昨日は「内観法」の吉本伊信先生のことを書いたので、今日は五井昌久先生のことを書いてみよう。
さっき見た船井幸雄さんのHPにたまたま五井先生の話が出て来ていたので、ついでながら私の経験も紹介したくなったのである。
確か本も持っていた筈と思って本棚を探してみると、何と3冊も出てきて我ながら驚いてしまった。
前にもどこかに書いたかもしれないが、五井先生のことを知ったのは私がまだ生まれ故郷に住んでいた若い時のことで、年下の知人が五井先生の信奉者で、その家族全員が熱心な信者だったのだ。それである日私に「読んでみる?」と何冊か本をくれたのだが、その本がとてもよくて、それ以来私も「世界人類が平和でありますように」という祈りを自然に(我流で)するようになった。
けれども元々宗教や組織が嫌いで苦手な私なので、その後も一度も集会などには行かなかったし、また他の誰かに本を勧めるということもしたことがなく、それどころか五井先生についての話も誰とも語ったことが無かった。
時々公園などで、他人に「手かざし」をしてお祈りをする人たち(グループ)がいて、その人たちはたぶん「白光教」?の信者なのだと思うが、その知人は私にそういうことを強要したことも無い。
ただ、私がとてもその教えに共感していたので、五井先生の講演のカセットテープなどをくれたりした。
それを聴いてみるとなぜか「柏手」や「口笛」が入っていたが、それがどんなふうな時に使われているのか?何かの儀式なのか?
それとも五井先生はいつもそのような口笛を吹かれたり、柏手を打たれたりしていたのだろうか?
(これについては今も何も知らないままで、その折もそのことを知人に確かめることもしなかった)
そんなふうにその宗教団体についても、五井先生本人のこともよく知らないまま、その後何十年もずっとそのお祈りの言葉を折に触れて唱えている。それは私にとっては「般若心経」や「観音経」と同じで何となく気に入ったからに過ぎない。
ただ、その言葉を毎日唱え続けることで、それまでかなりの悲観主義者?だった私がいつからかそうでは無くなったという効果はあったかもしれない。(ただし、他の人にとってはどうかはわからないが)
ある年の暮れのこと。(英語と日本語が対訳になっている)お祈りの言葉の載ったカレンダーが発行されたので、私はその団体の指定口座に所定の金額を振り込んで、カレンダーが送られて来るのを楽しみに待っていた。
が、結局新年になっても届かず、その後もずっと何の連絡も無くそのままだった。その時私は文通していた海外のペンパルにそのカレンダーを送ってあげたくて、2部注文したように覚えているのだが、本当に今思い返しても惜しい気がする。
(お金にこだわるわけでは無くその対訳がとても欲しかったからだ)
そういうわけですっかりその宗教団体には失望したのだが、その後もお祈りは続けたし、五井先生に対する気持ちは今も変わらない。
それからかなりの年月が経ち、阪神淡路大震災があった。私の知人(上記の人とはまた別の人)が神戸(新開地)でお店をやっていて、そのお店の中庭には「世界人類が平和でありますように」という祈りの言葉が書かれた「ピースポール」が立っていた。
そのお店の周辺の家やビルなどは地震でほとんど全壊や半壊となり凄い被害状況だったのだが、不思議なことにこのお店と中庭だけはほとんど何の被害も無かったのだ!
私は地震後にこのお店を訪ねて自分の目でそれを確かめたのだが、本当に驚いたことだった。
(他にもそのような経験をした人も多かったようだ)
このことで私は「やっぱりそのおかげだ!」とその宗教を見直したというわけではもちろん無いし、それがその宗教の正しさの証拠だとも思っていない。
ただ、わかるのはとてもそのお店が大事にされていたこと、そこに集っていた仲間たちの想い、そしてその「ピースポール」に込められた(それに対して祈りを捧げていた?)エネルギーなどが、よい「磁場」を創り出し、それが地震の波動や波長を超えていたのでは?(もっと高い次元と調和し、平和と繋がっていた)という気がするのだが、どうだろうか?
調査したわけではないのでこれは憶測に過ぎないが、もしも東日本の大震災でも神社などの被害が少なかったとしたら、やはりそういうことではないかという気がする。
さて、その後広島の川野政次さんと知り合いになる機会があり、彼が私たちの伊豆の家に遊びに来てくれた時のこと。
我が家の庭に「MAY PEACE PREVAIL ON EARTH」(世界人類が平和でありますように)と英語で書かれたピースポールが立っている(これは表には「AZUMIC ART」と彫られていて表札代わりでもある)のに気づいた彼と「白光」の話になった。
驚いたことに何と彼はその宗教団体に長く関わり、止める前は幹部クラスだったというのである!
