鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

DAIYAMEと鳥唐揚げで

2023年10月31日 | 兎糞録

 今日は芋焼酎で一休み。普段は一番安いものを選んで飲んでいるのですが今日はちょっとばかり、甲類焼酎を飲むと目がただれてしまうんです。それで飲むのは乙類焼酎ばかり。昔はウヰスキー飲んでましたけどね。しかも高いやつ。今は安い酒ばかり。分を知るということですね。

 これ、DAIYAME、香りが良くてうまいんです。以前は富乃宝山をプレミアム価格なしで売る店があって財布に余裕あるときはそこで富乃宝山を買っていたたんですけど最近はこれ。

 焼酎なんて昔は飲み続けると鼻の頭が赤くなるとか、今は何でも差別語と言われてしまいますけど土方の酒なんて言われていたんです。みんなで集まって焼酎飲むと酒買う金がねえのか、なんて言われた時代です。まして芋焼酎なんて言ったら、あんな臭い酒飲むやつの気が知れねえ、なんてね。

 酒がうまいって飲んでいられるのも今だけかもしれませんね。あっ、唐揚げはまだ出来上がっていません。

 


久しぶりに蕨岡へ

2023年10月30日 | 鳥海山

 天気に誘われて以前から気になっていたことを纏めて蕨岡へ。拝殿の前の銀杏は11月の20日頃が紅葉の見ごろらしいです。

 写真がボケています。

 この拝殿はかつては石段を登った山の上にありましたがその以前はまた別の場所にありました。


 蕨岡は鳥海山の南麓にして其丘腹に家居す古來鳥海山上鎭座大物忌神社の拜殿一王子大堂(今は口の宮と稱す)の在る處にして拜殿は丘上に在り(古は丘腹にありしが幾多の變遷を經て明治廿八年今の地に建築せり)以て山上山下一連同體自一社の體裁を爲せり

 ※後段の文章では明治廿ク年となっていますのでここは明治廿九年の誤りとおもわれる。


 「古は丘腹にありしが」とありますが移設前はどこにあったかと言えば現在の拝殿のあった場所にあったのだそうです。上の文章とは合いませんが山本坊さんによれば明治二十九年の十一月三十日に焼失したために山の上に建て替えられたということです。その当時は大堂=でど、と呼ばれていました。この火災のために十一月三十日は特別な日として残されているそうです。(現在拝殿に残されている棟札には明治二十九年五月十一日とあるそうですのでもしかすると山本坊さんの言うのは明治二十八年の十一月三十日かもしれません。それにしても棟札の日にちとはあまりに近いですが焼失したために明治廿九年に再建したことは勝海舟揮毫の扁額の裏に記載されているそうです。)

 ※但し飽海郡誌には、「文政造替ノ大堂ハ安政二年十二月八日炎上シ纔ニ本尊ノミ火中ヨリ出スヲ得 爾後一山建築ヲ計画シ有志寄附金ヲ募集シツヽアリシカ 会々明治維新神仏分離トナリ本地仏ヲ旧学頭龍頭寺ニ下シ更ニ大物忌神社ト称ス 明治十四年国幣中社大物忌神社ノ本殿ヲ鳥海山上ニ定メ後来ノ建物ヲ口ノ宮ト称セラルヽニ及ヒ 其設計ヲ変更シ地ヲ松岳山ニ卜シ一大土功ヲ起シ 明治二十九年五月十二日竣功シ同日遷宮式ヲ挙行セリ」とありますので山本坊さんの思い違いで安政を明治と言ってしまったものかもしれません。

 勝海舟揮毫「合六満光」、光六合に滿つ。六合(りくごう)とは天地、東西南北、乃ち宇宙。日本書紀天岩戸由来。

 まだまだ話は続きます。

 この石段を四百段近く上ったところに以前の拝殿はありました。


うまいもんだよかぼちゃのほうとう

2023年10月28日 | 兎糞録

 ほうとうは甲州の郷土料理。漢字では餺飥と書くそうです。甲府に住んで居たことがあるので覚えました。
 昨日は道の駅でうまそうなかぼちゃを見つけ、今日はこんな麺を見つけたので今夜はほうとう。

