年の終わりに山を振り返ってみると、鳥海山は子供の頃より見続け何時か登ろうと思いながらも登り始めたのは昭和の五十年代。初めて登った山らしい山が富士見山。地元では峰山と呼んでいます。
国土地理院25000地形図より
平須より登りますが、この時は長靴履いてえっちらおっちら。頂上まで四時間かかった記憶があります。その時スケッチしてきたのですがそのスケッチも行方不明。毛無山の大きな山塊の向こうに聳え立つ富士山。振り返れば北岳を始めとする白根三山。これで山登が止められなくなってしまいました。
古い写真です、今は木が茂って眺望もよくないようです。
山頂近くには石の祠があるのですが、これは麓の幡野良元さん(文字が間違っていたらごめんなさい)という方がある日夢枕に神様が表れたのを祀ったのが始まり。稜線上にあるのは奥の院。麓には念力大国社という立派な神社があります。標識は念力大国神社と書いてありますがみんな念力さん、念力大国社と呼んでいました。
頂上手前にある石の祠。今は祠の前に鳥居が立ててあるようです。
鳥海山以外で登ってみたい山といえばやはりこの山でしょうか。
※ WEB上で見ると、これで山梨百名山完全踏破、などと志の低いことがいっぱい出てきます。百名山などと他人が決めた山を全部登ってどうするんですか。鳥海山にもよく現れます。せっかく鳥海山に登りながらあの山はどうだ、この山はどうだなどと人に聴こえるように大声で百名山歩き自慢する人が。百の山をそれぞれ一回登るより一つの山を百回登った方が、私はいいですけどね。
祖父が、中富町の村長をしていた頃の話になります。
、ある日、富士見山の山頂が火の玉のように毎晩光り輝き村民は不安になっていたそうです。村長である幡野良玄は、
部下と共に山頂めざして登ったそうです。
ある大木が、雷に撃たれ大木に大きな穴が空いていたそうです。
、雷に撃たれ 火のこが原因かと思ったそうですが、祖父は
それにしても、その光り方はそれだけではないと思い。
大木の下に落ちていた岩を持ち帰ってみたところ、不思議と石が持ち上がらないほど重くなり祖父は、その石は山の神の魂が降りたと確信し、今の形大黒様を手彫りしたそうです。それからその石からさまざまな不思議な体験をしたそうです。
それから、今の場所に神社を建て、大正時代から、全国に広がり
とくに、富士川が物流していたこともあり船の守り神として
静岡県に多く信者がいました。支部もありましたが、
今は高齢化が進み、信者の数も減り、また教祖が言い残した
縁のある方のみ信仰し、宣伝はしてはならない。と
また神社は、商売にしてはならないと。
今は3代目に、教祖として自分の仕事と両立させ、私
の兄が神社を守っています。
大祭は年2回春と秋に行われています。
重軽石は、全国にもありますが、富士山の神社にもあったり、京都の伏見稲荷大社が有名です。念力大国神社の念力様も重軽として願いを具現化してくださいます。
また、宮様との繋がりがあります。
興味ある方は、教祖に連絡し、見学ができると思います。
観光ではない、本当の意味での神社ですので見学なさる時は、真剣に来ていただきたいです。
私の嫁さんは芦入(アシネーリ)で仲人が良玄さんの娘さん夫婦(松田さん)でした。
こんな貴重な投稿が頂けるとは、ありがとうございます。