彼の話によれば内部ではけっこういろいろなもめごとなどもあり、組織や宗教者の醜い面を見せられて失望し、嫌になって止めたということだった。「さもありなん」と、私はかつてのカレンダーが届かなかったことなどを改めて思い返したことだ。
そんなふうに、五井先生の心酔者というか、その教えを秘かに信じて実践したり、影響を受けた人はかなりたくさんいると思う。
そう言えば(今ふと思い出したが)、メキシコツアーで知り合ったある年配の男性もその宗教団体に長く関わっていた人だった。
ところで私が五井先生が好きなのは、その考え方が好きだからだ。
例えばこんな話がある。ある時五井先生が修行させられて、「赤信号の横断歩道を目をつぶって渡れ」と指示されたそうだ。
(指示したのは「天」?というか、神というか、その頃五井先生を指導していた目に見えない存在らしいのだが)それで五井先生が
かなり逡巡したあげく、いよいよ渡りかけると今度はものすごい剣幕で怒鳴られたそうだ。(頭が割れるような感じ?)
そして「バカ、よく考えてみよ。常識で考えてわかることは常識に従えばいいのだ」と言われたのだ。
そんなふうにして、「神」や「天」の言うことに無条件で従うことの危険性や間違った依存心(マインド コントロール)について
教えられ、だんだんに「ほんものを見分けていく力」を得ていかれたのだ。
こんなふうなエピソードがたくさん載っていたので、私には五井先生の本が中村天風さんの本と同じぐらい面白かったのである。
もし、これから読んでみようと思われる方は本屋で手に取ってみて、自分に一番ぴったりくる本を選ばれてはどうだろうか。
ちなみに私が一番好きなのは『日々の祈り』であるが、他に『天と地をつなぐ者』『如是我聞』も書棚に残っていた。
この『日々の祈り』というのは、日めくりカレンダーのような感じで、一年を通して毎日少しずつその日のところに書かれた話を読んでいくことが出来るので、とても読み易く、私はこれを(まるで聖書のように?)何度も繰り返し読んだ。毎年毎年繰り返し読むことを何年も続けたが、全く厭きることが無かった。
全部の言葉が真理かどうかはわからないし、私の考え方とは違っていて受け容れられないところももちろんあった。
けれども読んでいるとなぜかこころが安まったのは事実である。
この「世界人類が平和でありますように」という言葉を見る(思い浮かべる)ことで、不安な心がいつのまにか自然に変換され、宇宙的規模にまで?心が大きく広がるという効果があるのかもしれない。
迷いやすくつい不安になることが多かった私にはよい「読む薬」になった気がする。
つい最近バシャールの本を読んだが、その中にもこのマントラ(真言)のことに言及している箇所があって、びっくりした。
私たちが制作したポストカード(第1集~第3集)のケース(表)にはこの祈りの言葉(英文)を刷り込んでいる。
余談だが、以前このブログで書いたように、私が寝ている時に勝手にしゃべる「異言」をテープに取ってみたら、そこには「口笛と小鳥の声」が入っていたが、もしかしたらあれは五井先生からのメッセージ!?だったのだろうか。
もしそうだとしたら(その意味はわからなくても)五井先生に見守っていただいているようで、とても嬉しい。
川野政次さんはもう亡くなってしまわれたが、彼のことについてもまたいつか書いてみたい。
昨日紹介した映画『第4革命』のように、彼も「平和というのは戦争反対や原爆反対の『運動』によって達成されるものでは無く、個人の心の『内なる平和』こそがほんとうの平和を生み出していくのだ」といつも言われていた。
広島で被爆され両親や兄弟を一瞬にして失った彼の言う言葉だからこそ強い説得力があった。
そしてその言葉通りに、晩年の彼は、踊ったり、祝詞を唱えたり、また自動で作曲されたり、即興で和太鼓の演奏をされたりしていた。彼から『よろしく頼みます』とあとを託された?にも関わらず、未だに何一つご恩返しも出来ていないことが今も私の心残りだ。
下記の絵は『セブンバウズ』(虹=七つの約束)です。
(無断転載、コピーなどはご遠慮ください)
さっき見た船井幸雄さんのHPにたまたま五井先生の話が出て来ていたので、ついでながら私の経験も紹介したくなったのである。
確か本も持っていた筈と思って本棚を探してみると、何と3冊も出てきて我ながら驚いてしまった。
