鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

大正期の地図に見る舟森山

2022年12月24日 | 鳥海山

 山なのに「モリ」と呼ばれるのは神が降りてくる場所だからだそうです。舟森山もかつては舟森と呼ばれていたかもしれません。東北地方日本海側には「モリ」と呼ばれる山が多くあります。鳥海山にも「モリ」と呼ばれる山が多くあります。


大正三年陸地測量部1/50000地形図吹浦より

 地形図中央右寄り箕輪集落の北西に田圃の真ん中にぽつんと取り残されたようなところが舟森山です。の記号がありますが祠は今もあります。またここは箕輪の集落の墓地にもなっていて墓石も並んでいます。神社に墓石、神仏習合の名残でしょうか。死者の霊は高いところに登るそうですからこの周辺の人々の霊はこの舟森山へ登り、それを祀ったということでしょうか。鳥海山、特に破方口は死者の霊を祀ったところのようです。

 またこのの記号の西北にもう一つがありますがこれは丸池神社。今は有象無象の観光客が訪れるところです。そこから西北に目を向ければ大物忌神社吹浦口の宮のがあります。そこからの登拝道も書いてあります。この登拝道は女鹿からの登拝道と陣屋のあたりで合流していたようです。現在はこれらの道は確認することは出来ないということです。上の地形図に見える等高線はすべて鳥海山から噴出した熔岩です。いたる所湧水があります。


舟森山

 同じところを最新の国土地理院の25000地形図で見てみましょう。


国土地理院オンデマンド地形図25000より

 ちゃんと標高も書き込まれていますね。記号は省略されています。梅花藻で有名になった牛渡川の名称も記載されています。(かつては社格で地形図に⛩を載せたのでしょうか。)

 亡くなった先代のラーメン味好の鈴木さんはこの牛渡川に水中カメラを構えて潜り撮影していました。体の大きな大将だったのでそれを見た人が、「トドが潜っている!」といったとか。子供を連れて味好にラーメン食べに行くと、「おじさんはお父さんの良い方の友達だからね、」と強調するのでした。

 国土地理院の地図に表記する川の名称などの自然地名は、地元地方公共団体からの申請に基づいているのだそうです。なのでその自治体が歴史認識を欠いているか、無知であるかすれば誤った名称が記載されるわけです。いくら土地に根差す人々の呼称、名称があったとしても。

 

 ※オークションサイト等で陸地測量部の地形図が結構いい値で出品されていますが、これらは国土地理院に依頼すれば謄本として柾版地図を購入することが出来ます。しかも折り目なしできれいなものを郵送してもらえます。使用目的などを記入する申請書はひつようになりますがすべてオンラインで手続できますので必要事項を記入してボタンをポチ、後は到着を待つだけです。送料いれても大した金額にはなりません。

 ※国土地理院に昔の地図において鳥居記号を記載するための表示基準等があるかどうか問い合わせてみましたが、そういう基準があるという記録は残っていないそうです。現行の地形図においては神社の表示基準は、「目標となるものを表示する」となっているとのことです。


X'masはいつから祝うようになったのか?

2022年12月23日 | 兎糞録

 一説によると昭和25年頃から祝うようになったということですが。我が家ではいつ頃からだったか。クリスマスというのはサンタクロースがプレゼントを持ってきて家でケーキを食べる日だと思っていました。今でもみんなそうなんじゃないんですか。キリストの誕生を祝う日だなんて日本人はキリスト教徒でない限り誰も思ってもいないでしょう。知人は「ウチは耶蘇じゃないから祝わん。」って言ってましたが。

 バレンタインデーなんてのも子供の頃、製菓会社がチョコ売るために広めたもの。今は挙句の果てにハロウィン、何が悲しくてよその国の祭りを祝わなきゃならん、まあ、ウチに来る和尚もクリスマスケーキを買うって言ってましたからね。子供が写メ撮って学校で見せたそうです。同級生からは「お前のウチは何宗だ?」って言われたそうですから。

 通りがかりに見た風景。綺麗ではありますけど、さすがに皇室では祝わないでしょうなあ。

 神様も安っぽくなって、今じゃ何かあると「神対応だ!」なんて言ったり。アニミズムが拡大解釈されて広まったんでしょうか。神社も神官が自宅に帰れば「メリークリスマス」ってやるんでしょうかね。

 クリスマスを祝って初詣に行き、身内が亡くなれば和尚さん呼んで南無阿弥陀仏。やはり日本人は滅びる民族のようです。

 和尚といえば、知り合いの大型小売店に勤める男性、狭い駐車スペースに4WDの大きな車を斜めに止めたのを注意したら注意した人に向かって車を急発進させ、轢き殺そうとしたそうで、ニヤリと笑ったその男の顔を見たら有名な○○寺の和尚だったそうな。仏道も地に落ちたものですね。


