鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海山の植物総集編

2020年11月29日 | 鳥海山

 表が見にくかったのでHTMLで修正しました。内容は以前と同じです。

 何とかgooブログの表のHTML書き方がわかってきました。

 番号をクリックすると、その植物のページが表示されます。
 これで鳥海山で見られる植物の約半分です。植物の順番は思いつくままですし、撮影場所もほとんど書いてありませんのであしからず。また、植物の名前はカタカナで書くというのが標準とされていますが、先人の植物につけた名前への思いを表すため、またその名前の由来を示すという意味からも漢字で表記しています。
番号 植物の名前 読み方 科 目
その1
毛氈苔
モウセンゴケ モウセンゴケ科
その2 青の栂桜 アオノツガザクラ ツツジ科
その3
白玉の木
シラタマノキ
ツツジ科
その4
深山薄雪草
ミヤマウスユキソウ
キク科
その5
白山一華
ハクサンイチゲ
キンポウゲ科
その6
深山川芎
ミヤマセンキュウ
セリ科
その7
山母子
ヤマハハコ
キク科
その8
黒臼子
クロウスゴ
ツツジ科
その9
岩梅
イワウメ
イワウメ科
その10
小岩鏡
コイワカガミ
イワウメ科
その11
鳥海衾
チョウカイフスマ
ナデシコ科
その12
岩袋
イワブクロ
ゴマノハグサ科
その13
白山風露
ハクサンフウロ
フウロソウ科
その14
深山金鳳花
ミヤマキンポウゲ
キンポウゲ科
その15
栂桜
ツガザクラ ツツジ科
その16
深山金梅
ミヤマキンバイ
バラ科
その17
小梅蕙草
コバイケイソウ
ユリ科
その18
高嶺青柳草
タカネアオヤギソウ
ユリ科
その19
鳥海薊
チョウカイアザミ
キク科
その20
羽後薊
ウゴアザミ
キク科
その21
奥北薊
オクキタアザミ
キク科
その22
唐松草
カラマツソウ
キンポウゲ科
その23
七竈
ナナカマド
バラ科
その24
岩銀杏
イワイチョウ
ミツガシワ科
その25
深山竜胆
ミヤマリンドウ
リンドウ科
その26
味噌川草
ミソガワソウ
シソ科
その27
檜扇菖蒲
ヒオウギアヤメ
アヤメ科
その28
岩桔梗
イワギキョウ
キキョウ科
その29
御山竜胆
オヤマリンドウ
リンドウ科
その30
岳樺
ダケカンバ
カバノキ科
その31
峠蕗
トウゲブキ
キク科
その32
岩黄櫨
イワハゼ
ツツジ科
その33
白山千鳥
ハクサンチドリ
ラン科
その34
細葉岩弁慶
ホソバイワベンケイ
ベンケイソウ科
その35
山毛欅
ブナ
ブナ科
その36
丸葉万作
マルバマンサク
マンサク科
その37
白山石楠花
ハクサンシャクナゲ
ツツジ科
その38
四葉塩竈
ヨツバシオガマ
ゴマノハグサ 科
その39
白山沙参
ハクサンシャジン
キキョウ科
その40
一人静
ヒトリシズカ
センリョウ科
その41
日光黄菅
ニッコウキスゲ ユリ科
その42
御蓼
オンタデ タデ科
その43
深山猪独活
ミヤマシシウド
セリ科
その44
深山当帰
ミヤマトウキ
セリ科
その45
白根人参
シラネニンジン
セリ科
その46
兎菊
ウサギギク
キク科
その47
梅鉢草
ウメバチソウ
ユキノシタ科
その48
裏白瓔珞
ウラジロヨウラク ツツジ科
その49
深山穂躑躅
ミヤマホツツジ
ツツジ科
その50
立金花
リュウキンカ
キンポウゲ科
その51
水芭蕉
ミズバショウ
サトイモ科
その52
深山大文字草
ミヤマダイモンジソウ
ユキノシタ科
その53
小葉擬宝珠
コバギボウシ キジカクシ科
その54
喘息薬種
ズダヤクシュ ユキノシタ科
その55
雛桜
ヒナザクラ
サクラソウ科
その56
深山秋の麒麟草
ミヤマアキノキリンソウ キク科
その57
深山蛇の寝御座
ミヤマヘビノネゴザ
オシダ科
その58
黄花の駒の爪
キバナノコマノツメ
スミレ科
その59
越路黄蓮
コシジオウレン
キンポウゲ科
その60
田虫葉
タムシバ
モクレン科
その61
紫八染躑躅
ムラサキヤシオツツジ
ツツジ科
その62
蕗の薹
フキノトウ
キク科
その63
白花唐打草
シロバナトウウチソウ
バラ科
その64
深山榛の木
ミヤマハンノキ
カバノキ科
その65
幌向菅
ホロムイスゲ
カヤツリグサ科
その66
猫柳
ネコヤナギ
ヤナギ科
その67-1
稚児車 花
チングルマ ハナ バラ科
その67-2
稚児車 花穂
チングルマ カホ バラ科
その67-3
稚児車 紅葉
チングルマ コウヨウ バラ科

