鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

大給桜子

2022年11月17日 | Jazz

 昭和59年のジャズ専門月刊新聞 jazz world より

 若くして亡くなった大給桜子。このアルバムはCDになっていません。二曲目 Stairway to the Starsが非常にいいです。upできないのが残念です。mp3にしてitunesには取り込んであります。このSTAR MYTHOLOGY でドラムスを担当していたのが西川喬昭さん、西川さんは今も元気でライブを行っています。その西川喬昭さんがプロデュースした大給桜子の最高作はこちら

 西川喬昭さんから直接伺った話では私家版として300枚しかプレスされなかったCDということですので見つけたらぜひ手に入れましょう。以前YouTubeにupしていたこともあるのですが今は閉鎖してあります。

もう一枚、これも滅多に市場に出ない盤

 サイドが山口真文、ジョージ大塚。これも見つけたら買いです。どちらも相場は諭吉さんが二名前後です。
 ジョージ大塚トリオが地元に来た時、ドラムスを叩く先輩が楽屋に押しかけ、ドラムスのスティックの握り方を訊いたところ、「そんな持ち方誰に教わったの?」といわれて帰ってきました。

 

 アルバム BALLAD NIGHTより

Whisper Not - Sakurako Ogyu Trio

 

 この新聞にあった広告の一つ、70年代はNEW DUGはまだなかったと思います。

 この当時DUGはまだ紀伊国屋の裏のビル地下にありました。あのビルがカメラのサクラヤだなんて気にもかけていなかったです。又、トリオ撤退の記事も。

 数々のジャズアルバムを出してきたトリオもこの年レコードから撤退しています。今聴いてもいい盤がいっぱいあります。

 トリオといえば真っ先に思い出すのが THIS IS HONDA 、思い出深いアルバムです。初恋がらみですから。初恋といえばツルゲーネフの初恋も忘れられない作品です、その映画化されたものも。初代魔性の女ドミニク・サンダが出演していましたね。と、話はどんどん脱線していきます。

 

 


百宅口大清水

2022年11月14日 | 鳥海山

 片付けていたら古いポジフィルムがまた出てきたので、押し入れに引退しているEPSON GT-9300UFを引っ張り出して来て一働きしてもらいました。

 今は無き大清水山荘。百宅口登山道はこの前を通っていきます。

 赤く、

 赤く、

 更に赤く、これはピンボケ、でも色が気に入って出してきました。

 矢島、百宅は紅葉がきれいですがここまで赤くなるのはめったにないようです。

 大清水園地の湿地。

 大倉の滝を遠望します。

  日没近く、一瞬の輝き。虫穴がまるで巨人がつまんでそこへ置いたかのようにあります。


月光川の鮭の遡上と舟森山熔岩

2022年11月12日 | 鳥海山

 今日は大江さんの企画した『丸池様と舟森山、天然の鮭の探訪』と題した自然観察会、天気に恵まれて午前中いっぱい歩き回りました。

 月光川河川公園の川辺です。河原まで下りてすぐそばで鮭を見ることが出来ます。近寄ると人の足音を察知して逃げていきますが静かにしていると又同じ場所に戻ってきます。

 銀鱗は既になくなっています。奥には婚姻色に染まったのが。手前にもいるのがわかりますか。

 いつまで見ていても飽きることがありません。遊佐沖に風力発電の風車が乱立すれば鮭の回帰も妨げられ、こんな風景も見ることが出来なくなってしまうかもしれません。行政も業者も心配ないというかもしれませんが何が起きるかはわかりません。自然界に於いて起きてしまったことは回復不能です。先人が何年もかかって行った鮭の放流の結果もここで終わってしまうかもしれません。

 丸池様の近くにある舟森山。標高は十数メートルですが築山ではなく熔岩流の末端です。南面から湧水が出ています。山上は近隣の墓地になっています。「溶岩末端の山の周りが削れて残ったあとに、沖積平野の堆積で囲まれた場所。地下では溶岩同士がつながっている。」と研究者のブログに書いてあります。

 これでしょうか?

