最近あまりにも他のブログが面白くて読むのに忙しく(笑)、自分自身のブログ更新が出来ていませんでした。
スピリチュアルTVもほぼ毎日観ていますが、「精神世界の鉄人のブログ」は興味のあるところはほとんど読み終えたので、先日「コバシャール」さんのユーチューブを初めて観ました。
コバシャールさんというのは、皆さますでによくご存知の「バシャール」のことなどを広く伝えておられる方です。
トーマさんもバシャールが大好きらしくて、ブログの中にはそのカテゴリーもありますが、どうも私はこれまでなぜかバシャールのことはあまり好きになれなくて、そのメッセージに対しても今でも半信半疑のところもあります。
ただ、私の尊敬するトーマさんがこれほどのめり込んだということは、やはり何かあるのかなぁ~と思って、またスピリチュアルTVでの「小泉テディさんとコバシャールさんの対談」を聴いて、それもなかなか面白かったので、バシャールに対しても多少警戒心!?が取れてきている面もあります。
前置きが長くなりましたが、そのコバシャールさんのお父さんが亡くなられたそうで、その折りの話はしみじみとして深い話でした。(この話はユーチューブでもUP☆ されています)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
お父さんのためにコバシャールさんはからだに好い食材を探し出し、お母さんに頼んでいろいろ料理を作ってもらったらしいのですが、お父さんはそれを食べずにお母さんにカップラーメンを作らせたそうなのです。
もういつ死ぬかわからないぐらいの時に、これが「この世での最期の食べ物」になるかもしれないのに、しかも息子がお父さんのためを想って用意し、またせっかくお母さんが作ってくれた美味しくてからだにもよいものを摂らずに、「この期におよんで『カップラーメン』かよぉ!!!」
と、コバシャールさんはショックを受けたそうです。
その精魂込めた手作り料理をお父さんが食べてくれて、『旨かったよ、ありがとな。』と息子に感謝するとか、妻に向かっても『これまで苦労かけたな。すまなかった。最期にお前の手料理を食べれてよかったよ』とか、『もうこれで思い残すことは何も無い』とニッコリ笑って逝く・・・というような、まるでドラマのようなことをまさか期待していたわけでは無いと思いますが、それにしても目の前に並べられた出来立ての美味しい手料理を食べずに、まさか「カップラーメン」とは!?
いかにコバシャールさんでなくても、誰でもガックリしますよね。
その時のコバシャールさんの氣持ちが手に取るように伝わって来て、私は思わず笑ってしまいました。
そして「お父さん、よくやった!!!」
「さすがにコバシャールさんのお父さんだけのことはある」 と、感服したのです。
私の亡父も職人氣質で、コバシャールさんのお父さんにそっくりなので、コバシャールさんの氣持ちもさることながら、そのお父さんにむしろ大きな拍手を送りたくなったのです。
コバシャールさんのお父さんは天国に行ったら、きっとそこで待っているみんなに称賛と「垂涎のまなざし」で迎えられるのではないでしょうか。
「最期に『カップラーメン』食べたんだって!? いいなぁ~。自分たちも食べてみたかったな♡ 」って。
まるで「禅」の高僧のように、彼のお父さんはすでに悟った人だった氣がします。
「人間って何て面白くて素晴らしいのだろう!」と、この最期の食事のエピソードから、真実の「愛」や「自由」について、私は実にさまざまな氣付きを得たのでした。
(もちろん、これは私の勝手な思い込みと意味付けなので、コバシャールさんのこの話から他の人はまた別のことを思われることと思いますが・・・)
そして何より心慰められたのは、「想い残すこと」や「言えなかったこと」「伝えられなかったこと」等々、
コバシャールさんのような人でさえ、そのお父さんとの間で本当に残念なことがいっぱいあったのだと知ったことです。
「こんな立派な看病が出来た」とか、「何の思い残すこと無く百%やりきれた」とか、「自分に出来る精一杯をして、悔いの無い見送りが出来た」というような、少々自慢めいた?話を聴かされるよりも、私にはずっとずっとこの「笑い話」(失礼!)は感動的でした!!!
人生の最期まで自分の意思を貫き通し、(それが本音であろうと、あるいは「アマノジャク」な反骨精神であろうと、もしくは単なる子どもっぽいワガママであろうと)「欲」を肯定し、自分の好きな物を食べ、「選択の自由」を謳歌して、「最期だからこそ!」誰に遠慮することなく「カップラーメン」を堂々と食べたコバシャールさんのお父さん。
息子の願いや妻の期待や周囲の熱い視線を撥ね除けて、そこまでするか!?って、普通は思いますよね。
それよりも相手の行為に感謝して、ありがたくその手作り料理を食べてあげることこそが、悟った人のすることでは!?
それが「思い遣り」というものであり、逝く者に出来る最期の優しさでは・・と思われた人もいるかもしれませんが、私は決してそうは思いません。
さて、みなさんはこの話、どう思われたでしょうか?
ぜひ「コバシャールさんの実話」をユーチュブで直接聴いてみてくださいね♪
(私の話は私の解釈ですので、、、)
コバシャールさん、元氣の出るすてきなお話をありがとうございました。
お父さんのご冥福を心よりお祈りしています。
コバシャールさんのお父さんにも深く感謝です。
きっと向こうの世界では、うちの亡父と氣が合って、(初対面ながら)二人で酒を酌み交わし、「カップラーメン談義」で大いに盛り上がっているかも!?
