鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

25000分の1 地形図でもっと遊ぶ

2021年06月30日 | 鳥海山

 今回データで購入した25000分の1 地形図は小砂川、吹浦、鳥海山、湯ノ台の4枚ですがこれでおおよその鳥海山の全体像を見ることが出来ます。ところがいちいち切り替えるのが面倒です。そこで4枚を統合してみることにしました。

 小砂川、鳥海山、吹浦、湯ノ台の4枚です。ダウンロードしてきた画像は.tif なのですが色合いが赤みが強すぎるので.jpg に変換。それでもなんだか色がきつい、カラーモードがRGBなので試しにCMYKモードにしてみたら見やすくなりました。

 任意の一枚のカンバスサイズを縦、横とも2倍にし、ほかの三枚は重なる部分の白い耳の部分を除いて切り抜きしてからレイヤーを移動します。重なり部分のずれがないことをすべて確認したらレイヤーを統合し一枚の画像にします。保存形式は.jpgでもなんでもお好きなもので。4枚で80Mほどになりますので解像度はお好みで調節してデータ量を減らしましょう。あまり解像度を落とすと拡大したときにぼやけてしまいますのでほどほどに。うちのPCはなんとか処理してくれますので80Mのままで細部もつぶれずに見ることが出来ます。

 これだと画像の切り替えなしに好きなところを見ることが出来ます。山へ行くときは行動範囲に合わせて切り取りし、印刷し、ラミネートすればOKです。あっ、うちにラミネーター無かった。

 等高線を見ているといろいろ想像できて時間のたつのも忘れまてしまいます。お好きな山域ありましたら是非お試しください。


大物忌神社蕨岡口の宮拝殿、松嶽山上にあったころ

2021年06月28日 | 鳥海山

 現在大物忌神社蕨岡口の宮拝殿は隋神門をくぐって石段を登り、すぐ左手にあります。

 これは昭和28年に松嶽山上から現在の場所に移設されたのですが、その移設前の写真がないかと思っていたらなんと、ありました。先の橋本賢助「鳥海登山案内」の巻頭の様々な画像のうちの一つとしてありました。

 そのままの規模のものを移設したとは、話には聞いていたのですが松嶽山頂上の現在の様子を見たことのある人なら疑問を呈します。しかしこの写真を見て、実際あの400段の石段の最上部にあったものが現在の下にある拝殿と同じものだと確認できたわけです。場所を見たことのある人なら、よくもまあ、これだけのものを、どうやって下まで持ってきたのだろうと、驚嘆するはずです。今度どうやって下したか当時を知る人に会って聞いておきます。

 この拝殿に入り、正面奥の扉を開放すると真正面に鳥海山が望まれるようになっていたというのもこの写真で納得できます。参拝者はそれを見て明日の鳥海山参拝に気も高揚したことでしょう。演出がうまいですね、現在は植林した杉で眺望が遮られ鳥海山はほとんど隠れています。

 それと横堂、これは画像は何枚か現存しているのですが注目はその画像につけられた説明です。

 現在残っているのは神職のたっている手前の石段が数段だけですが、この画像の説明書きに、

「俗に横堂とは、この社にして後方に見ゆるは、山毛欅林なり、大澤神社(赤瀧)鶴間池に至る道の分岐點とす」と紹介されています。

 大澤神社(赤瀧)は鳥海山に参拝する人々にとっては知られていた場所ということでしょうし、鶴間池もここから下って行ったのではなかろうかとも思われます。えっ、湯ノ台から車道を行って降りれば近い?その頃湯ノ台道はありましたが鳥海高原ラインはまだありません。当時の鶴間池への行き方は今のところわかりません。

 

 


六月に入手した鳥海山関連の本

2021年06月27日 | 鳥海山

 鳥海山関連の本はもちろん鳥海山をキーワードに探すわけですが、今回は探すときの盲点でした。何せカテゴリーが常時検索条件としているものと全く別のところにあったのですから。神保町の古書街を歩いてもたまにしかいかない者にとっては目当ての本を探すのは難しいですし、万が一あったとしても非常に高価なものとなります。これが、インターネットの場合、思いもよらないものが思いもよらない価格で出てきます。

 〇〇OFFの場合は、ISBN、バーコードのないものは基本買取しませんし、稀に買い取ることもあり、店頭に捨て値で出ることもあるようですけれど期待はできません。後は「日本の古本屋」というサイト、Amazonnにもたまに希少本が出ますが恐ろしい値段が付けられていることがほとんどです。