前にもどこかに書いたかもしれないが、五井先生のことを知ったのは私がまだ生まれ故郷に住んでいた若い時のことで、年下の知人が五井先生の信奉者で、その家族全員が熱心な信者だったのだ。それである日私に「読んでみる?」と何冊か本をくれたのだが、その本がとてもよくて、それ以来私も「世界人類が平和でありますように」という祈りを自然に(我流で)するようになった。
けれども元々宗教や組織が嫌いで苦手な私なので、その後も一度も集会などには行かなかったし、また他の誰かに本を勧めるということもしたことがなく、それどころか五井先生についての話も誰とも語ったことが無かった。
時々公園などで、他人に「手かざし」をしてお祈りをする人たち(グループ)がいて、その人たちはたぶん「白光教」?の信者なのだと思うが、その知人は私にそういうことを強要したことも無い。
ただ、私がとてもその教えに共感していたので、五井先生の講演のカセットテープなどをくれたりした。
それを聴いてみるとなぜか「柏手」や「口笛」が入っていたが、それがどんなふうな時に使われているのか?何かの儀式なのか?
それとも五井先生はいつもそのような口笛を吹かれたり、柏手を打たれたりしていたのだろうか?
(これについては今も何も知らないままで、その折もそのことを知人に確かめることもしなかった)
そんなふうにその宗教団体についても、五井先生本人のこともよく知らないまま、その後何十年もずっとそのお祈りの言葉を折に触れて唱えている。それは私にとっては「般若心経」や「観音経」と同じで何となく気に入ったからに過ぎない。
ただ、その言葉を毎日唱え続けることで、それまでかなりの悲観主義者?だった私がいつからかそうでは無くなったという効果はあったかもしれない。(ただし、他の人にとってはどうかはわからないが)
ある年の暮れのこと。(英語と日本語が対訳になっている)お祈りの言葉の載ったカレンダーが発行されたので、私はその団体の指定口座に所定の金額を振り込んで、カレンダーが送られて来るのを楽しみに待っていた。
が、結局新年になっても届かず、その後もずっと何の連絡も無くそのままだった。その時私は文通していた海外のペンパルにそのカレンダーを送ってあげたくて、2部注文したように覚えているのだが、本当に今思い返しても惜しい気がする。
(お金にこだわるわけでは無くその対訳がとても欲しかったからだ)
そういうわけですっかりその宗教団体には失望したのだが、その後もお祈りは続けたし、五井先生に対する気持ちは今も変わらない。
それからかなりの年月が経ち、阪神淡路大震災があった。私の知人(上記の人とはまた別の人)が神戸(新開地)でお店をやっていて、そのお店の中庭には「世界人類が平和でありますように」という祈りの言葉が書かれた「ピースポール」が立っていた。
そのお店の周辺の家やビルなどは地震でほとんど全壊や半壊となり凄い被害状況だったのだが、不思議なことにこのお店と中庭だけはほとんど何の被害も無かったのだ!
私は地震後にこのお店を訪ねて自分の目でそれを確かめたのだが、本当に驚いたことだった。
(他にもそのような経験をした人も多かったようだ)
このことで私は「やっぱりそのおかげだ!」とその宗教を見直したというわけではもちろん無いし、それがその宗教の正しさの証拠だとも思っていない。
ただ、わかるのはとてもそのお店が大事にされていたこと、そこに集っていた仲間たちの想い、そしてその「ピースポール」に込められた(それに対して祈りを捧げていた?)エネルギーなどが、よい「磁場」を創り出し、それが地震の波動や波長を超えていたのでは?(もっと高い次元と調和し、平和と繋がっていた)という気がするのだが、どうだろうか?
調査したわけではないのでこれは憶測に過ぎないが、もしも東日本の大震災でも神社などの被害が少なかったとしたら、やはりそういうことではないかという気がする。
さて、その後広島の川野政次さんと知り合いになる機会があり、彼が私たちの伊豆の家に遊びに来てくれた時のこと。
我が家の庭に「MAY PEACE PREVAIL ON EARTH」(世界人類が平和でありますように)と英語で書かれたピースポールが立っている(これは表には「AZUMIC ART」と彫られていて表札代わりでもある)のに気づいた彼と「白光」の話になった。
驚いたことに何と彼はその宗教団体に長く関わり、止める前は幹部クラスだったというのである!