愉しそうな二人の笑い声が聞こえて来るようです。
スピリチュアルTVもほぼ毎日観ていますが、「精神世界の鉄人のブログ」は興味のあるところはほとんど読み終えたので、先日「コバシャール」さんのユーチューブを初めて観ました。
コバシャールさんというのは、皆さますでによくご存知の「バシャール」のことなどを広く伝えておられる方です。
トーマさんもバシャールが大好きらしくて、ブログの中にはそのカテゴリーもありますが、どうも私はこれまでなぜかバシャールのことはあまり好きになれなくて、そのメッセージに対しても今でも半信半疑のところもあります。
ただ、私の尊敬するトーマさんがこれほどのめり込んだということは、やはり何かあるのかなぁ~と思って、またスピリチュアルTVでの「小泉テディさんとコバシャールさんの対談」を聴いて、それもなかなか面白かったので、バシャールに対しても多少警戒心!?が取れてきている面もあります。
前置きが長くなりましたが、そのコバシャールさんのお父さんが亡くなられたそうで、その折りの話はしみじみとして深い話でした。(この話はユーチューブでもUP☆ されています)
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お父さんのためにコバシャールさんはからだに好い食材を探し出し、お母さんに頼んでいろいろ料理を作ってもらったらしいのですが、お父さんはそれを食べずにお母さんにカップラーメンを作らせたそうなのです。
もういつ死ぬかわからないぐらいの時に、これが「この世での最期の食べ物」になるかもしれないのに、しかも息子がお父さんのためを想って用意し、またせっかくお母さんが作ってくれた美味しくてからだにもよいものを摂らずに、「この期におよんで『カップラーメン』かよぉ!!!」
と、コバシャールさんはショックを受けたそうです。
その精魂込めた手作り料理をお父さんが食べてくれて、『旨かったよ、ありがとな。』と息子に感謝するとか、妻に向かっても『これまで苦労かけたな。すまなかった。最期にお前の手料理を食べれてよかったよ』とか、『もうこれで思い残すことは何も無い』とニッコリ笑って逝く・・・というような、まるでドラマのようなことをまさか期待していたわけでは無いと思いますが、それにしても目の前に並べられた出来立ての美味しい手料理を食べずに、まさか「カップラーメン」とは!?
いかにコバシャールさんでなくても、誰でもガックリしますよね。
その時のコバシャールさんの氣持ちが手に取るように伝わって来て、私は思わず笑ってしまいました。
そして「お父さん、よくやった!!!」
「さすがにコバシャールさんのお父さんだけのことはある」 と、感服したのです。
私の亡父も職人氣質で、コバシャールさんのお父さんにそっくりなので、コバシャールさんの氣持ちもさることながら、そのお父さんにむしろ大きな拍手を送りたくなったのです。
コバシャールさんのお父さんは天国に行ったら、きっとそこで待っているみんなに称賛と「垂涎のまなざし」で迎えられるのではないでしょうか。
「最期に『カップラーメン』食べたんだって!? いいなぁ~。自分たちも食べてみたかったな♡ 」って。
まるで「禅」の高僧のように、彼のお父さんはすでに悟った人だった氣がします。
「人間って何て面白くて素晴らしいのだろう!」と、この最期の食事のエピソードから、真実の「愛」や「自由」について、私は実にさまざまな氣付きを得たのでした。
(もちろん、これは私の勝手な思い込みと意味付けなので、コバシャールさんのこの話から他の人はまた別のことを思われることと思いますが・・・)
そして何より心慰められたのは、「想い残すこと」や「言えなかったこと」「伝えられなかったこと」等々、
コバシャールさんのような人でさえ、そのお父さんとの間で本当に残念なことがいっぱいあったのだと知ったことです。
「こんな立派な看病が出来た」とか、「何の思い残すこと無く百%やりきれた」とか、「自分に出来る精一杯をして、悔いの無い見送りが出来た」というような、少々自慢めいた?話を聴かされるよりも、私にはずっとずっとこの「笑い話」(失礼!)は感動的でした!!!
人生の最期まで自分の意思を貫き通し、(それが本音であろうと、あるいは「アマノジャク」な反骨精神であろうと、もしくは単なる子どもっぽいワガママであろうと)「欲」を肯定し、自分の好きな物を食べ、「選択の自由」を謳歌して、「最期だからこそ!」誰に遠慮することなく「カップラーメン」を堂々と食べたコバシャールさんのお父さん。
息子の願いや妻の期待や周囲の熱い視線を撥ね除けて、そこまでするか!?って、普通は思いますよね。
それよりも相手の行為に感謝して、ありがたくその手作り料理を食べてあげることこそが、悟った人のすることでは!?
それが「思い遣り」というものであり、逝く者に出来る最期の優しさでは・・と思われた人もいるかもしれませんが、私は決してそうは思いません。
さて、みなさんはこの話、どう思われたでしょうか?
ぜひ「コバシャールさんの実話」をユーチュブで直接聴いてみてくださいね♪
(私の話は私の解釈ですので、、、)
コバシャールさん、元氣の出るすてきなお話をありがとうございました。
お父さんのご冥福を心よりお祈りしています。
コバシャールさんのお父さんにも深く感謝です。
きっと向こうの世界では、うちの亡父と氣が合って、(初対面ながら)二人で酒を酌み交わし、「カップラーメン談義」で大いに盛り上がっているかも!?
愉しそうな二人の笑い声が聞こえて来るようです。