昨日も粉雪の散らつくとても寒い日でしたが、「石切さん」こと「石切神社」にお参りして来ました。
「石切ヴィレッジ」であった「高梁市」のイベントの前に立ち寄ったのですが、このイベントについてはまた後日ご報告いたします♪
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
以前に私が石切さんに行ったのは、もう何十年も昔のことで、娘が生まれて間も無い頃? 義母の案内で家族でお詣りした記憶があります。
この11日は「建国記念日」で満月でもあったせいか、大勢の人で賑わっていてびっくりしました。
昔はもっと静かで何も無い神社だった印象ですが、もしかして私が忘れているだけなのか、ともかく何もかもが初めて見るような氣がしました。
御本殿の前(左横)にはもの凄く大きなクスノキがあり、まさに超巨木でした!!!
樹齢はいったいどのぐらいになるのか? もう何百年も経っている感じで、こんな素晴らしいクスノキはこれまで見たことがありません。
ただただ圧倒されて言葉も出ないぐらいでした。
かと言って威圧的な氣圧されるような感じでは無く、あまりにもさりげなく当たり前のような自然な感じでしたので、石切さんを知っている人たちにその話をしても、なぜか誰もが「えっ、そんな大きな木がどこにあったっけ!?」と言うだけでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
また、この石切さんに向かう道幅の狭い参道が、何と長いこと、長いこと。
神社に向かって上って行くことはよくありますが、石切さんの場合は(近鉄の「石切」駅から)どんどんと下り坂が続くのです。
その参道の両脇にはずらっといろんなお店が並び、それぞれ、おまんじゅうやら、お漬け物やら、梅干し、服やバッグはたまた杖や雑貨、、、果物や野菜、お花など売っていたり、豆だけの専門店、うなぎの専門店、「占い」の店、たこ焼きの店、定食の店、喫茶店、、等々。
思わず立ち寄りたくなるような小さな店がいっぱいあって、ほんとにワクワクします。
その中には、よほどの有名店なのか、ずらっと外にまで人が並んでいる「たこ焼きやさん」がありました。
お参りした後、帰りに店内を覗いてみたら、そこでも人が丸椅子に腰掛けて待っていて、席が無く断られ、今回は残念ながら食べることは叶いませんでした。
そして、帰り道は上り坂が延々と続くのですが、またこの坂のメッチャ急なこと、急なこと。
伊豆の山中に住んでいた頃にはもちろん坂はいっぱいありましたが、これほどまでに急な坂道が、しかもこんなに長く続くなんて〜〜
寒さのせいもあって、ヒーヒーと息が荒くなりました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
はてさて、ここまで読まれた方は、いったいどこがそんなに「お薦め」!?やねんと思われたことでしょう、、。
この石切さんで「お百度参り」をする人は昔から多かったようで、昨日もたくさんの人がお百度を踏んでぐるぐると廻っていました。
私も本殿のお参りをして御朱印を拝受したものの、実はそんなに何も感じることは無く、ここの神さまに特に親しみやご神徳があるとは、その時はあまり思えなかったのです。(ごめんなさい!)
ところがです!
今朝になったら、(昨夜の夢のせいもあるかもしれませんが)急に大きな「氣づき」があったのです!!
これまでの自分が如何に人との比較や競争、劣等感などを抱えたまま生きて来たかということについて・・・
あのクスノキはクスノキであって、他の樹になろうなんて全く思わず、ただ、日々を淡々と生き続けて来た結果、あんなに凄い大木になったんだ、と。
最初から大木になろうと思って、他と競争したりしたわけでは無く、氣づいたらいつのまにかそうなっていたということ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それからあのたこ焼きやさんも、ただのたこ焼きさんであって、毎日、毎日、ただひたすらたこ焼きだけを作って売っているだけなのに、あんなに人がいっぱい並んで長く待ってまでも食べに来てくれるなんて。。。
だからと言って店をさらに大きく改装しようとか、不動産に儲けを投資しようとか、あるいは何かもっと別のことに手を広げようなどということは考えずに、ひたすら同じ日々を繰り返しているのです。
まるで、あのクスノキと同じように・・・それがとても自然な当然のことであるかのように。
そうか、なるほど!!!