彼の話によれば内部ではけっこういろいろなもめごとなどもあり、組織や宗教者の醜い面を見せられて失望し、嫌になって止めたということだった。「さもありなん」と、私はかつてのカレンダーが届かなかったことなどを改めて思い返したことだ。
そんなふうに、五井先生の心酔者というか、その教えを秘かに信じて実践したり、影響を受けた人はかなりたくさんいると思う。
そう言えば(今ふと思い出したが)、メキシコツアーで知り合ったある年配の男性もその宗教団体に長く関わっていた人だった。
ところで私が五井先生が好きなのは、その考え方が好きだからだ。
例えばこんな話がある。ある時五井先生が修行させられて、「赤信号の横断歩道を目をつぶって渡れ」と指示されたそうだ。
(指示したのは「天」?というか、神というか、その頃五井先生を指導していた目に見えない存在らしいのだが)それで五井先生が
かなり逡巡したあげく、いよいよ渡りかけると今度はものすごい剣幕で怒鳴られたそうだ。(頭が割れるような感じ?)
そして「バカ、よく考えてみよ。常識で考えてわかることは常識に従えばいいのだ」と言われたのだ。
そんなふうにして、「神」や「天」の言うことに無条件で従うことの危険性や間違った依存心(マインド コントロール)について
教えられ、だんだんに「ほんものを見分けていく力」を得ていかれたのだ。
こんなふうなエピソードがたくさん載っていたので、私には五井先生の本が中村天風さんの本と同じぐらい面白かったのである。
もし、これから読んでみようと思われる方は本屋で手に取ってみて、自分に一番ぴったりくる本を選ばれてはどうだろうか。
ちなみに私が一番好きなのは『日々の祈り』であるが、他に『天と地をつなぐ者』『如是我聞』も書棚に残っていた。
この『日々の祈り』というのは、日めくりカレンダーのような感じで、一年を通して毎日少しずつその日のところに書かれた話を読んでいくことが出来るので、とても読み易く、私はこれを(まるで聖書のように?)何度も繰り返し読んだ。毎年毎年繰り返し読むことを何年も続けたが、全く厭きることが無かった。
全部の言葉が真理かどうかはわからないし、私の考え方とは違っていて受け容れられないところももちろんあった。
けれども読んでいるとなぜかこころが安まったのは事実である。
この「世界人類が平和でありますように」という言葉を見る(思い浮かべる)ことで、不安な心がいつのまにか自然に変換され、宇宙的規模にまで?心が大きく広がるという効果があるのかもしれない。
迷いやすくつい不安になることが多かった私にはよい「読む薬」になった気がする。
つい最近バシャールの本を読んだが、その中にもこのマントラ(真言)のことに言及している箇所があって、びっくりした。
私たちが制作したポストカード(第1集~第3集)のケース(表)にはこの祈りの言葉(英文)を刷り込んでいる。
余談だが、以前このブログで書いたように、私が寝ている時に勝手にしゃべる「異言」をテープに取ってみたら、そこには「口笛と小鳥の声」が入っていたが、もしかしたらあれは五井先生からのメッセージ!?だったのだろうか。
もしそうだとしたら(その意味はわからなくても)五井先生に見守っていただいているようで、とても嬉しい。
川野政次さんはもう亡くなってしまわれたが、彼のことについてもまたいつか書いてみたい。
昨日紹介した映画『第4革命』のように、彼も「平和というのは戦争反対や原爆反対の『運動』によって達成されるものでは無く、個人の心の『内なる平和』こそがほんとうの平和を生み出していくのだ」といつも言われていた。
広島で被爆され両親や兄弟を一瞬にして失った彼の言う言葉だからこそ強い説得力があった。
そしてその言葉通りに、晩年の彼は、踊ったり、祝詞を唱えたり、また自動で作曲されたり、即興で和太鼓の演奏をされたりしていた。彼から『よろしく頼みます』とあとを託された?にも関わらず、未だに何一つご恩返しも出来ていないことが今も私の心残りだ。
下記の絵は『セブンバウズ』(虹=七つの約束)です。
(無断転載、コピーなどはご遠慮ください)