとちょくちょく上野公園は行っているんだけど、今回はパス。
そんな喧騒の中でも静かな空間はあります。旧国立博物館駅前の一画。東京は広い緑の空間が街に取り込んであります。
ベンチで何もしないでボーッとするのもいいですね。いつもボーッとしていますけど。山でも同じだあ。
足も痛くなり、歩き疲れもういいや、と新幹線を一本繰り上げて帰ってきたんだけど、一夜明ければあっ、また行きたくなってきた。鳥海山と同じだあ。
今回収穫は無し、なんだかみんなのお土産を買いに行っただけのようだけどそれもよし。

鳥海山、仙ヶ洞、大黒天石像

2019年10月17日 | 鳥海山
前に載せたことがある写真、薊坂左側に見える仙ヶ洞。
仙ヶ洞の由来について、記述してあるものは寡聞にして下記の一例のみです。
 
斎藤清吉さんの「鳥海登山行 山男のひとりごと」の中に仙ヶ洞ついて触れた部分があります。紹介してみると、
高山植物の研究家のT先生が高山植物採取に鳥海山に来て、それを清吉さんが案内する場面。(当時、高山植物の採集などは野放し状態、まして関係お役所の採集許可証を持っていたとすればなおさら。)
 
 「十時を過ぎてから、お宮を出て、御峰口からの急坂を降り、仙ヶ洞でゆっくり昼食をとった。先生は仙ヶ洞を見上げながら『イワヒゲがないかなあ』と独りごと。かといって知らぬふりもできず。.......第一私は仙ヶ洞に登るのは、正直いって気が進まない。...........
 仙ヶ洞は、お産の神様だそうで「登ったりして穢してはならぬ」とかねがね教えられている。だからつまらぬ事をして罰でも当たって怪我などしたら、馬鹿くさいし、迷信だとしても余りよい気持ちはしない。正直少々嫌な気がした。」
 
この直後先生は八丁坂の降りで丸い石に蹴躓き、足首を挫く。そのご子息もその後足を挫く。清吉さんはこの一章の最後の方で、
 
 「土足にかけて穢すことを禁じられた仙ヶ洞登にられたT先生が足首を挫き、ご令息まで足をいため、しかもご両人ともその後二、三年で亡くなられた。」
 ...中略...
 「 『御幣担ぎ』だとは私自身思ってもいないが、どうも仙ヶ洞という所は、特別な用事でもない限り、無闇に登ってみたりはしない方が良いような気がする。」
 
と締めくくっています。
 
大黒天石像については畠中善弥さんがその著書「影鳥海」の中で一章を割いています。
「影鳥海」に掲載された大黒天石像の写真ですが、この当時、まだ表情を読み取ることが出来ます。
すでにお顔ははっきりしません。
 
その「影鳥海」の最初の方を紹介しておきます。(絶版で市場に出回らず、図書館で借りて読むしかないようなので)
 
岩窟の大黒石像
 
  一昨年噴煙を上げた荒神岳の噴気口の直ぐ近くの岩窟内に鎮座している大黒石像がある。道者で賑わった頃は御倉大神として必ず道者の拝所の一つであったが今は訪れる人は少なく、その存在すら弁えない登山者が多い。この石仏は、高さ四十二センチ荒神岳の溶岩で刻まれたもので、数百年は経っていると言われている。それゆえに風化作用が進んで細部は削られて全体的に単純化し却って年代の深さを見せ大黒石像はいよいよ崇神像となっている。所がこの石像は幸運の神として古くから拝され、殊に秋田県矢島辺では大黒像を祀る人も多いがそのご利益にあずかった人の話では大黒様の写真を毎朝拝んでいるがそれからというものは家運頓に上がったとあらかたな霊験を語る人も居る。ほほえみの中に慈しむ大黒像の顔を見れば自ら心身も和むであろう。現在荒神岳の岩窟内に密やかに鎮座している。
 
 
この本が発行されたのは昭和51年、写真はそれからそんな昔のものではないだろうけれど、それにしてもそれから半世紀足らず、これほど風化が進んでいたとは。
 
信仰の山、鳥海山を調べていくと面白いですね。物見遊山の登山では得られない楽しみがあります。
 

祓川ヒュッテで珈琲ドリップ

2019年10月17日 | 鳥海山
祓川から矢島口をちょっと歩いてみようと思ったけれど、
ガスに巻かれ、雨に打たれ、ということで祓川ヒュッテにお邪魔して珈琲タイム。
紅葉は今年は17日現在今一つ。

例年なら岳樺 の白骨化した枝が紅葉に生えるのだけれども全然でした。

祓川ヒュッテに貼ってあった注意書き
康新道も崩壊し、廃道化していくかもしれません。

祓川ヒュッテ、素泊まりだけですが綺麗ないい小屋です。こんな部屋と炊事場があります。管理人さんがいる時期はシャワーも利用できます。

ベッドタイプもいいですね。

和室もおすすめ。
炊事場は結構広いです。
以前も利用したことがありますが心地よい山小屋です。

帰りは温泉につかってゆっくり帰宅。帰路鳥海山は、とみればなんと、すっかり晴れ渡り、ありゃりゃ、もっとゆっくりしてくればよかった。