シンAyumilky作業日記

趣味と言われながら本気で作成する男の日々の作業日記です。

英字幕をつけています。 編集編。第4話。ー新作自主制作映画、制作秘話㉑

2023-01-20 16:30:14 | 自主制作映画

さて、今回は久しぶりに新作自主制作映画「プレゼント」に戻って編集のお話です。

編集作業はまだ続いてます。

最近では、あるシーンで使われている人物を加工した写真私自身で描いた絵に変更しました。

基本的にネットで掲載されている写真は著作者の許可をいただかない限り、使用しては駄目だそうです。

(この作業日記でも2枚ほど使用していますので、なるべく早く変更します。失礼しました!)

しかし、加工したら大丈夫だと思い、色々フィルターをかけ演出しましたが、加工しても駄目だそうです。

むしろ、加工が駄目だそうです。

そう言う事もあり、写真データーをすべて外し、改めてそのシーンにイメージが合う絵を紙にマジックで描きました。

描いた絵をスキャナーに読み込ませ、写真加工ソフトで加工して、動画編集ソフトで演出。少し動かしたりしました。

そんな感じで作業終了。だいたい2、3時間かかりました。

 

そして、現在、作業中なのが、英字幕をつける作業。作品の4分の1ほど軽く合わせている段階です。

英訳はいつもお願いしているMさん。仕事が早いです。これまでもいくつかの作品を訳していただきました。

Mさんいわく今回もかなりこだわって訳していただいてるそうです。

作業内容はと言うとまずMさんに映像を観ていただいて、脚本データを提出。

Mさんが英訳したデータを順次送っていただきました。

脚本には載ってないセリフなどもありますので、細かい部分の訂正、追加はショートメールでやりとりしています。

目標としては3月末完成を目指してます。

まだ時間はありますので、英字幕以外でも本編も少し直したいと思います。

この作業日記と並行して作業するので大変ですが、これからが本番!がんばります!

                                   つづく

英字幕版も3月末完成!日々の作業に気合が入ります!

 

 

 

 


これまでの制作のお話ー「のぼると食べ子」編⑰ 2011年版のお話。

2023-01-19 18:17:53 | 自主制作映画

さて、ここまで16回にかけて述べた私の処女作、自主制作映画「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」ですが、これでひとまず完結です。

今回はその後のお話です。

 

1992年に「東京インターナショナル最低8ミリ映画祭92」にて受賞した後、8ミリフィルムの作品はテレシネと言うデジタル化作業され、当時のビデオテープに変換されます。

そのビデオテープに編集室で音をつけ、完成。早速、U氏やOさん、そして母校のN先生にも差し上げました。

後にしばらくの間、母校Bの「芸術学」では上映されていた様です。

 

月日は流れ、映像作品が自宅で気軽にパソコン編集できる時代ヘと移り変わります。

まだ、DVDが目新しい時代です。

私は早速、当時の写真メーカーにDVminiのテープへ変換してもらい、パソコンへ取り込み編集しました。

そして、DVD-Rへ焼き、U氏へ送ったのを覚えてます。たしか18周年記念とか言ってたので2010年の頃でしょう。

 

その翌年ですが、私が現在住んでいるS県にて『NCC Shizuoka 2011 』と言う展覧会企画公募がありまして、そこで入選しました。

展覧会名は「松永 歩の最低映像展

内容は最低8ミリ映画祭で大賞を受賞した「松永 歩」による20年迷いなく作り続られた作品上映と展示

ですが、この話はまた、後々に。

ここで大きな問題がありました。「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」の音楽です。

今、使用している「ジャック・タチ」の音楽は1回だけでも高額な使用料がかかるため、何回も上映する展覧会ではどうしても使用できません。

〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」は「最低映像展」ではなくはならない作品です。

そこで私は再編集も兼ねて、S県在住のYさんにオリジナルの音楽をつけていただく事となるのでした。

当時、どういう形でデータをいただいたかわかりませんが、Yさんはかなり熱心に電話で指示をしていただいたのを覚えてます。

プロの方が映像に合わせて、音を作っていただいたので、とてもほのぼのとしてイメージのあった音楽だと思います。

ただ、お願いしていたのはあくまで参加としてなので、お礼としてしか渡してなかったのが心苦しいです。

当時はそういう姿勢でしか作ってなかったのです。また、いつかの機会にきちんとしたものはお渡ししたいです。

それで完成したのが 2011年版「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」です。

これまでの感想を聞いて意味が通じてなかったと思い、2011年版は字幕をつけてみました。

また、セロテープの繋ぎ目は編集でカットしましたが、今ならあえて付けるだろうなと思います。

まだまだ、この作品は進化します。

これからの「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」をお楽しみに!

                                    おわり

 

音楽を作っていただいたYさんです。ありがとうございました!

 

 

 

 


これまでの制作のお話ー「のぼると食べ子」編⑯影響を受けた作品のお話。

2023-01-18 11:18:35 | 自主制作映画

さて、今回は私の処女作である自主制作映画「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」がそもそも誰の作品から影響を受けていたのか?というお話。

話は1991年の「最低8ミリ映画祭91」にさかのぼります。

当時、U氏の誘いで初めて行く事となった私。

そこで衝撃的な作品に出会いました。

そう。安原伸監督の「国防挺身隊」です。

私はよく知らなかったのですが、この作品は当時 TVで放送していた深夜番組『三○裕司のえびぞり巨匠天国』通称『エビ天』で放送された有名作品でした。

〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」の墨で書いた文字の演出やノリはすべて『国防挺身隊』から影響を受けたものです。

 

