シンAyumilky作業日記

趣味と言われながら本気で作成する男の日々の作業日記です。

これまでの制作のお話ー「のぼると食べ子」編⑨「芸術学」での発表のお話。前編

2023-01-10 17:26:02 | 自主制作映画

今日も自主制作映画「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」のお話を引き続き。

文化祭で発表を終えた私は何か物足りなさを感じてました。

そう。何も残るものがなかったのがその理由かも知れません。

そこで私は思い切って、学校で人気があり権威のある講座「芸術学」で上映させてもらえないか?講義をするN先生にお願いをしました。

N先生はT大学出身で他の大学でも名誉教授をされている方で、美術の評論を主にされておりました。

その先生の「芸術学」では映画(小津安二郎監督の「東京物語」の構図から「カプリコン1」の車が水に飛び込んだ後の汽笛の音と王道からマニアックな所まで)はもちろん、ロシアのアニメ、映像、伝統芸能(能など)をビデオで観せ、その見方や視点などを解説してくださるとても興味深い講義をされてました。

また、先生の講義の姿勢はとても厳しく、当然ながらおしゃべりをしてる人には叱咤、またこれも当然ですが飲み物を飲んでる人、食べ物を食べてる人にもはっきりと叱咤をしてました。

そんな先生も私がいたこの母校の自由奔放な生徒達には特別な愛情を抱いておりました。

 

さて、その「芸術学」の授業で上映許可がおりたのは良かったのですが、N先生は前もって観たわけでもなく、内容もまったく知りません。

私としては作品内容を観てわかる通り、「芸術」とはかけ離れたものだと思っています。

ですので、単に驚かせたいっ!そんな反骨精神でいっぱいでした。

 

その中、いよいよたくさんのいる生徒の前で上映される事となります。

カセットで音楽と騒音を流そうと思いましたが、教室のステレオは自前のラジカセとはカウントが違うため、上映前に急いでカウントを数え直したのは記憶があります。

そして、授業が始まります。

N先生はまず生徒達に「僕は内容は知らないんだけど、まずその勇気をほめるのと、何より欠点は自分自身が一番わかっていると思うので、良いところでも探しましょう!」らしき事を言われた覚えが。

そして、教室はカーテンを閉め真っ暗。スクリーン横のステレオで構える私。

上映が始まります。

1992年11月5日木曜日のお昼過ぎの頃でした。

                                          つづく

今は亡き我が母校。ここにはたくさんの想いが詰まってます。

 

 

 


これまでの制作のお話ー「のぼると食べ子」編⑧いよいよ作品発表!とお金の話。

2023-01-09 12:23:47 | 自主制作映画

さて、ようやく完成した自主制作映画「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」。

早速、文化祭にてお披露目をすることとなります。

と言っても、どこかの教室で上映するわけでもなく、上映場所はある教室のギャラリーの裏。

上映のスクリーンもベニヤ板。音楽などの音声はラジカセで。

そこに数人の人を呼び込んで無料で上映。あやしい密会の様でした。

それを何回も繰り返しました。

それで反応は?というと?

今ではあまり記憶に残ってないという事はそんなに大きなリアクションはなかったのでしょう。

楽しんで帰ってもらえたとは思います。

そんな感じで無事、文化祭の発表を終えたのでした。

 

そして、気になる制作費ですが、出演料や場所代はかかっていません。

一番お金がかかったのはフィルム代、現像代でしょうか?

うる覚えで申し訳けありませんが、だいたいフイルム代で1500円、現像代で1500円ぐらいだったと思います。

というのは、だいたい1分の映像で1000円と記憶しているから、そういう計算になります。

予算はいちいち計算していませんでしたが、当時、学生でまとまった収入がない私はマ○イのキャッシュディスペンサーに手を出しており、作品を作り終える頃には20万近くの借金を残した様な記憶があります。

多分、フィルム代の他は雜費が少し、その間、アルバイトもしてなかったので生活費もかかってるのでしょう。

ですので、ざっとですが「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」の制作費は20万ほどと言っておきます。

 

さて、無事に文化祭で作品発表を終えた私ですが、何かこのままで終わらすのも惜しいと思い、次は学校で権威のある講座「芸術学」に発表を挑むのでした。

                                       つづき

ここが初めての上映場所です。ギャラリーの裏で上映しました。

奥にはベニヤ板のスクリーンにドデカホン?のラジカセ。懐かしいです。

 

 

 

 

 

 


これまでの制作のお話ー「のぼると食べ子」編⑦8ミリ編集のお話。

2023-01-08 11:16:08 | 自主制作映画

さて、今回は「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」の編集のお話。

編集は主に私とU氏で行いました。指示は私が出してたんだと思います。

フィルムを映写機で壁に投影し、それを見て、「ここもうちょっと」とか言って、電灯の下でだいたいの部分でフィルムを切る機械?道具?で切ります。

それを小さなセロテープを繋げる機械?で繋ぎます。(そこはうる覚え)

そして、また、繋いだものを映写機で流し、再び、切る部分を探します。その繰り返しです。

その繰り返しの作業ですが、初めての緻密な作業でダウンした記憶があります。

余談ですが、その日、新○のラーメン屋で豚骨ラーメンを食べまして、それが当たったのでは?と今でも思います。それ以来、豚骨ラーメンは苦手です。

話は作業に戻ります。その作業を何度も繰り返しているうちに映写機のハロゲンランプにフィルムが当たり、大事な部分が燃えてしまったことがありました。その部分はもちろん駄目。