 何の実でしょう。植物には詳しくないのでわかりません。この周辺にも湧水はたくさんあります。すべて鳥海山がもたらしてくれるものです。

 梅花藻で知られる牛渡川の上流。観光客もここまでは来ません。「牛渡川上流端」の表示がしてありますのでこれより上流は行政の管轄外ということです。この先は急峻な所だそうですからこれ以上先は行けません。

 丸池様、丸池とは言いません。丸池様です。地底からの湧水は年間通じて11℃、水に色がついているのではなく太陽光が反射する色だそうです。今日も観光客がいっぱいでしたが以前は池の周りにロープが張られていなかったため、池近くまで立ち入るものが後を絶た裸地化しそうだったそうです。杭を打ってロープを張るのも国の許可が必要で実地検分も含めてロープを張るまで二年もかかったそうです。

 観光なんて呼び込んで栄えることが出来るのは特定の条件を備えたごく一部の所だけです。酒田市も観光立地などと今頃舵を切るようですが100%失敗するでしょう。外部の血を入れて、などといっていますが、まあ血を入れるのではなくて血を吸われて終わりでしょう。明治初期のお雇い外国人に戻るようですね。いまだに「おしん、おくりびと、山居倉庫」ですから。割烹の主も言っていましたが港があっても水揚げはブランドの価値の付くよその港で。地元のスーパーへ行ったって地元の食材は一部のみ。都会のスーパーの方が良いものを手に入れることが出来るでしょう。食の都なんてうたっても一般の人々はそんなものを食べてはいません。観光客に食わせる前に地元の人に食わせろ、ではないですか。

 ※ちなみに観光ガイドでも、丸池様の周囲にロープを張るのを反対したものがいるそうです。人の立ち入る自由を奪うのか、と。絵画にトマトジュースをかける行き詰った左巻きの成れの果ての考え方ですね。


My Piano My Life 05

2022年11月10日 | Jazz

 本田竹広の最後のアルバム。最愛聴盤です。ここで試聴できます。二度の脳内出血、左手の麻痺、そこからの復帰。尾崎正志さんのCD解説を一部ご紹介します。


 ファンの声援が本田の薬だ。遮二無ニライブ活動を再開するも治療中に落ちた筋肉は容易には戻らない。「月光」の第3楽章までたどり着く肺活量がない。
 ピアノを全身で叩きながら大声を発し腹筋と背筋を鍛える。それはまさに、手負いの野獣が怯えを隠し、目に見えぬ敵を威嚇している姿だ。
 右手中指亀裂骨折の影響も現れる。無理を続けた結果、指が太り黒鍵間に指が入らず白鍵が押さえられない。眠れぬ夜が襲い連絡も途絶える。地獄の日々。
 7 月1 1 日、プログラム最終校正の最中、途絶えていた本田からの電話。「キャンセルしてくれ、俺、出来ない。駄目だよ、体力がない」
 「俺を信じてくれ」の言葉の裏側にいつも張り付いていた不安。私は、このことを何処かで危惧していた。本田のアパートへむかう。
 ベッドに横たわり透析受療後の憔悴しきった本田がいた。長い沈黙の後、本田が傍らの電子ピアノにむかう、数小節を一気に弾く、『月光』第3楽章。激しく上がる息、肩が上下し背中は震えが止まらない。


 是非探し出して聴いてください。まだ入手できるようです。こちらで。

 本田竹広は二度の脳内出血の後、酒を完全に絶ったそうですが、うーん真似出来ない。

 もう一枚のお勧めはこちら、録音は良くないですけど、そんなことは音楽には関係ないという見本。

本田竹曠 Takehiro Honda Trio - My Funny Valentine


Helen Merrill with Friends - You'd Be So Nice To Come Home To

2022年11月09日 | Jazz

 久しぶりに引っ張り出して聴いてみました。熊本八千代座での公演。この頃はやった山本邦山の尺八、ピアノは佐藤允彦。いくら人間国宝といっても、今聴いてもやはり尺八でジャズは際ものです。「銀界」もそうでしたが聴いたときはいいなあと思っても愛聴盤にはなりません。(Helen Merrillの声を聴くと高校の同級生のK子さんの声を思い出します。) You'd Be So Nice To Come Home Toを聴くと国指定重要文化財「八千代座」には大変失礼なのですが昔のヒット曲でキャバレーを渡り歩くかつての流行歌手のドサ回りを聴いているような気がしてきます。

 あれっ、褒めるつもりで書き始めたのですが褒める所が無くなってしまった。でもHelen Merrill抜きのYoheho Bushi、これを聴くと山本邦山の尺八なしで佐藤允彦トリオだけだったらまとまりのあるいい演奏になったのになあと思ってしまいます。ごくたまに聴くなら悪くは、無いです。これが我が家でお蔵入りになってしまった理由か。Helen Merrill のお勧めは最後にあげておきます。

Helen Merrill with Friends - You'd Be So Nice To Come Home To

Masahiko Satoh Trio - Yoheho Bushi~Yamaga Reminiscence

John Lewis & Helen Merrill - Django