鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海山登山案内

2021年07月30日 | 鳥海山

 皆さんのように頻繁に山に登り、写真を載せるということはもう大変なので古い記録をいじくりまわして遊びます。

 以前紹介した昭和7年の鳥海山登山案内をデジタル化してみました。今の登山案内と違い、短い文章ですが面白みは十分にあります。

 旧字体の文章をスキャンしてPDF化、それを編集可能な活字にしてみました。旧字変換が不完全なところは旧字に変換してくれるサイトがありますのでそちらを利用しました。


◇鳥海山

鳥海山は山形、秋田、兩縣に跨り遠く裾野を曳き山姿秀麗にして富士山に酷似するを以て又出羽富士と稱せらる、鳥海山は海拔二千二百參拾米に達し。 山頂よりの眺望雄大にして東に栗駒山東北に駒ヶ嶽北に大平山男鹿半島を望み、南は莊内平野を距て月山を眺め得可く、又東南は意く山形盆地を隔て藏王山西は日本海上に飛島、粟島、佐渡島を見る。

鳥海山登山には吹浦口、藤岡口、矢嶋口、仁賀保口等あり。吹浦口は最も近く登山道路良し。鳥海山は舊火山、新火山及稻倉嶽の三火山より成る笙ヶ嶽 (千三百三十五米)月山森 (千六百四十米)扇子森 (千五百七十五米)なとを連ねたるものは卽ち舊火山の外輪山にして其中に中央火口丘たる鍋森、爆裂火山たる鳥海を有し明らかに二重式火山を形成す。鳥ノ海は圓形を呈し直徑約五十米にして現在は水を湛へたる火口湖となり、昔の火山活動を忘れて靜かに眠ってゐる。

舊火山の西側の山腹には張穴及觀音森の二個の寄生火山がある。新火山は上氾の舊火山の東に位し、七高山行者嶽等を外輪山とし新山(二千二百三十米) 荒神ヶ嶽を中央火口丘とする二重式火山にして北方に開け大なる『カルデラ』を爲してゐる。

外輪山の一部なる七高山は外輪山の東南部を爲し急酸なる內側に火山噴出に依る、各岩石の成層を明らかに認めることが出來る。中央火山丘なる新山ば甚だ急峻なる山腹を有し山頂には圓形央口を有す、新山は享和年閒に噴火に際して生じたるものにして一名享和嶽とも云ふ。

 

◇吹浦口より登山案內

一、吹浦口一ノ鳥居より鳥海山御本殿迄實測 ..............四里二十二丁

一、吹浦口一ノ鳥居より鳥ノ海御濱神社迄實測 ........... 三里二十六丁

一、鳥ノ海御濱神社上より山上御本殿迄實測...............三十二丁 

 

◇山中拜所

鉾立神、日月神、神子石神、鳶石神、淸水神、祓戶神、愛宕神、夷三郞神、稻倉大神、鳥海御濱大神、琴平大神、御田原神、御山神、御苗代神、龗神、猿田彥神、注連掛神、文珠嶽神、御津萬神、御倉神、胎內神、荒神獄神、(山上本殿大物忌大神)

是より新山掛戶口神、高良神、熊野神、切通神、月山大神、新山大神、龍田神、橿原宮神、七高山神、道開神、惠美須神


 途中までですがどうでしょう。吹浦口はそれでもこのころまでは蕨岡口ほど登拝者が多くはなかったかもしれません。起点が一ノ鳥居というのも面白いですね。小滝口、今の象潟口ではなくて現在のブルーライン大平口から登る道がこのころは主となる登拝道でした。

 現在の大平口登山道は象潟口鉾立より標高で100mほど下から登るのでその分時間はかかりますし、傳石坂の急登も応えるでしょうけど味わいのある道であるのは間違いありません。それに象潟口より登る人が少ないのもいいですね。


絵葉書に見る時代

2021年07月30日 | 鳥海山

 ありふれた鳥海山の絵葉書、七高山からの御来光でしょうか。Rising Sun above the clouds at the Mt. Chokai, Akita と書いてあります。また秋田芙蓉頂上より望んだ御来光、とも書いてあります。秋田では鳥海山を秋田芙蓉と呼んだのでしょうか。

 葉書の表面を見てみましょう。

 「きがは便郵」と左←右に書いてあり、仕切り線が1/2のところにあります。これは昭和8年(1933年)から昭和19年(1944年)の間の葉書です。すなわち戦争中。発行は「財團法人恩賜財團軍人援護會秋田縣支部」となっています。また左隅には「この繪葉書に慰問文をしたため皇軍將兵に送りませう」と書いてあります。

  左側にフランス語で「CARTE POSTALE」、その下には「This space for the message-This space for the address」と英語書き。最初に見たように裏面(絵のある方)には英語の説明、戦時中英語は敵性語だとして禁じられていたという事はなかったという一例です。野球に関する「ストライク」をすべての国民が「よし」といったわけではないこともいろんなところで証言されています。

 

 もうすぐ8月15日、その時代を知る人も少なくなりました。

 


命の値段は5万円

2021年07月28日 | 鳥海山

 最近山の遭難のニュース多いですね。気を緩めれば自分だってその仲間入り。

 台風も直撃の予定でしたが大過なく過ぎ去ったようです。こんな予報の時も登る人はいるのでしょう。

 以前、悪天候の時に登る人に訊いてみたことがあります。どうしてこんな天気に登るんですか、と。帰ってきた答えは

「休みがこの時しか取れなかった。それに首都圏から数万円もかけて鳥海登山に来たからには登らずに帰られない」のだと。

 

 人の命って安いもんだったんですねえ。遭難したときの救助隊の分は入っていませんけど。

 

 大物忌神社のHPを見たら相変わらず山頂美術館なんてやってるんですね。芸術家のようなものが物販のためにやっているのでしょう。せっかくの頂上まで来てそんなものが見たい人がいるのでしょうか、目の前に鳥海山があるのに。他人に訊いてみたら、自分だったら目の前に大自然があるのにそんなもの見たくもない、ですと。まあ、今後頂上へ行くほどの体力は残されていないようなのでどうでもいいですけど、でもやっぱり鳥海山はたとえ大物忌神社の社地であるところがあっても大物忌神社だけのものではないし、まして一部の人のものでもありません。(だからスノーモービルが我が物顔に走行していいわけはない、それにスノーモビルが客を乗せて走行するのは法に触れないのかねえ、客を死亡させたらどうするの?)

 下界では特定外来生物がはびこっているようですけれど、鳥海山にも特定外来生物の様な人間がはびこっているようです。えっ、自分たちこそが鳥海山をよく知り、こよなく鳥海山を愛している?今までもそういうことを言う人が自然保護に逆行することばかりしてきました。さあ、今後どうなるでしょう。