阪神淡路大震災が起こる前年の話です。
先日読んだ『岡本天明伝』にも書いてありましたが、「神示」というのはある日突然にいきなり降りるというのではなく、例え偉人伝にはそのように書かれていたとしても、側近の話など聞くと、やはりその前からいろいろな「前兆」というのはあるようです。
私の場合もそうでした。前年の6月のいつだったか、友人への手紙を書いていると何枚も失敗して、おかしいな、不思議だなと思っていると、なぜか別のこと(自分が書こうとしていることとは違うこと)を書いてしまうというようなことがありました。
その頃から少しずつ何かおかしく? なっていたのかもしれません。
さて、その6月のある朝、いつものように職場へ行こうとすると、急になぜか「旅の用意」をし始めたのです。
からだが勝手に動いて、着替えや洗面具を旅行鞄に入れたりして、(もちろん意識ははっきりしているのですが)自分ではその動きを止められないのです。そして駅に着くといつもの路線へと向かわず、職場とは逆方向へと足が動き出すのです。
これは困った、遅刻は出来ないし、、と何度も足を元通りにしようとするのですが、すると、まるで「キツネ憑き」にでもあったかのように、からだがその場でくるくると廻ってしまうのです!
たくさんの通勤客が行き交う駅でほんとに恥ずかしくて、「何やっているんだろう?私は一体どうなったのだろう?」と頭は考えようとするのですが、何だか夢を見ているような感じです。そのうちに、今度は公衆電話に歩み寄って、職場に電話をかけ、「休暇を取る」と(口から勝手に「休む理由」なんかもスラスラと言葉が出て)同僚に話しているようなのです。
(自分が自分でありながら全く他人のしていることを見ているような?そんな感覚でした)
えっ、そんな!?まさか。とびっくりする間も無く、職場とは反対方向の電車へと向い、足は勝手に車中へと運ばれて行ったのです。そして気が付けばいつのまにか新幹線に乗っていました。
どうやって切符を買ったのか?覚えているようでもあり、催眠術にかかったようでもあり、ほんとうに夢の中に居るようでした。
その新幹線の中は空いていて(もしかしたらグリーン車だったのかも?)私の周囲はがら空きでした。
でも誰か私の他に三人の(目には見えない)存在が居るように感じられるのです。
私の頭部はクルクルと人形のように廻り続け、おまけに手も指先も勝手にクルクルと廻したりするのです!
(もし他に人が座っていたら、きっとヘンな人だと思われて敬遠されたことでしょう)
そして、着いたところは何と広島だったのです!
私はもうどうしていいかわからず、なぜ自分が(職場を休んでまでも)こんなところに来てしまったのか?
一体何の目的で!?とさっぱり意味がわからず、遠方の友人に電話をかけて訊ねました。
(この友人は「気」やそういう超常現象?のわかる人だったのです)
すると「青いきれいな光が見えるからヘンなものでは無いと思うよ」と言ってくれたのです。
(この電話をかけている間も頭がクルクルと廻ったりしていました)
それでもう着いてしまったことだし、引き返すのはあきらめてともかく一泊して帰るしかないので、せっかくだから宮島にお参りでもしようと島に船で渡った(宮島に行ったのはその時が初めて)のですが、霧が出ていてそれはそれは幻想的な風景でした。
宮島に着いて駅の観光案内所で宿泊先(その当日の飛び入りで空いていた部屋)を紹介してもらい、厳島神社へ向かって歩いて行きました。
その間にも手や指先がクルクルと動き、頭の動きもまだ続いていて止まりません。
それだけではなく、何かぶつぶつと聞いたことも無いような変なお経?のような文句を唱えながら歩くのです。
大声では無かったからまだしもましだったものの、もしもそんな人が歩いていたら誰でも思わず避けてしまうことでしょう!
そして海の中に立っている有名な鳥居(台風で倒れる前の旧のもので、その当時は朱色ではなく白木がくすんだような感じだったと覚えているのですが、もしかしたら私の記憶違いかも)まで来ると、はるか遠い空の向こう(海に向かって左の方向)から何か強いエネルギーの白い塊のようなもの(雲のような?)がやって来て、その鳥居を潜り、神社の中へとスッと入って行ったのです!
それはもの凄いスピードであっという間の出来事でしたが、そんなものを見たのはそれが全く初めてでした。
それが一体何だったのか?は今でも謎のままです。
(確か1994年の6月12日のことでした)
その雲のようなものが吸い込まれるように厳島神社の中に消えて行ったのを目撃した後も、何かぶつぶつとお経のような独り言を唱えながら神社の中を参拝して廻り、そこを出て今度は土産物屋の前を通りかかると、その店に居た真っ黒な服装の一組の男女の外国人に向かって今度は片言英語で何か話しかけたのです!
