outdoor life ならぬ indoor life と正式に言うのかどうかは知りませんが、最近はアルバイトに出かける以外あまり遠出しませんので、こういったものを楽しんでいます。
おそらく昭和の初期ではないかと思われます。鳥海山高山植物第二輯とありますので、第一輯ヶ好評で続編をつくったのかもしれません。それにしても鳥海衾が第二輯にあるという事は、第一輯の見どころは日光黄菅だったのかもしれません。注意していただきたいのは、このころは登山記念ではなく参拝紀念とあることです。
この袋には河原宿に於ける、とありますので蕨岡口から登ったのでしょう。もちろん、このころまだ滝の小屋直下までの道路はないですよ。杉沢からの歩きです。35mmカメラもまだないでしょうから4×5版の大きいカメラを担いで登ったのかもしれません。遊佐町高橋寫眞館製とあります。今も吹浦の大物忌神社の近くにタカハシ写真館がありますのでそこで作ったのかもしれません。今度大物忌神社に行ったとき尋ねてみましょう。
左の写真は、現在の滝の小屋の上にある白糸の滝です。この滝の左側に直登して八丁坂の途中に出る道があるのですが、現在は立ち入り禁止です。雛桜がこの辺に咲いていたかどうかは記憶にありません。雛桜は鳥海山が基準標本の花ですね。乾いたところには咲きません。
白山一毛はこの登山道ではどこに咲いていたでしょうか。御浜の周囲の大群落が記憶に残り、他の場所は記憶に残っていません。
釣鐘人参とありますが、釣鐘人参の高山型が白山沙参 という事です。追分の先、八丁坂のお花畑に咲く白山沙参は見事です。息を切らしてひたすらに頂上を目指すのもいいですけれど、せっかく鳥海山に行ったならゆっくりとこういう高山植物を楽しみたいものです。そのためには花の名前を覚えるともっと楽しくなります。
御浜の先、御田ヶ原にも少々咲きますが、やはり山頂周辺でしょう。葉書の袋に「河原宿に於ける」とはありますが河原宿に鳥海衾も岩桔梗も咲きません、薊坂より上ですね。
それにしても毎週鳥海山に行っていたころは一体交通費、ガソリン代だけでもいくら使っていたことやら。それだけでなく、食料、フィルム、現像代、一回の鳥海行きでいくら使っていたことやら。登山靴だってその頃でたしか三万円、その後ビブラムソールの貼替も二度ばかり、リュックも二、三回買替。山も結構お金はかかります。
雨の日に無理して登ろうとする人に一度、なぜこんな雨の中登るんですかと聞いたことがありますが、都会から数万円と貴重な休日を費やしてきて、登らないで帰るわけにはいかないというんですけどねえ。皆さんんはどう思いますか。