これまでの経験の中から、(狭い見聞ではあるが)私の心に残っていることを幾つか書いてみる。
1)ある日突然メッセージが降りて来た場合、そのことを「秘密」にしない方がいい。
誰かに話してみることで、客観性が得られるから。そしてそのメッセージが、ヘンなものか、そうでなく「ほんもの」かどうか?もある程度知ることが出来るので、身の危険を避けられる。
阪神淡路大震災のずっと前にある知り合いから聞いた話だが、その人の友人だったある若い男性にある時からいろいろなメッセージが降りてくるようになったそうだ。最初はとてもそれがよく当たったらしい。それでどんどん信じるようになり、すっかりのめり込んでしまったようだ。そうしてその言う通りに行動しているうちに、やがて、そのメッセージがその彼に「死んでしまえ」というようなものに徐々に変わって行き、最後は彼は遂にその通りにしてしまったという。
かつてはインドに行くとインドに魅入られてしまって日本に帰ってもなじめず、一生を棒に振ってしまう「インド病」?のような若者も多く、ヒッピーの文化が盛んだった時代があったが、彼もその一人だったと聞く。自分の人生の指針や拠り所をそのメッセージに求めようとしたのかもしれないが、その話を聞いた時には本当にゾッとしたものだ。
でもその話を聞いていたおかげで、私はかなり「気を付ける」ことが出来たことを今も感謝している。
2)メッセージの価値を「数値化」しない方がいい。「天狗」にならないで済むから。
これは広島の三上晃先生に教えていただいた教訓でもある。
三上先生は植物さんを通して何でも知ることが出来、現在のようにMRA(磁気共鳴装置)?などがまだ普及していない頃から、数値でエネルギーや波動の高さを測定することが出来る器械も発明されていた。
それで、(今でも存命だと思うが)かつてある女性画家(花や植物の絵ばかりを描く)から頼まれてその絵の測定をし、「お墨付きを与える」ことをしたそうだが、その後発売された彼女の画集にはその数値が掲載され、その絵の価値が証明された?ことによって、それまで以上に人気を博し、その後彼女は少し天狗になってしまわれた?らしい。
三上先生はそのことを嘆かれ、私に少々後悔めいたことを言われたのだ。そして何度も「普通に生きなさいよ」と諭して下さったのだ。その言葉を私は今でも自分への「戒め」と思って大事にしている。
私も広島でその人の花の絵を観たことがある。その折は三上先生の講演とセットの展覧会で、会場に飾られていた絵は大作揃いだった。また大阪でも彼女の個展があり交流会にも出席したが、その時のその人のいかにも時代がかった(まるで神代の巫女さんのような?)衣装と雰囲気に驚いたことがある。もちろん何を着ようと本人の自由ではあるのだが、なぜか「場違い」な?印象を受けて私は少々違和感を覚えたのかもしれない。
(これまでのブログに)笛を作った話や線描画の話を書いたが、もちろんそれらの線描画や笛も三上先生はその器械で測定して下さったのだ。
そして「これ(線描画)をこれから研究してみますが、でももしかしたら宇宙のマンガやポルノかもしれませんよ?」と言って呵々大笑されたのだ。
その笛の裏には三上先生が書いてくださった数値が今でも残っている。線描画の測定結果も教えていただいたが、それを人に公表しないようにと言われたので、私はこれからもその約束を守っていくつもりだ。
線描画の研究結果の方はどうなったのか?は、三上先生が亡くなられてしまった今となっては、知るすべも無い(お渡ししたその全部のコピーもその後どうなったのかも分らないのが、残念だ)が、きっと向こうの世界でも研究を続けておられるに違いない。
三上先生と私は同じ星に生まれ替わるらしい?ので、また再会してお話を聞かせていただくのを楽しみにしている。
3)手の冷たい人には気を付けること。
広島で出遇った人の中に、ある宗教家の女性がいた。どういう集いで誰の紹介で知り合ったのか?(最初は宗教家とは知らず)出会いのきっかけはもうすっかり忘れてしまったが、今でもはっきり覚えているちょっとコワイ出来事がある。
ある時、この女性に誘われて何とかという有名な神社に一緒に行くことになった。彼女の運転する車に乗せてもらったのだが、彼女がなぜか高速道路の降り口を間違えてしまい、車は目的地をどんどん離れてはるか遠くまで進んで行ってしまった。
その車内で彼女と私はいろいろな話をしていたのだが、「阪神淡路大震災が起きたのは、あなたをこの広島に招くためだった」と彼女が言ったので、「まさか、なんぼなんでもそれはあり得ないでしょ」 とあきれて反論しようと思って彼女の顔を見ると、本当に真剣そのもので冗談でも無さそうだったので、「もしかしてこの人はアブナイ人かも?」と気が付いたのだ。
それで用心していたのだが、どうやら彼女は私を彼女の始めた新興宗教?の教祖に祀り上げたかったようだ。
ともかく適当に話を聞いていると、彼女が「これから共に日本の世直しをやりましょう。宜しく」と、握手を求めるように手を差し伸べて来た。助手席に座っていた私は仕方無く彼女が差し出した手を握ったのだが、その手が氷のように冷たかったのだ!
