鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

あれっ、あんなとこに熊が!

2023年12月26日 | 鳥海山

 御浜小屋の屋根にいる黒い生き物は、まさか……

 この動画を見てびっくり。

https://youtube.com/shorts/msiQT1Va-zU?si=ReIg117uwzOOEjVd

 

 ソブ谷地やら家族旅行村などというところは水も広葉樹もあるし昔から熊が出るところで有名でしたけど・。それに、二十年以上以前は熊は標高1000mより上には来ないもんだ、などとも根拠あるのかどうか、言われていたものですが。

 千畳、康新道、目撃情報も撮影されたものもありましたけど、数年前は七高山、鉾立登山道登り口付近、今年は外輪の尾根の上、と出没範囲が広がっています。今回は何と御浜の小屋の屋根。子熊が出たということは親が近くにいるでしょうね。

 熊鈴鳴らすとうるさいといわれたそうですけれど、熊の行動範囲が広がりすぎて人がいても安心できないようですね。熊の世界にも登山ブームが広がったのかもしれません。


黄ばんだ写真

2023年12月24日 | 鳥海山

 保管状態が悪かった古いネガフィルム。スキャンしてみたらこんな結果に。

 でも大丈夫、魔法の杖を一振り。

 これで見るに堪えますね。(Photoshop 新規調整レイヤー、レンズフィルターを使用)
 実はこの写真、遭難のわずか小一時間前。この後右端の男性は外輪尾根で這松に足を取られ転倒、開放骨折。這松を副木にして細引きで仮固定、それからの半日の長かったこと。夜更けの暗闇の八丁坂鞍部、疲労で横たわると体が勝手に温まってきて眠気に襲われます。寒いと眠くなるというのをこの時初めて体感しました。

 この女性はたまたま山頂で一緒に。遭難の翌日鉾建てに下山したら心配して待っていてくれました。その後十年ほど音信やり取り続いたでしょうか。今ではそのころの人々はほとんど音信不通になってしまいました。

 遭難前日、九月の晴れた日。鍋を背負った男の人がいたのが強く記憶に残っています。
遭難救助隊の人から「もう山には登りたくないだろ」と言われましたが懲りることなく登り続けました。恐ろしい目にあったのはこの後も何度か、それでも登っていました。

 遭難時荷物を御浜小屋に置いて下山したので半月後回収に。この日も快晴。雪をまとった弥三郎岩。


鳥海山恋歌

2023年12月21日 | 鳥海山

 先輩であり、池昭さんのお弟子さん、白山風露さんの歌集。最初に出版した時贈呈していただいたのですが引っ越しのどさくさで行方不明になったのを古書で見つけて買った話は以前に書きましたがそれが右の青い本、2017年に文芸社より再発されたものです。

 今回古書で見つけたのが左の白い本。1993年に発行されたものです。古書の片隅にん百円で売られていました。古書に置かれているのも忍びないので青い本は先に古書で購入しておいたのですが白いほうも買ってしまいました。この後第二集、、第三集と出していますがそちらは手元にありません。とにかく本を買いたくなる病気です。鳥海山とついていればなおさら。ただし、鳥海山とタイトルについていても読むに堪えないものが何冊かあります。いずれ紹介いたしましょう。