私も私で、このままの私のままで、ただ淡々と自分に出来ることをして、自分らしくあればそれでいいのだなって、突然にわかったのです。
生まれてこのかた、私たちはどれほど人との比較にさらされ、きょうだいの間でも競争させられ、学校では友だちとの成績較べや、身長、容姿、、等々。
社会に出てからはもちろん、、、いったいどのぐらい「能力」を問われ続けて来たことでしょうか。
クスノキはただ、ただのクスノキであっただけ。
ただ黙々と今を、(自分自身を)在りのままに生き続けただけ。。
たこ焼きやさんも単なる小さなたこ焼きやさんに過ぎないのに、あんなにも人に喜ばれ、役に立っている・・。
おまんじゅうやさんはおまんじゅうを売り、花屋さんは花を売り、、みんなそれぞれ自分に出来ること、好きなこと、やりたいことをやって精一杯に生きているのですね。
そんな当たり前のことにふと氣づいたのです。
だからこそ、あんなにもあの参道が、お店が、みんなが、イキイキとして、活氣に溢れていたのですね!
もしも他の店を羨んだり、嫉妬したり、ねたんだり、ひがんだり、、いつもいつもそんなふうに比較したり、競争したりしていたら、きっとそのお店にはお客が寄り付かないことでしょう、、。
誰もが自分自身のお店に誇りを持って、それぞれの得意なもの、好いものを精一杯作って売ったり、仕入れに努力して豊富な品揃えをしたり、、みんながお互いに(楽しく)頑張っている(顔晴っている)からこそ、素晴らしいのですね!!
もしもどこかの店が閉店するようなことが続けば、参道自体が寂れていくことになるかもしれません。
だから、他の繁栄を願い望むことは、自分自身のためでもあるのですね。
そんなふうにお互いに相手の幸せを願い祝福し合っているからこそ、どんどんと参道が発展していっているに違いありません。
これこそが、もしかしたら「石切さん」のご神威であり、ご加護であり、導きでもあるのではないでしょうか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
なぜかそんなふうに思えて、ありがたくて、ありがたくて、今朝はうれし涙が滂沱と流れました。
そういうわけで、(信じられなくてもいいのですが)もしよかったらぜひ一度ご自身でも試しにお参りされてはいかがでしょうか。
きっとまたあなたにはあなた独自の、また別のたくさんの「氣づき」があるに違いありません。
ちなみに、帰り道は「新石切」駅の方へ出られると、長い上り坂を通らずに済んで、近くて便利かと思います。
今日も「光のチャレンジ」にお立ち寄りいただきありがとうございました♡
「石切ヴィレッジ」であった「高梁市」のイベントの前に立ち寄ったのですが、このイベントについてはまた後日ご報告いたします♪
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以前に私が石切さんに行ったのは、もう何十年も昔のことで、娘が生まれて間も無い頃? 義母の案内で家族でお詣りした記憶があります。
この11日は「建国記念日」で満月でもあったせいか、大勢の人で賑わっていてびっくりしました。
昔はもっと静かで何も無い神社だった印象ですが、もしかして私が忘れているだけなのか、ともかく何もかもが初めて見るような氣がしました。
御本殿の前(左横)にはもの凄く大きなクスノキがあり、まさに超巨木でした!!!
樹齢はいったいどのぐらいになるのか? もう何百年も経っている感じで、こんな素晴らしいクスノキはこれまで見たことがありません。
ただただ圧倒されて言葉も出ないぐらいでした。
かと言って威圧的な氣圧されるような感じでは無く、あまりにもさりげなく当たり前のような自然な感じでしたので、石切さんを知っている人たちにその話をしても、なぜか誰もが「えっ、そんな大きな木がどこにあったっけ!?」と言うだけでした。
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また、この石切さんに向かう道幅の狭い参道が、何と長いこと、長いこと。
神社に向かって上って行くことはよくありますが、石切さんの場合は(近鉄の「石切」駅から)どんどんと下り坂が続くのです。
その参道の両脇にはずらっといろんなお店が並び、それぞれ、おまんじゅうやら、お漬け物やら、梅干し、服やバッグはたまた杖や雑貨、、、果物や野菜、お花など売っていたり、豆だけの専門店、うなぎの専門店、「占い」の店、たこ焼きの店、定食の店、喫茶店、、等々。
思わず立ち寄りたくなるような小さな店がいっぱいあって、ほんとにワクワクします。
その中には、よほどの有名店なのか、ずらっと外にまで人が並んでいる「たこ焼きやさん」がありました。
お参りした後、帰りに店内を覗いてみたら、そこでも人が丸椅子に腰掛けて待っていて、席が無く断られ、今回は残念ながら食べることは叶いませんでした。
そして、帰り道は上り坂が延々と続くのですが、またこの坂のメッチャ急なこと、急なこと。
伊豆の山中に住んでいた頃にはもちろん坂はいっぱいありましたが、これほどまでに急な坂道が、しかもこんなに長く続くなんて〜〜
寒さのせいもあって、ヒーヒーと息が荒くなりました。
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はてさて、ここまで読まれた方は、いったいどこがそんなに「お薦め」!?やねんと思われたことでしょう、、。
この石切さんで「お百度参り」をする人は昔から多かったようで、昨日もたくさんの人がお百度を踏んでぐるぐると廻っていました。
私も本殿のお参りをして御朱印を拝受したものの、実はそんなに何も感じることは無く、ここの神さまに特に親しみやご神徳があるとは、その時はあまり思えなかったのです。(ごめんなさい!)