そんな今は亡き安原監督ですが私個人で忘れられないエピソードが2つほど。

ひとつは「最低8ミリ映画祭92」で大賞をいただいた私ですが映画祭の後、一緒に食事に行くこととなります。

その席で安原監督は「ここでの映画祭の受賞は若手の登竜門になるから」とお褒めの言葉をいただきました。

ちなみに映画祭直後、文芸坐ル・ピ○エの前で審査員であったサ○キけんぞうさんと出演者一同で記念写真を撮っていただいたのも、カメラに精通する安原監督です。

まだ、安原監督の元にあると思います。もし、どなたか連絡先がわかる方がいればお教えください

そして、もうひとつのエピソードは、「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」をビデオテープに変換(テレシネ)したものに音を入れることになり、当時、編集室でオペレーターをしていただいたのも安原監督です。

文句ひとつ言わず、もくもくと作業をされていた印象があります。

当時若かったため、安原監督にはお礼ひとつできませんでした。

また、どこかでお話したかったです。

安原監督。安らかにお眠りください。

                                      つづく

 

これが「国防挺身隊」です。第3話にU氏とOさんが友情出演をしています。


これまでの制作のお話ー「のぼると食べ子」編⑮最低8ミリ映画祭に挑戦!のお話。後編。

2023-01-17 20:07:45 | 自主制作映画

さて、今回も私の処女作である自主制作映画「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」の第15回目のお話です。

時は1992年12月23日。場所は池○。

いよいよ「東京インターナショナル最低8ミリ映画祭92」が行われることになる文芸坐ル・ピ○エへ意気揚々と向かう私。

片手には当時、流行した大きなラジカセ(ドデカホン?)を持っています。

すでに会場前には人だかりが。早速、私も会場に入ります。

そして、いよいよ開幕。

スクリーン手前の舞台ではセーラー服を着た司会者(手○ 眞)と審査員は映画監督(林○象)、ミュージシャン(サ○キけんぞう)、漫画家(岡○京子)の3人が座ってます。

最初に司会者が「作品の応募規定が10分までの所、13分の作品を持ってきた人がいましたねぇ〜」と言った時点で予選審査で落ちたのが自分の事だとわかります。

そして、数作上映されて会場が温まってきた頃、司会者が今なら千円です!飛び入り上映したい人!と参加を求めます。

悶々としていた私は即座に挙手!13分の作品の者なんですけど。と言うと会場もウケます。

早速、千円払って上映へ。

私は即座に会場の後方へ周ってラジカセを構えます。U氏は手元を照らすためにライターを点けてくれたのを覚えてます。

その後ですが、音楽を流すのに精一杯でよく覚えていません。

ただ、映像を中断する太鼓の音が鳴らなかったので会場の雰囲気もそんなに悪くなかった様に思います。

そんな感じで無事、13分完走しました。

すべての作品の上映が終了して、司会者と審査員で審議に入ります。

すると、司会者が「食べ子ちゃんがいたら、大賞にしたいんだけど」と言い、もちろん会場には食べ子役のOさんはいます。

結果的に「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」が大賞をいただく事になりました。

ちなみに賞品は宝くじ券と当時のアイドルC.○ガールズの写真集でした。

審査員の映画監督には「2度とやらないように」と言われ、漫画家さんには「反復横飛びやったのだぁれ?」と声をかけられました。

今思うとですが、多分イベントが盛り上がるためのノリでくださったのでしょう。

最低」なんて、不名誉な言葉ですが、その言葉が誇りになりました。何より私は13分完走した事がとても自信になりました。

表彰され舞台から客席を眺めた時、本当に明日から何か変わるのではないか?と思いました。

                                        つづく

いただいた表彰状と当時のチケットです。大事にしています。

 

 


これまでの制作のお話ー「のぼると食べ子」編⑭最低8ミリ映画祭に挑戦!のお話。前編。

2023-01-16 20:20:01 | 自主制作映画

さて、いよいよ私の処女作である自主制作映画「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」のお話も大詰めを迎えます。

母校Bの講座「芸術学」にて大絶賛を受けた私ですが、次の目標がありました。

そうです。昨年の「TABOO〜皇○で泳ぐ〜」を上映した「東京インターナショナル最低8ミリ映画祭」での上映です。

東京インターナショナル最低8ミリ映画祭」とは池○の今は亡き文芸坐ル・ピ○エにて、当時12月になると行われていたイベントです。

主催者であり、イベントの司会者は毎年変な仮装をして偽名を使ってましたが、実は伝説の超有名漫画家の息子であり、自身も映画監督である手○眞さん。

そして、審査員には映画監督やミュージシャン、漫画家を招いて行います。

審査方法はいたって簡単。

事前に集めた8ミリフィルムを会場で次々と公開します。

審査員が観るにたえなくなると審査員の後ろにある大きな和太鼓を叩き、それと同時に上映は中断、その場で遮断されるというもの。

作品としては、おしりを丸出しのアップにしてプルプル振るものから、TVでも取り上げられている巨匠と言われる方の壮大な不条理ものまで。

とにかく馬鹿馬鹿しいものが中心でした。

そう言うものを観せられていくうちにだんだん客席がどよ〜んとするのも毎年恒例な様です。

 

昨年ですが、U氏は飛び入り参加をし、「TABOO〜皇○で泳ぐ〜」を上映しました。

上映する条件として無音だった事もあり、マイクを持たされ、その場で即興解説をさせられました。

太鼓は叩かれたか覚えはありませんが、少しにがい思い出だったと思います。

 

今年はなんとしてもリベンジしたい!そんな思いが強かったと思います。

なんと言っても母校での好感触が自分を後押しします。

当時、怖いもの知らずだった私は「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」の8ミリフィルムを文芸坐ル・ピ○エに提出します。

そして、忘れもしない1992年12月23日を迎えるのでした。

                                    つづく

いよいよ映画祭に公開 ⁈ です!どうなることやら?