 今回手に入れた本の筆頭が何度も紹介している橋本賢助「鳥海登山案内」、原本です。拝借したコピーは原書かなり劣化していて文字の判読が困難な個所がいくつもありました。特に、公卿の官職、公卿名が記載されているところはこちらに詳しい知識がないもので文字の判読が出来ないところが多々あります。大物忌神社の宝物のところにそれが出てくるのです。どうでもいいと思う方もいらっしゃるでしょうが、調べているとそうはいかなくなるのです。現在暇を見ながら(暇なんですけど)PCで閲覧できるようにコピーをPDFに変換し、それを文字化している最中ですがこれでだいぶ精度が上がります。(PDFを文字にするのはGoogle Driveを使用すると無料で出来ます。)

 現在入手できるどの登山案内よりも読みごたえがありますし面白いです。頁数にしてわずか116頁、それでも中身は今まで読んだ鳥海山について書かれたどの本よりも優れています。

 もう一冊が斎藤重一「鳥海山」、この本も幻の本です。出版社の「なんば書房」がまず検索しても出てきません。ずっと調べていた破方口が当然誰もが知っている場所の様に何度も登場してきます。また、地名の読み、秋田の方がよく御田は「おだ」だといいますが、同じ秋田の斎藤さんは「おた」であるとはっきり表示しています。康新道も"やすしんどう"と"し"を一つ省略して言うのだと思っていたらちゃんと"やすししんどう"とルビが振ってありました。

 何よりもこの本がすごいのが「鳥海山の自然をまもるとりくみ」の章でのその思いの強さです。冒頭でもスノーモービルの自然におよぼす悪影響について述べていますがこの本が出版されてからかなりの時が立つというのに自然保護が以前より良くなっていると思われないのはどうしたことでしょう。

 そうそう、もう一冊、「史跡鳥海山 -国指定史跡鳥海山文化財調査報告書-」平成26年に由利本荘市、にかほ市、遊佐町が共同で編集・発行したものですが探しても見つからず、もしやと思い遊佐町に問い合わせてみたらなんとありました。しかも価格はびっくりするほど安い。

 個人では調べようのないことが沢山記載されています。ただし、書かれていることがすべて間違いないかといえばそれはありません。


25000分の1 地形図の楽しみ

2021年06月27日 | 鳥海山

 25000分の1 地形図は指定された販売店で購入できますが、地図センターNet Shoppingでダウンロード購入することもできます。25000分の1 地形図の場合、1ブロック178円でダウンロードできます。もちろん実際の行動には紙の地図が必要ですが、事前に地形を調べるにはPC画面で見るのが便利です。我が家のPCはモニターが40インチなので見るのがとても楽しいんです。Windows Photo Viewer を使えばマウスクリックで拡大、縮小、移動も思いのまま。時のたつのを忘れます。

 

 さて、来月は鶴間池へ行こうかという話になり、さっそく25000分の1 地形図湯ノ台をチェック。

(国土地理院のページに、「Q1-11.Webサイトに地図を挿入して利用したいが申請は不要か?」という質問があり、次の回答があります。
「ウェブサイトへの地図の挿入(貼り付け)は、書籍に地図を挿入する場合と同等と見なして、原則として申請不要とします。ただし、挿入した図をクリックした後に別窓が開き単体の地図が表示されるものや、ウェブサイトのメインコンテンツが地図である場合を除きます。それらについては、地図の利用手続フローに従ってください。」)

 鶴間池から流れ出ている沢はありますが、流れ込んでいる沢はありませんね。鶴間池の少し上、等高線の密になっているところ、ここにマタフリの滝がありますが現地で一見するとその水が流れ込んでいるように見えますが流れ込んではいません。では鶴間池の水はいったいどこからきているのでしょうか。しかも鶴間池と小鶴間の水源は別だという話です。これは来月末の探訪予定です。天候、休日の都合で事項できるかはわかりませんが次回の楽しみです。

 鶴間池はかつては弦巻池と書かれていました。山の上方から見下ろした場合、弦巻の様に見えるということからきているそうです。(弦巻とは弓矢の具で掛け替え用の予備の弓弦ゆづるを巻いておく道具だそうです。)

 25000分の1 地形図を見てこの場合、鳳来山の先に大澤神社があるな、と思われるかもしれませんが実際はありません。昭和の中頃まででしょうか、ここにあった横堂というお堂に箸王子神社とともに大澤神社がまつられていたそうですが、大澤神社本体は鳳来山のすぐ右に見える崖の下に無雪期だけ祀られていました。前に書いた水呑の池から流れ出るように書かれた沢が実際は流れていないのと同様に25000分の1 地形図が100%正しいわけではありません。(水呑の池の話はガイドのAさんから聞いた話の受け売りです。)

※地図上、丁度大澤神社の文字で隠れているところが急登月光坂ですが、全体道路が荒れていて狭い幅のところが水平でなく45度になっているので歩くときは最大の注意が必要です。