 でもこれは似て非なるもの。実際家庭で作るほうとうは面を打つとき塩を使いません。また幅広い平打ちにつくります。

 出来上がりはあまりおいしそうではないですね。何せ作ったのが私ですから。でもこれはかぼちゃが煮崩れて汁がドロッとした方がうまい。冬は体か温まります。

 副菜はきんぴら。一人暮らしのころは作り方も知らず醤油で炒めただけ。今はちゃんと作っています。

 

 


天気につられて

2023年10月26日 | 鳥海山

 天気につられて午後から登らないまでも紅葉を見ようとコンビニでお菓子と飲み物買って一走り。

 貝型雪渓は完全に消えてしまったようです。

 誰もが撮影する鶴間池。かつての名前弦巻池の方が良いと思いますけどね。弦巻という名は外輪から見た時、武具の弦巻に見えるから。この奥に小鶴間と呼ばれる少し小さな池が連なっています。なので弦巻。

 ちなみに千蛇谷は明治以前は千歳ヶ谷(さんざいがたに)、後に仙者谷。千蛇谷と言えば古文書の熔岩が大蛇の如く流れたとある所から来たと考えそうですが千蛇と書くようになったのは昭和の話です。千歳はおそらく仏教からきている命名だろうと思います。

 ついでに虫穴は昔から虫穴で虫穴岩と書かれたものは一切記録にありません。但し、山頂の境界争いでは矢島側では虫穴を蛇石と呼んでいたそうです。地名について書いたついでにもうひとつ、七五三掛連嶺に(しちごさんれんれい)と仮名を振ったものも見かけますが七五三は「しめ」と呼びます。ここから先は聖域なので、注連を新しいものに代えて、古い注連は木に掛けることから七五三掛(しめかけ)。七五三掛連嶺は(しめかけながね)と呼びます。

 同じところから遠望する大崩れの跡。

 そこから少し離れて見える屏風岩。’76年の池昭版山と高原地図附属の案内には「鳥海山随一の六級岩場、いまだに二登しか果たされていない」と書かれた見事な柱状節理。近くで見たいところですが今では道も荒れてそこまで行けるかどうか。車がスタックしたらもう帰ってこれませんので。

 昭文社、池昭版山と高原地図より該当部分。現在の山と高原地図には載っていません。

 屏風岩の辺り、鹿俣という名前があちこち見られますが山の地名で鹿の付くところはおおきく崩れた地形をあらわすのでここもそうかもしれません。それに俣とつくところは沢の合流する所。月光川ダムのある三ノ俣は西ノコマイ、中ノコマイ、南ノコマイの合流するところです。

 上の地図で荒木沢と書いてあるところはアラキサワとは言いません。アラキソと呼びます。沢をソと呼ぶのは檜ノ沢(ヒノソ)、白沢(シラソ)、ビヤ沢(ビヤソ)と結構あります。ビヤソなんていうのはどこからきているのか不明です。鳥海山の地名、調べるとかなり面白いです。

 おまけ:山の地名で猿はザレが転化したところ、崩れた地形です。倉、平は崖。平だから平坦な地だと思いそうですけど実は崖。吹浦大物忌神社のあるところの地名は布倉(ぬのくら)、吹浦の古い名かもしれませんがもしかしたら崖が布状に続いているところからきているのかもしれません。


次から次に要望来るので

2023年10月25日 | 鳥海山

 ポスターに関してはほぼ素人なのですがああしてほしいとか要望が来ますので今回は縦型で。

 家庭用のプリンターだと普通はほぼA4サイズまでしか印刷できません。Photoshop出入稿したい方のために塗り足し(上下左右3mm)込みのサイズで作成しました。このくらいでしたら大して時間かかりません。

 横組みでも。