その二人は今思い返してみても、何か普通の人間では無い感じで、異星人か、あるいは高い次元の存在が人間の姿をして現れているかのような、そんな際立った気品のある美しさでした。二人共が同じ黒い服(上下共に)で、とても背が高く(外国人だとしてもさらに)体格が立派で、芸能人のおしのびというようなそういう雰囲気でもなかったのです。
色は少し浅黒く、私は彼らのことをなぜかインドのヒンズー教の「シヴァ神とビシュヌ神の化身」!?だと直観したのです。
私の拙い英語力では(そんな何かに取り憑かれている?ような時ですら、突然に英語がペラペラッと話せるようになったわけでは無いのが我ながら可笑しいのですが)挨拶以上の会話が続かず、私の彼らへの「感動の念」を伝えきれなかったのが、今も本当に心残りです。
もちろんもし彼らがほんとうに神の化身だとしたら、私ごときがそんなところで出逢えただけでも全く天にも昇る心地ですが。
それにまさか、その翌年広島に移り住むようになるとはその時は思ってもみなかったのですが、もしかしたらこの出来事があったので、阪神淡路大震災の後、広島に移る気になったのかもしれません。
(その時には気づいていなかった心理ですが、今このブログを書いていて、突然に気づきました)
この出来事はその前兆?もしくは私を広島へと導いてくれるための神の恩寵 だったのでしょうか?
余談ですが、そんなこともあって、阪神淡路大震災後に移り住んだ広島では、この同じ宮島の厳島神社の能舞台で「オノ・ヨーコと息子ショーンのコンサート」が催され、厳島神社の裏をリハーサルの合間に散策しているオノ・ヨーコさんに偶然遭遇することが出来たのです!
もしかしたらこれは神の化身に出遇ったよりももっとラッキーなことだったかもしれません。
(私の友人はサインをしてもらい、握手もしてもらって、おまけに写真まで一緒に!撮らせてもらったのです)
ちなみに私はその友人と彼女の写真を撮るのに精一杯で、私自身は彼女とのツーショットは無いのですが、ただもう長年の憧れだったオノ・ヨーコさんに出遇えただけでも本当に幸せな一生モンの「宝の思い出」です。
先日読んだ『岡本天明伝』にも書いてありましたが、「神示」というのはある日突然にいきなり降りるというのではなく、例え偉人伝にはそのように書かれていたとしても、側近の話など聞くと、やはりその前からいろいろな「前兆」というのはあるようです。
私の場合もそうでした。前年の6月のいつだったか、友人への手紙を書いていると何枚も失敗して、おかしいな、不思議だなと思っていると、なぜか別のこと(自分が書こうとしていることとは違うこと)を書いてしまうというようなことがありました。
その頃から少しずつ何かおかしく? なっていたのかもしれません。
さて、その6月のある朝、いつものように職場へ行こうとすると、急になぜか「旅の用意」をし始めたのです。
からだが勝手に動いて、着替えや洗面具を旅行鞄に入れたりして、(もちろん意識ははっきりしているのですが)自分ではその動きを止められないのです。そして駅に着くといつもの路線へと向かわず、職場とは逆方向へと足が動き出すのです。
これは困った、遅刻は出来ないし、、と何度も足を元通りにしようとするのですが、すると、まるで「キツネ憑き」にでもあったかのように、からだがその場でくるくると廻ってしまうのです!
たくさんの通勤客が行き交う駅でほんとに恥ずかしくて、「何やっているんだろう?私は一体どうなったのだろう?」と頭は考えようとするのですが、何だか夢を見ているような感じです。そのうちに、今度は公衆電話に歩み寄って、職場に電話をかけ、「休暇を取る」と(口から勝手に「休む理由」なんかもスラスラと言葉が出て)同僚に話しているようなのです。
(自分が自分でありながら全く他人のしていることを見ているような?そんな感覚でした)
えっ、そんな!?まさか。とびっくりする間も無く、職場とは反対方向の電車へと向い、足は勝手に車中へと運ばれて行ったのです。そして気が付けばいつのまにか新幹線に乗っていました。
どうやって切符を買ったのか?覚えているようでもあり、催眠術にかかったようでもあり、ほんとうに夢の中に居るようでした。
その新幹線の中は空いていて(もしかしたらグリーン車だったのかも?)私の周囲はがら空きでした。
でも誰か私の他に三人の(目には見えない)存在が居るように感じられるのです。
私の頭部はクルクルと人形のように廻り続け、おまけに手も指先も勝手にクルクルと廻したりするのです!