その後ようやく辿り着いた神社(当初の予定とは違っていたらしいが、もしかしたら最初からそこへ私を誘導したかった?のかもしれない)で車から降りるなり、彼女は急に裸足になり、長い数珠を振り回しつつ何やら祝詞を大声で叫び、鐘を搗いたり、持参していたらしい小太鼓やら彼女の信教の道具らしいものを出して来て、大暴れした(私の目にはそのぐらい傍若無人に映った)のだった。(しかもそこには別のルートで先に到着していたらしい彼女の娘が待っていて、全く同じ振る舞いを始めたのだ)
それに私も感応してしまったのか、ここではある神秘的な出来事も体験した。
その詳細は省くが、もしかしたらもう少しで私は彼女に「拉致」されるところだったのかもしれない。
強制的な勧誘では無く、例えば私は彼女の家に泊めてもらった折に、下にも置かないもてなしで家族みんなで凄い「歓待」を受けたりしたが、そういうことの方がもっと危険だ。知らないうちに「洗脳」されてしまうこともあるので、ほんとにアブナイ、アブナイ!
ところで、私が広島を離れて関西に帰ることになった時、あろうことか彼女は頭を丸めて三上先生を訪れ、「あの人(私のこと)が広島からいなくなるのは私の不徳の致すところだ」と土下座して?おわびしたそうだ。
(この話は後日、三上先生が私に伝えてくれました)
それ以来、私は人の「言葉」もさることながら、その「行動」(ふるまい)の方により注意を払うようになった。
特に「手」の冷たい人には要注意である。
1)ある日突然メッセージが降りて来た場合、そのことを「秘密」にしない方がいい。
誰かに話してみることで、客観性が得られるから。そしてそのメッセージが、ヘンなものか、そうでなく「ほんもの」かどうか?もある程度知ることが出来るので、身の危険を避けられる。
阪神淡路大震災のずっと前にある知り合いから聞いた話だが、その人の友人だったある若い男性にある時からいろいろなメッセージが降りてくるようになったそうだ。最初はとてもそれがよく当たったらしい。それでどんどん信じるようになり、すっかりのめり込んでしまったようだ。そうしてその言う通りに行動しているうちに、やがて、そのメッセージがその彼に「死んでしまえ」というようなものに徐々に変わって行き、最後は彼は遂にその通りにしてしまったという。
かつてはインドに行くとインドに魅入られてしまって日本に帰ってもなじめず、一生を棒に振ってしまう「インド病」?のような若者も多く、ヒッピーの文化が盛んだった時代があったが、彼もその一人だったと聞く。自分の人生の指針や拠り所をそのメッセージに求めようとしたのかもしれないが、その話を聞いた時には本当にゾッとしたものだ。
でもその話を聞いていたおかげで、私はかなり「気を付ける」ことが出来たことを今も感謝している。
2)メッセージの価値を「数値化」しない方がいい。「天狗」にならないで済むから。
これは広島の三上晃先生に教えていただいた教訓でもある。
三上先生は植物さんを通して何でも知ることが出来、現在のようにMRA(磁気共鳴装置)?などがまだ普及していない頃から、数値でエネルギーや波動の高さを測定することが出来る器械も発明されていた。
それで、(今でも存命だと思うが)かつてある女性画家(花や植物の絵ばかりを描く)から頼まれてその絵の測定をし、「お墨付きを与える」ことをしたそうだが、その後発売された彼女の画集にはその数値が掲載され、その絵の価値が証明された?ことによって、それまで以上に人気を博し、その後彼女は少し天狗になってしまわれた?らしい。
三上先生はそのことを嘆かれ、私に少々後悔めいたことを言われたのだ。そして何度も「普通に生きなさいよ」と諭して下さったのだ。その言葉を私は今でも自分への「戒め」と思って大事にしている。
私も広島でその人の花の絵を観たことがある。その折は三上先生の講演とセットの展覧会で、会場に飾られていた絵は大作揃いだった。また大阪でも彼女の個展があり交流会にも出席したが、その時のその人のいかにも時代がかった(まるで神代の巫女さんのような?)衣装と雰囲気に驚いたことがある。もちろん何を着ようと本人の自由ではあるのだが、なぜか「場違い」な?印象を受けて私は少々違和感を覚えたのかもしれない。
