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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

「まさG」からの平和のメッセージ

2014-05-30 | 日記
本日5月30日は故・川野政次さんのご命日です。

愛称「まさG」のことについては、
過日(5/15)のイベントの中で、
彼の「テレパスアート」と一緒にご紹介しましたが、
(後ろの方の席の人は絵もよく見えず、話も聴こえにくかったようで)
「よくわからなかった」というご意見を後日いただきました。

そういうわけで大変失礼致しましたので、
あらためて本日彼のことについて掲載させていただきます。
(かなりの長文ですので、関心の無い方はスルーしてください♪)
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広島に住む川野さんと出遇ったのは、
阪神淡路大震災後に私が広島に移り住んだことがきっかけです。

そこでたくさんのスピリチュアルな人たちに出会いましたが、
彼はその中でも大変有名な方だったのです。


平成14年の8月4日付けの毎日新聞に、
川野政次さん(72)が紹介されています。


下記にその一部を抜粋転載させていただきます。
(表記や表現の仕方を変えているところもあります)

その折りのプロフィールには
「即興の唄と音楽に合わせて
<ヒロシマから新しい平和のメッセージ>を世界に向けて発信している

と書かれています。

また、見出しには
「少年時代 原爆を体験
ヒロシマの心を音楽で表現するメッセンジャー」

紹介されています。
この頃の川野さんは和太鼓を演奏されていたようです。

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原爆の落ちた1945年8月6日の朝、
川野さんは15歳にして、両親と姉妹4人を
いっぺんに亡くされたのです。



「私はあの日、学徒動員で工場にいました。
突然白っぽい光に薄い青やピンクなどの色が混ざった
パステルカラーの光が飛び込んできて、
何だろうと一瞬考えた後に、爆風がきました。

その時、私は無意識に足をふんばって
倒れまいと抵抗しました。
世界でただ一人、原爆に立ち向かった少年です。


次の瞬間、こなごなに割れたガラスが飛び散り、
建物が壊れて下敷きになりました。
なんとか外に出て大きな深呼吸をしたら、
コップ一杯ほどの血を吐きました。

比治山に登り、町を見下ろすと、瓦礫の平原という感じでした。
またたくまに火の手があがり、
私は茫然とその光景を眺めていました。


気が付くと上半身裸で、はだしでした。
そのまま家に向かいました。
途中、立ったまま黒こげになった馬や、
水をくださいと言って手を伸ばす人たちがいました。
爆心地から百メートル程の家(自宅)は跡形もありませんでした。

10日後、両親の骨を見つけました。
姉と妹のはどうしても見つからない。
あの日、私に向かって水を下さいと言っていた人の中に、
妹たちがいたのかもしれないと思い、
焼け野原で一人泣きました。



私の体には原爆で受けた傷跡が100カ所ほどもありますが、
何の症状も出ず、原爆症にもかかっていません。

私が望む「平和」とは
「心の平和」です。


皆が仲良く手をつないで輪になって平和運動をしても、
各自の心が平和でないと一時的でみせかけの平和しかできません。


「心」平安な人達が集まって「和」となる。
これが平和の意味で、和平ではありません。

まず自分の心の中の平和が先です。
自分自身が平和になれば、周りの人々の行為も許し、
愛せるようになり、おのずと平和になっていきます。

本人が光っていれば、周囲の闇は、
一瞬にして明るく輝き始めると思います」

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川野さんは過去に背を向け、原爆体験を忘れ去りたいと
長年苦しんでおられましたが、(この記事の出る)7年程前、
自分の心と直面し、考え方を百八十度転換してからは、
生活や環境すべてが良い方に変わったのだそうです。


(精神世界との出会いが彼を変えたのかもしれません)

「原爆の被害を訴えなくても、ヒロシマの心を
音楽でも何でも感動して発信すれば、
相手の心に響くことに気付いた」

と川野さんはこの記事の中でも語っておられます。


そして、1955年にはイギリスのエジンバラ音楽祭で、
「ラブ・ザ・アース・ウィズ・ヒロシマ」という、
平和のメッセージを伝えるミュージカルで
川野さんは主役を演じられたのです。


その後亡くなられるまで、自らの被爆体験の講演や
音楽活動を通し、平和のメッセンジャーとして
「まさG」は世界中を歩き廻られていました。

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そういう彼の信奉者?もたくさんおられ、
私はそのような人たちの中の一人から絵を頼まれて、
彼のテレパスアート(その頃は「ヒーリングアート」)を
何枚か描かせていただきました。

