シンAyumilky作業日記

趣味と言われながら本気で作成する男の日々の作業日記です。

映像展の寄付先が輪島市へ変更されました。その事情。

2024-07-20 21:08:52 | 展覧会

来年の2月23日に開催させる「松永 歩の最低映像展2.0」ですが、そこで集められた入場料と募金の寄付先が変更されることとなりました。

前回の作業日記でお知らせしたのは震源地でもある珠洲市で復興支援の活動をする「NPO法人ガクソー」さんでしたが、メールをいただき、調べているうちに活動内容が気になりました。

特に今回はガクソーさんの活動内容である「能登半島地震で影響を受けた子供達の支援」で、今回、寄付を集めたいと考えていたので、その思いを何度もお伝えしたところ、ガクソーさんから「いただいた寄付金は「能登半島地震で影響を受けた子供たちの支援」を含めた包括的なご活用とさせていただいており、寄付金の用途指定は受け付けておりません。誠に申し訳ございませんが、松永様のご意向に添い兼ねますので、今回はご寄付をお断りさせていただきます。」との返事を受けました。

よって、「NPO法人ガクソー」さんへの寄付はないこととなりました。

 

他にどこか受け取り先がないか?探したところ、輪島市で朝市という場所が火災で大変な状況と言うのを知りました。

調べると「輪島朝市復興基金」というのがあり、そこは来年の2月の映像展の寄付を受けることができるのか?連絡先を探しました。

そこで見つけたのが「輪島朝市を応援する会」。早速、連絡したところ、「輪島朝市復興基金」とは関係なく、さらに「輪島朝市復興基金」は何に使われているのかわからないから、こちらで受け付けてますとのこと。

どちらが本当なのか?ことの真意を知りたく、輪島市役所へ連絡すると担当である観光課の方が、「今、マスコミにも問題になってて、双方に正義がある」とのこと。

どうしたものか?と自分が考えてると、担当の方が輪島市が能登半島の義援金として受け取ってくださるとのことで、振込先も「能登半島地震輪島市義援金」として教えてくださいました。

ですので「この映像展で集まった入場料及び募金はすべて能登半島地震の被災地である輪島市を支援するため、義援金として寄付されます。」に変更されました。

入場料が寄付されます。皆様、宜しくお願い致します。

 

輪島市へ変更されました。がんばれ!能登半島!

 

 


「松永 歩の最低映像展2.0」の寄付先が決まりました。

2024-07-16 19:03:57 | 展覧会

来年の2月23日(日)に行われる「松永 歩の最低映像展2.0」ですが、今回、集まったすべての入場料と募金の寄付先がきまりました。

寄付先は能登半島の震源地でもある珠洲市で子供達のケアを中心として、クリエイトな教育などしつつ、現在も復興を続けている団体「NPO法人ガクソー」さんです。

NPO法人ガクソーさんのホームぺージはこちら → https://npo.gaxo.club/

NPO法人ガクソーさんの被害状況はこちら→https://gaxo.club/2401shinsai1/

HPを見つけた自分は、被災地に子供のケアをしながらもクリエイティブなことも忘れないそんな姿勢に共鳴し、突然ですがお電話をかけさせていただきました。

電話で代表の北澤さんと少しだけお話ししましたが、まだまだ復興には時間がかかるとのことです。

今回の寄付も受け取っていただけることとなりました。また、このイベント内容も同意していだけました。

また、上映側の「第8電影」の支配人・岡本氏からも心良い返事をいただきました。

ですので今回の映像展の入場料及び募金はすべてNPO法人ガクソーを通じて、能登半島地震で影響を受けた子供達の支援に活用させていただきます。

以上となりましたので、皆様のご支援をお願い致します。

 

新しくガクソーさんへの寄付の告知に変えました。

 


映像展のタイトルについてと富士山映像発表しましたの話。

2024-07-13 19:45:04 | 富士山映像

来年2月の23日(日)に開催予定である「松永 歩の最低映像展2.0」ですが、そもそもなんでわざわざ自分の冠をつけたかと言うと、自分は基本的にほとんどTVを観ないのですね。ですので、冠をつけたのは皮肉ったというか、TVのアンチでわざわざ「松永 歩の」とつけたのですね。しかしながら、その辺のジョークもわからず、真剣に受け止められるとちょっと自分が恥ずかしくなってきます。