(これまでのブログに)笛を作った話や線描画の話を書いたが、もちろんそれらの線描画や笛も三上先生はその器械で測定して下さったのだ。
そして「これ(線描画)をこれから研究してみますが、でももしかしたら宇宙のマンガやポルノかもしれませんよ?」と言って呵々大笑されたのだ。
その笛の裏には三上先生が書いてくださった数値が今でも残っている。線描画の測定結果も教えていただいたが、それを人に公表しないようにと言われたので、私はこれからもその約束を守っていくつもりだ。
線描画の研究結果の方はどうなったのか?は、三上先生が亡くなられてしまった今となっては、知るすべも無い(お渡ししたその全部のコピーもその後どうなったのかも分らないのが、残念だ)が、きっと向こうの世界でも研究を続けておられるに違いない。
三上先生と私は同じ星に生まれ替わるらしい?ので、また再会してお話を聞かせていただくのを楽しみにしている。
3)手の冷たい人には気を付けること。
広島で出遇った人の中に、ある宗教家の女性がいた。どういう集いで誰の紹介で知り合ったのか?(最初は宗教家とは知らず)出会いのきっかけはもうすっかり忘れてしまったが、今でもはっきり覚えているちょっとコワイ出来事がある。
ある時、この女性に誘われて何とかという有名な神社に一緒に行くことになった。彼女の運転する車に乗せてもらったのだが、彼女がなぜか高速道路の降り口を間違えてしまい、車は目的地をどんどん離れてはるか遠くまで進んで行ってしまった。
その車内で彼女と私はいろいろな話をしていたのだが、「阪神淡路大震災が起きたのは、あなたをこの広島に招くためだった」と彼女が言ったので、「まさか、なんぼなんでもそれはあり得ないでしょ」 とあきれて反論しようと思って彼女の顔を見ると、本当に真剣そのもので冗談でも無さそうだったので、「もしかしてこの人はアブナイ人かも?」と気が付いたのだ。
それで用心していたのだが、どうやら彼女は私を彼女の始めた新興宗教?の教祖に祀り上げたかったようだ。
ともかく適当に話を聞いていると、彼女が「これから共に日本の世直しをやりましょう。宜しく」と、握手を求めるように手を差し伸べて来た。助手席に座っていた私は仕方無く彼女が差し出した手を握ったのだが、その手が氷のように冷たかったのだ!
その後ようやく辿り着いた神社(当初の予定とは違っていたらしいが、もしかしたら最初からそこへ私を誘導したかった?のかもしれない)で車から降りるなり、彼女は急に裸足になり、長い数珠を振り回しつつ何やら祝詞を大声で叫び、鐘を搗いたり、持参していたらしい小太鼓やら彼女の信教の道具らしいものを出して来て、大暴れした(私の目にはそのぐらい傍若無人に映った)のだった。(しかもそこには別のルートで先に到着していたらしい彼女の娘が待っていて、全く同じ振る舞いを始めたのだ)
それに私も感応してしまったのか、ここではある神秘的な出来事も体験した。
その詳細は省くが、もしかしたらもう少しで私は彼女に「拉致」されるところだったのかもしれない。
強制的な勧誘では無く、例えば私は彼女の家に泊めてもらった折に、下にも置かないもてなしで家族みんなで凄い「歓待」を受けたりしたが、そういうことの方がもっと危険だ。知らないうちに「洗脳」されてしまうこともあるので、ほんとにアブナイ、アブナイ!
ところで、私が広島を離れて関西に帰ることになった時、あろうことか彼女は頭を丸めて三上先生を訪れ、「あの人(私のこと)が広島からいなくなるのは私の不徳の致すところだ」と土下座して?おわびしたそうだ。
(この話は後日、三上先生が私に伝えてくれました)
それ以来、私は人の「言葉」もさることながら、その「行動」(ふるまい)の方により注意を払うようになった。
特に「手」の冷たい人には要注意である。