また彼は伊豆の我が家にも泊まりに来て下さったのです。
(残念ながらその折りは和太鼓の演奏は聴けませんでしたが、、)


その時、彼は「これからヒマラヤに行く」と言っておられました。
そして「自分はヒマラヤに行くといのちを縮めると予言されている」と
笑っておられたのです。

そして帰国後その予言通りになられたのでした。


彼の周辺の人たちは、
これまでまるで教祖のように崇めていた彼が
病気になり、弱っていく姿や、普通の人のように
弱音を吐いたり、ワガママ?だったりする彼の姿に、
少々がっかりして、亡くなられた後は

「彼も普通の人だった!」
(元々「普通の人」だったと私は思いますし、
周囲の人たちが勝手に思い入れをして崇めていただけでは?
と私は感じていますが)、という失望!?を
正直に吐露される方も、中にはおられたようです。


そのような時に(亡くなられた後)
たまたま依頼されて私は絵を描かせていただき、
(それが彼の真実の魂の正体!?なのかどうかはわかりませんが)
彼がなぜか「ホワイトイーグル」のような姿で、画面に
出て来られたことに、何か安堵の気持ちを抱きました。


外側の肉体次元、三次元の姿とはまた違った
絵の中の彼の姿に、神々しささえ感じました。
(たとえどういうふうな亡くなられかたであろうと、、、)

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そして亡くなられた直後にも私は彼からのメッセージを
受けて(個人的に)絵を描いてみたのですが、
(この話は以前このブログのどこかに書いたと思いますが)
その時の彼はとても苦しんでおられる様子でした。

それは「私たちに何とか向こうの世界からメッセージを
届けたい」という想いから、彼は「必死になって発信しようとされて
いた」ようですが、それは実は(彼が生前思っていた以上に)
大変難しいことだったようで、何とかならないものかと、さんざん
もがいておられる気配?や感じが深く伝わって来ました。


その後何年も経って、「今年になってようやく彼のメッセージが
スムーズに届くようになったのではないか」
という氣がしています。

そのメッセージの届き方というのは、具体的な言葉を通してでは無く、
「自然に起こってくるさまざまな出来事を通して」伝えてくれている
と私には思えます。


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例えば最近ではこういうことがありました。

まず「テレパスアート17周年」の記念の集い(交流会)で
どうしても彼の話をしたいと強く感じたこと。

(亡くなられて何年も経ち、最近はもう彼のことも
あまり思い出すことが少くなって来ていたにも関わらず、、)


それから、「位山」のことが
二次会でご一緒だった方の話の中でふと出て、
その時はどうってことは無く、「彼との結びつきはわからなかった」のですが、
その後不思議なシンクロ☆ がありました♪

つい最近、「伊豆の空家を借りたい」という方が現れ、
その仲介をして下さった方が、
「その家を借りたいという人と出遇ったのは、
実は川野さんの慰霊のための『追悼記念登山』で、
仲間と一緒に登った「位山」
麓の民宿でだった」と言われたのです!!!

これには本当にびっくりしてしまいました。

ちょうど私がその時読んでいた本(対談)の中で、
中丸 薫さん(明治天皇の孫)が、「自分は『位山』に呼ばれていて、
早く登りたい思っている・・」ということを話されていたからです。
(「位山」は天皇家ともご縁の深い重要な山だそうです)


このような「キーワード」となるような出来事を通して
彼は私に「平和のメッセージ」を送ってくれている氣がします。


そういうわけで、随分長い文になりましたが、
彼のこと、そのメッセージ、そして彼に関するテレパスアートの話を
以上で終わります。

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これからも彼が送ってくれるさまざまなメッセージを
楽しみにしています♪


そしてその平和のメッセージ☆ を通して
「真実の魂の仲間たち」ともこの星で、
きっと再び出逢えるのではと
ワクワクしています。


ちなみに、「位山」もいいですが、
恵那の「笠置山」はもっと凄い?パワースポットのようです。
UFOもよく出るそうです(笑)。

そして伊豆の空家の仲介をして下さった方が、
何とその恵那の笠置山にぞっこんで、
もう数え切れないぐらい登られているそうなのです。

(伊豆の空家の賃貸契約がスムーズにまとまるかどうかはわかりませんが)
「伊豆」と「恵那」との奇しきご縁にもびっくりでした!!!


「まさG」がこの結びつきを作ってくれているのでしょうか!?
彼との出逢いと深いご縁に心から感謝です。




下記の写真は、その「笠置山」の(2012年12月マヤ暦最終日)の大陽です。




無断転載およびコピーはご遠慮ください。



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