ところがです!
今朝になったら、(昨夜の夢のせいもあるかもしれませんが)急に大きな「氣づき」があったのです!!
これまでの自分が如何に人との比較や競争、劣等感などを抱えたまま生きて来たかということについて・・・
あのクスノキはクスノキであって、他の樹になろうなんて全く思わず、ただ、日々を淡々と生き続けて来た結果、あんなに凄い大木になったんだ、と。
最初から大木になろうと思って、他と競争したりしたわけでは無く、氣づいたらいつのまにかそうなっていたということ。
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それからあのたこ焼きやさんも、ただのたこ焼きさんであって、毎日、毎日、ただひたすらたこ焼きだけを作って売っているだけなのに、あんなに人がいっぱい並んで長く待ってまでも食べに来てくれるなんて。。。
だからと言って店をさらに大きく改装しようとか、不動産に儲けを投資しようとか、あるいは何かもっと別のことに手を広げようなどということは考えずに、ひたすら同じ日々を繰り返しているのです。
まるで、あのクスノキと同じように・・・それがとても自然な当然のことであるかのように。
そうか、なるほど!!!
私も私で、このままの私のままで、ただ淡々と自分に出来ることをして、自分らしくあればそれでいいのだなって、突然にわかったのです。
生まれてこのかた、私たちはどれほど人との比較にさらされ、きょうだいの間でも競争させられ、学校では友だちとの成績較べや、身長、容姿、、等々。
社会に出てからはもちろん、、、いったいどのぐらい「能力」を問われ続けて来たことでしょうか。
クスノキはただ、ただのクスノキであっただけ。
ただ黙々と今を、(自分自身を)在りのままに生き続けただけ。。
たこ焼きやさんも単なる小さなたこ焼きやさんに過ぎないのに、あんなにも人に喜ばれ、役に立っている・・。
おまんじゅうやさんはおまんじゅうを売り、花屋さんは花を売り、、みんなそれぞれ自分に出来ること、好きなこと、やりたいことをやって精一杯に生きているのですね。
そんな当たり前のことにふと氣づいたのです。
だからこそ、あんなにもあの参道が、お店が、みんなが、イキイキとして、活氣に溢れていたのですね!
もしも他の店を羨んだり、嫉妬したり、ねたんだり、ひがんだり、、いつもいつもそんなふうに比較したり、競争したりしていたら、きっとそのお店にはお客が寄り付かないことでしょう、、。
誰もが自分自身のお店に誇りを持って、それぞれの得意なもの、好いものを精一杯作って売ったり、仕入れに努力して豊富な品揃えをしたり、、みんながお互いに(楽しく)頑張っている(顔晴っている)からこそ、素晴らしいのですね!!
もしもどこかの店が閉店するようなことが続けば、参道自体が寂れていくことになるかもしれません。
だから、他の繁栄を願い望むことは、自分自身のためでもあるのですね。
そんなふうにお互いに相手の幸せを願い祝福し合っているからこそ、どんどんと参道が発展していっているに違いありません。
これこそが、もしかしたら「石切さん」のご神威であり、ご加護であり、導きでもあるのではないでしょうか。
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なぜかそんなふうに思えて、ありがたくて、ありがたくて、今朝はうれし涙が滂沱と流れました。
そういうわけで、(信じられなくてもいいのですが)もしよかったらぜひ一度ご自身でも試しにお参りされてはいかがでしょうか。
きっとまたあなたにはあなた独自の、また別のたくさんの「氣づき」があるに違いありません。
ちなみに、帰り道は「新石切」駅の方へ出られると、長い上り坂を通らずに済んで、近くて便利かと思います。
今日も「光のチャレンジ」にお立ち寄りいただきありがとうございました♡