西ノコマイの続き

2022年12月20日 | 鳥海山

 国土地理院の25000地形図で更に訂正必要な所は赤い文字で描いた部分です。遊佐町がなんと言おうと、行政が決めることではなく古来伝統的に呼ばれたままの呼称、位置関係を間も言っていくことが大事です。ここで古絵図が登場すれば一番いいのですけれど。鳥海山に入る人たちで正しい呼称を定着させましょう。


南ノコマイ熔岩

2022年12月20日 | 鳥海山

 従来の「南ノコマイ」は「西河前」(にしのこまい)と地形図上修正されましたが、地質図の場合はどうでしょう。今回の改訂の結果、「西ノコマイ」に「南ノコマイ熔岩」がある事になってしまいました。

 そこで国立研究開発法人産業技術総合研究所に問合せしてみました。まともな所はちゃんと返事を返してくれます。遊佐町とは大違い。以下の通り回答が届きました。


地図の場合国土地理院が一義的に修正することが可能です.
しかしながら,地層名の場合は,地層命名のガイドラインに基づいて命名が行われますので,一度命名されると,査読のある出版物等で学術的に「再定義」されないと替えられません.
このため,間違った地名の記載や当該地層のないところの地名が付けられ,そのまま流通しているものもあります.
例えば「御荷鉾(Mikabu)緑色岩類」の本来の地名の記載は御荷鉾山に由来するMikaboであるところMikabuで国際的に流通しています.
今後の学術的な再定義に期待したいと思います.


 簡潔でわかり易い回答だと思います。地層名はなかなか簡単には変えられないのですね、たとえそれが間違っていても。

 さて、「西ノコマイ」についてもう一点。昭文社が「山と高原地図 鳥海山」の執筆者である斎藤さんを通して遊佐町に確認をとったところ、下の現行の地図にある「西ノコメ」「中ノコメ」「南ノコメ」の地名は「~ノコマイ」表記であることの確認が取れました、との事で次回出版時より「西ノコマイ」「中ノコマイ」「南ノコマイ」に修正されるそうです。

 やはり肩書を名乗って問い合わせしないと遊佐町は回答しないという決まりがあるんでしょうね。博士号は持っていませんが劣等生ながら史学専攻学士の称号はありますのでそういう肩書名乗って問合せしてみましょうか。


 ついでにもう一つ、25000地形図「西ノコマイ」の最上流にも「西河前」と記載ありますがその沢は「月山沢」で「西ノコマイ」ではありません。「西ノコマイ」は一の滝より下流、三つの沢が合流するまでの間です。


時代考証

2022年12月17日 | 兎糞録

 Amazon Prime Videoで「峠 最後のサムライ」を見始めたらいきなりあり得ないセリフが。徳川慶喜が家臣の前で「神君 家康公の」などというセリフを言う。

 絶対にあり得ません。江戸時代の人が「家康」なんて言いませんし、武士は絶対に、たとえ当時の将軍であっても言いません。その人の子孫であればなおさら「家康」という名前を口に出すことはあり得ません。口に出すとすれば「大権現様」でしょう。又「この慶喜が」といったとすればこの時代の人が自分の名をみずから称するのは主君にたいして恭しくものをいう場合のみですのでそれは孝明天皇に対してでしかありえません。又自ら「幕府の」なんて言いません。「徳川」とか「幕府」とかは言いません。「公儀」というのです。

 この辺は一度三田村鳶魚の「時代小説評判記」を読んでみましょう。

 

 昔は名前というものは軽々しく口に出すものではなかったのです。今でも親を名前で呼ぶ人はちょっと特殊、たまにいますけどね。一般の日本人は親を名前で呼ぶことはありません。


 (宣伝パンフレットより)

 雄略天皇が野であった娘に、「家きかな、名告らさね」、というのは雄略天皇がムラムラッと来て娘を抱きたい、と思ったんですね。名は軽々しく口に出すものではなかったのです。娘が答えれば「はい」を意味します。

 レンタルで見始めたのだけど、司馬遼太郎の原作ではどうなっていたかなあ。でも司馬遼太郎は読み返す気もしません。

 娯楽映画だからいいんだよ、という声もありますけど時代劇は正確に描きましょう。藤沢周平も時代考証は???だらけです。そういえばみなもと太郎の「挑戦者たち」という漫画の中に若いころ映画村で働いていて時代の事に疑問を持ってきいたとき返ってきた答えは、「時代劇に平安時代も何もない、あるのは時代劇時代だけだ」と。そんなもんなんでしょうかね。

 でも近い時代でも妹尾河童の「少年H」なんかも後出しじゃんけんばかりやっていますからね。興味ある人は山中, 典子, 山中作の「間違いだらけの少年H」を読んでみてください。歴史認識についてよくわかる本です。