そんなことはさておき、今回、富士山映像を公開しました。その理由は2月に開催される映像展の入場料の寄付が能登半島へ寄付するために考えてましたが、一応、年内に締め切るため、他の募金を探さなければならなくなりました。そこで思いついたのが、自分の地元でもある富士山が今、オーバーツーリズムや気候の被害にあってるので、そのための富士山募金への寄付でした。富士山への募金は決定しておりませんが現在、選択肢のひとつとして検討中です。

そんな寄付にちなんで、発表したのがFUJISANーUPです。この映像は2005年9月13日に飲み物も持たず、カメラ一台で富士山頂上まで一気に登って、その間、岩の矢印をすべて撮影しました。今考えたら大問題になることです。41分の作品になります。よろしければ、ご覧ください。

 


「松永 歩の最低映像展2.0」の延期について色々思うこと。

2024-07-06 20:59:34 | 展覧会

まずは、この作業日記で初めて知る方もいると思いますので、お知らせです。

すでにSNS上では発表致しましたが、今年2024年10月13日(日)開催予定でした「松永 歩の最低映像展2.0」を一旦延期することとなりました。

予定を割いて空けていた方、申し訳けございません。

理由は6月17日の深夜2時、私の母が玄関で転倒。大腿骨を折ってしまいました。そのまま、救急車で運んで、そのまま入院。その2日後には手術となりました。幸いお年寄りにとって、大腿骨骨折自体はそんな珍しくないそうで、手術は大丈夫だとは言われてました。しかし、母は頭に衝撃をあたえると血腫ができる体質により、心配はあります。

そんなこんなでその日、医師、看護師さんからの説明を聞き、帰宅したのは朝の6時すぎ。

唯一の家族である姉と今後のことを話し合いました。

その後、なかなか眠れず、しばらくすると「映像展」を開催させていただく「第8電影」の支配人からラインの通知が。

フライヤーの入稿データが重すぎて入稿できないとのこと。そうです!フライヤーの入稿データはまだ入稿が終わってなかったのです!

すでに、フライヤー入稿自体が遅れ気味でもあったこともあり、他の作業も含め、ここで今まで以上に「映像展」の準備を進めて時間を取るのか?

と選択を迫られ、今は無理だと思い、支配人に電話で直接「延期」の申し出をしました。

 

支配人とも2週間ほどは連絡を取るのをやめ、母の見舞いに集中しました。

手術も無事に成功し、2週間した後リハビリ専門の病院へ引越し。私は仕事の後通い、夕方に15分だけ面会しています。

母は重度の認知症(アルツハイマー)であるので、病院に入ってからの進行がよくわかります。ですので、なるべく、私を忘れさせないように無理をしてでも、時間を割いて通っています。

一方、映像展ですが2週間経った時点で支配人の岡本氏と話し合いました。

とりあえず、候補にあがったのが2月23日(日)天皇誕生日の日でした。ちょうど3連休の真ん中というのです。本来開催する予定でした10月13日(日)も3連休の真ん中でした。

しかしながら、問題点も多く、1つ目。まず、能登半島への被災地への募金。受付は2024年12月27日までになってます。石川県庁に問い合わせましたが、来年はわからないそうです。私自身、今年から能登半島の被災地に気持ちを向けて作業をしていただけに、他の募金に変えるのは趣旨が変わってきます。能登半島自体復興もまだまだですし、変えたくありません。ぎりぎりまで延長を待つか。来年、継続する団体を探すか?(あればですが)検討中です。

2つ目。司会役の女性のスケジュールが合うか?ただいま、連絡待ち。

3つ目。フライヤー、展示パネル、台本、映像データ、すべて来年度に作り直しをします。

4つ目。今、告知をしている広告等の修正、フォロー。

ですので、2月23日(日)はあくまで私と支配人の二人の意志の決定のみということを伝えさせていただきます。

ただ、良いこともあります。母の見舞い後、帰宅して2時間ほど作業をする時間があるので、じっくりデータを直せることです。たぶん、10月より、納得いくデータができると思います。

長くなりました!以上になります。詳細はこれからもお知らせします。

皆様、これからも宜しくお願い致します!

 

あくまで私と「第8電影」支配人との決定です!