そのため、交差点ののぼると食べ子の渋○の交差点で遠目から撮ったシーンはいきなり抱き合っているところからになりました。

あと、音楽ですが、たまたま編集作業中にOさんがラジカセで流していた「ジャック・タチ作品集〜ぼくの伯父さん〜サウンドトラック」がイメージにあってたので、そのまま使用しました。

それに騒音なども合わせて、上映時には編集したカセットをラジカセのカウンターを見ながら、映像に合わせて再生させる事にしました。

作品は無声映画としてできあがりました。もちろん当時は字幕も付けられません。

作った感想としては、観た方に意味が通じるのか?疑問が残りました。

                                       つづく

ここの2人が駆け寄るシーンが焼けてしまいました!残念!

 

 


これまでの制作のお話ー「のぼると食べ子」編⑥撮影秘話。

2023-01-07 20:27:28 | 自主制作映画

さて、そんなこんなで今日も「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」について語らせていただきます。

この作品は学生が文化祭用に撮ったものです。長さは15分ほどではなかったでしょうか?

前年使っていた8ミリフィルムカメラで撮りました。そのため、今回は音声が録れてないのは認識しておりました。

当時の私とU氏とOさんは同じ学校に在籍していたため、多分、撮影は基本、放課後にされてたのでしょう。

主な撮影場所は東○都の御○の水にある学校を中心としたその周辺。そして、秋○原。渋○でしょうか?

特に秋○原での反復横飛びマンの横断歩道での撮影はのちに犠牲者が多発したあの殺人事件の現場になる場所。

その犯人も現在、私が住む家のすぐ近くのマンションに住んでおり、そこから犯行に走ったのでした。

共通点が多く感慨深いです。

何より今ではもうそこもそういう場所になってしまったので、とても残念です。

当時の撮影ですが至って順調にできました。みなさん、見ても見ぬふりをされます。

電車でカメラを向けても文句ひとつも言われませんでした。

知らない方はU氏に「明日は何をするの?」と聞いてきた方もいたとか。とても平和ですね。

現代ならスマホで逆に撮影されるでしょう。

そんなのぼるの衣装を見て、気づかれた方もいるはず。そう。プロレスラー・タイガーマスクの下の衣装スパッツです。

私が学生時代、3年ほど上○にあるプロレスグッズショップに勤めていて、その時、店長からいただいたもの。

また、反復横飛びマンの赤いトレーナーの衣装はOさんの高校時代の着ていたものを借りました。

ちなみになぜ反復横飛びなのか?というと私は高校時代3年間ハンドボール部に在籍していて、反復横飛びを練習でよくしていたためです。

今ではあんなキレッキレッでは動けません!もちろん、早回しもしてませんよ!

明日は編集と文化祭の発表、そして気になるお金の話です。

                                       つづく

反復横飛びマンのシーン。これが後に現場となってしまった横断歩道です。

学校のベランダで撮りました。片手で掴んで柵の外から撮っていました。あぶないですね。

 

 


これまでの制作のお話ー「のぼると食べ子」編⑤絵コンテ大公開!

2023-01-06 17:40:03 | 自主制作映画

さて、そもそも私の処女作「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」とはどんな作品なのでしょうか?

当時の絵コンテが出てきたので読み返してみました。

そこで、今回は撮影の話の前に絵コンテである原案のお話しをしたいと思います。

まずはタイトル。もともとは「食べ子ちゃんの一日」という仮タイトルだった様です。

それで、絵コンテでのあらすじは以下の通りです。

 

あらすじ

朝起きた食べ子しゃもじを手にしたお母さんに見守られてご飯を食べます。

ご飯を食べながら歩く食べ子は一年前に失踪した兄・のぼるを思い浮かべます。

一年前。兄・のぼるは妹・食べ子に「世界一の電柱のぼり」になると告白をします。

最初はうまくのぼっていますが、ある交差点の電柱で失敗。兄は失踪し、修行を重ねます。

途方に暮れている食べ子に突然、反復横飛びマンが現れ、励まします。

そして、2人は再会!無事に帰路に辿るのでした。

のちに家でお母さんは泣きながら、食べ子は食べ病で、のぼるはのぼり病だと告白します。

のぼる食べ子お母さんを慰めます。

横で新聞を読みながら、話を聞いていたお父さんは一瞥して、自分はステテコ脱げない病なんだよ!とステテコ姿で立ち、高笑いします。

するとお母さんは私はしゃもじ離せない病なのと告白し、家族大爆笑。大団円します。

終わり

 

実際、これを制作するにはかなり制約がありました。当時、チャレンジする撮影よりも屋内の撮影や他の役者を探すのに気が回りませんでした。

ですので、撮影の際、その部分は変更し、端折ることにました。

そして、何より、のぼると食べ子を兄弟に設定したのは、2人を恥ずかしくさせないためでした。

そう。当時ののぼる役のU氏と食べ子役のOさんは付き合っており、熱々のカップルだったのです。

                                       つづく

冒頭の食べ子が歩くシーンの絵コンテです。

反復横飛びマン登場!の絵コンテです。

交差点での再会のシーンの絵コンテです。

初めての絵コンテはこんなノートに描いてました。