(もし他に人が座っていたら、きっとヘンな人だと思われて敬遠されたことでしょう)
そして、着いたところは何と広島だったのです!
私はもうどうしていいかわからず、なぜ自分が(職場を休んでまでも)こんなところに来てしまったのか?
一体何の目的で!?とさっぱり意味がわからず、遠方の友人に電話をかけて訊ねました。
(この友人は「気」やそういう超常現象?のわかる人だったのです)
すると「青いきれいな光が見えるからヘンなものでは無いと思うよ」と言ってくれたのです。
(この電話をかけている間も頭がクルクルと廻ったりしていました)
それでもう着いてしまったことだし、引き返すのはあきらめてともかく一泊して帰るしかないので、せっかくだから宮島にお参りでもしようと島に船で渡った(宮島に行ったのはその時が初めて)のですが、霧が出ていてそれはそれは幻想的な風景でした。
宮島に着いて駅の観光案内所で宿泊先(その当日の飛び入りで空いていた部屋)を紹介してもらい、厳島神社へ向かって歩いて行きました。
その間にも手や指先がクルクルと動き、頭の動きもまだ続いていて止まりません。
それだけではなく、何かぶつぶつと聞いたことも無いような変なお経?のような文句を唱えながら歩くのです。
大声では無かったからまだしもましだったものの、もしもそんな人が歩いていたら誰でも思わず避けてしまうことでしょう!
そして海の中に立っている有名な鳥居(台風で倒れる前の旧のもので、その当時は朱色ではなく白木がくすんだような感じだったと覚えているのですが、もしかしたら私の記憶違いかも)まで来ると、はるか遠い空の向こう(海に向かって左の方向)から何か強いエネルギーの白い塊のようなもの(雲のような?)がやって来て、その鳥居を潜り、神社の中へとスッと入って行ったのです!
それはもの凄いスピードであっという間の出来事でしたが、そんなものを見たのはそれが全く初めてでした。
それが一体何だったのか?は今でも謎のままです。
(確か1994年の6月12日のことでした)
その雲のようなものが吸い込まれるように厳島神社の中に消えて行ったのを目撃した後も、何かぶつぶつとお経のような独り言を唱えながら神社の中を参拝して廻り、そこを出て今度は土産物屋の前を通りかかると、その店に居た真っ黒な服装の一組の男女の外国人に向かって今度は片言英語で何か話しかけたのです!
その二人は今思い返してみても、何か普通の人間では無い感じで、異星人か、あるいは高い次元の存在が人間の姿をして現れているかのような、そんな際立った気品のある美しさでした。二人共が同じ黒い服(上下共に)で、とても背が高く(外国人だとしてもさらに)体格が立派で、芸能人のおしのびというようなそういう雰囲気でもなかったのです。
色は少し浅黒く、私は彼らのことをなぜかインドのヒンズー教の「シヴァ神とビシュヌ神の化身」!?だと直観したのです。
私の拙い英語力では(そんな何かに取り憑かれている?ような時ですら、突然に英語がペラペラッと話せるようになったわけでは無いのが我ながら可笑しいのですが)挨拶以上の会話が続かず、私の彼らへの「感動の念」を伝えきれなかったのが、今も本当に心残りです。
もちろんもし彼らがほんとうに神の化身だとしたら、私ごときがそんなところで出逢えただけでも全く天にも昇る心地ですが。
それにまさか、その翌年広島に移り住むようになるとはその時は思ってもみなかったのですが、もしかしたらこの出来事があったので、阪神淡路大震災の後、広島に移る気になったのかもしれません。
(その時には気づいていなかった心理ですが、今このブログを書いていて、突然に気づきました)
この出来事はその前兆?もしくは私を広島へと導いてくれるための神の恩寵 だったのでしょうか?
余談ですが、そんなこともあって、阪神淡路大震災後に移り住んだ広島では、この同じ宮島の厳島神社の能舞台で「オノ・ヨーコと息子ショーンのコンサート」が催され、厳島神社の裏をリハーサルの合間に散策しているオノ・ヨーコさんに偶然遭遇することが出来たのです!
もしかしたらこれは神の化身に出遇ったよりももっとラッキーなことだったかもしれません。
(私の友人はサインをしてもらい、握手もしてもらって、おまけに写真まで一緒に!撮らせてもらったのです)
ちなみに私はその友人と彼女の写真を撮るのに精一杯で、私自身は彼女とのツーショットは無いのですが、ただもう長年の憧れだったオノ・ヨーコさんに出遇えただけでも本当に幸せな一生モンの「宝の思い出」です。