庄内の山男展

2020年11月26日 | 鳥海山

 庄内藩の支藩、松山藩があったところまで足を延ばしてきました。

 廃藩後も取り壊しされずに残された大手門があります。写真は大手門の裏側です。その城跡公園の一画にある松山文化伝承館というところで下のポスターの内容で展示会が行われています。

 詳しい説明はいらないと思います。誰もが池昭さんと呼んでいました。池昭さんほど鳥海山にのめりこみ数多く登った人はいないでしょう。(鳥海山を愛し、などと書くとこそばゆくなります。だって愛なんて概念はなんだかわからないですから。説明できますか。)

 池昭さんといえばだれもが知っているのは「山と高原地図 鳥海山」でしょう。現在は執筆者がかわっていますけれど池昭さんの執筆したもののほうがはるかにいいです。

 以前も中折沢のことを書きましたけれど、池昭さんはこういった手書きのものも残しています。山行記録は別途本になり、データはCDに収められています。興味のある方はそちらも探して読んでみてください。メモ魔と呼ばれたほどメモしまくりの方だったようです。

 愛用のピッケル、マナスル126でしょうか、それとアイゼンなども展示されています。

 これらのものを見ていると今もなおストーブから青い炎がシューッという音をたてて燃え続けているような気がします。ほんとに鳥海山に対する取り組み、向かい合い方が全然違うんだなあといまさらながら思ったことでした。

 先日の佐藤要さんの「鳥海山を登る」の「あとがきにかえて」の最後にある「鳥海山は、人間社会の思惑とは無関係に、ただ聳えているだけであり地域活性化の切り札ではないという一文とこの展示会で示されたものとは重なって見えてきます。


鳥海山のために読んでおくべき一冊

2020年11月24日 | 鳥海山

 少し前の本ですが、鳥海山が好きな人は必ず読んでおくべき本の一冊です。

 これを読んでみれば、能天気に鳥海山の自然は素晴らしいだとか、百名山のうちの一つに登ったなどと浮かれている人も少しは目を覚ますかもしれません。何とも思わない人はそもそも山に登ったり、自然に親しむ資格はありません。

 かつて山で暮らし、山から生活の糧を得ていた人々は山を破壊するようなことはしませんでした。また、修験の道を歩む人々も登拝のための道は開きましたが山は荒らしませんでした。観光の名のもとに山毛欅の木は切り倒され、多くの自然が破壊されてきました。足弱な人、老若男女すべての人が楽しめるようにするのは当然だろう、というのはいいことだと思いますか?観光という名でそれらを行うのもそれは最初に儲けあり、最後に儲けありですから、儲からなければ観光からは手を引きます。引っ掻いたきずの手当ては何もしません。山梨県の清里の荒れ放題なんかはすさまじいですね、儲からないのですべて放り出されています。観光と自然保護は100%両立しません。一人でも多くの人が鳥海山に登、らなくなれば、逆にいいことのように思えてきます。

 

 鳥海山も八幡では一時すごかったですね。それが今では手のひらを返したようにイヌワシの里だとか。そんな鳥海山の八幡方面の自然保護への取り組みの歴史を紹介したページもあるのでこちらもぜひご一読ください。

http://www3.ic-net.or.jp/~sierra/shizen/shizen01/mamoru01.html

 最後に山は本来静かな場所であり、自然の状態のままにしておいてこそ山としての価値がある。とありますが、全くその通りです。


鳥海山を登る 佐藤要

2020年11月23日 | 鳥海山

 写真紀行集「鳥海山を登る」が出版されましたので販売店に取り置きを依頼し、早速購入してきました。販売店では最初の入荷分すでに完売し、追加発注していました。

 今まで鳥海山の写真集は多くの人が出していましたが佐藤要さんのはちょっと違います。

 佐藤要さんは以前にも「鳥海山を登る 夏から秋の登山道ガイド」という、登山シーズンに初めて鳥海山に登る人に非常に役に立つ案内書を出していますが今回はほかの人の写真集ともガイドブックとも全く違います。特に第二部「再開の山」はあらゆるルートからの鳥海山登山記録が四三回にわたって素晴らしい写真とともに書き記されています。これは終生何度でも読み返したくなる鳥海山本に間違いありません。ここまで鳥海山にのめりこんだ一冊を上梓したのはそれ以前には村岡謙治さんの写真集「ふるさと鳥海山 1、2」くらいでしょうか。

 中身をもっと紹介したいところですがそれは買ってからのお楽しみということで。地元以外どこで手に入るかは今のところわかりませんがもし購入希望の方がいらっしゃいましたらどうやったら買えるか本人にきいてみますね。

 ※「虫穴」も歴史的に正しく記載されていますし、「御田」も「オンタ」と正しく仮名がふられています。